第84話 学府の友達

5.


 学府の街、マイネタルテの入り口で三人は橇から降り、ユグ族の男に別れを告げた。


「達者でな。学府にいるなら、ちょいちょいユグにも顔を出してくれよ」

「うん、キオラたちによろしく」


 橇を走らせて去っていくユグの男を見送ると、三人は街に足を踏み入れた。



6.


 コウマの説明の通り、マイネタルテはユグよりも北にあるにも関わらず、気候が温暖に感じられた。

 道行く人たちも、ユグの人々よりずっと軽装に見える。

 歩いているとすぐに暑くなり、レニは首に巻いていた毛皮の襟巻きを取り、首もとを開けた。


 日が落ちてきたせいか、あちらこちらの店から賑やかな声が聞こえてくる。

 顔を上げると、街のどこからでも小高い丘の上にある淡く青い光を放つ学府が見えた。 

 歩いているうちに、レニはふと気付いてキョロキョロと辺りを見回した。


「若い男の人が多いね」


 顔を隠していても、雰囲気や立ち居振舞いの優雅さから何となく目立ってしまうリオの姿を見て、道行く人々が好奇の眼差しで振り返る。

 だが、港町フローティアやゲインズゲートに比べると、無遠慮な視線やあからさまに気を引こうとする人間が圧倒的に少ない。


 よくよく観察すると、街中を歩いているのは、二十代ほどに見える、粗末だが小綺麗な身なりをした若者の集団が多い。階級や貧富の差は感じられるが、その目の中には一様に希望や情熱、野心がみなぎっている。

 そういった若者たちの姿が、街全体に独特の活気を与えていた。


 レニの言葉に、コウマは慣れた足取りで道を歩きながら周りの喧騒に負けないような、陽気な声を上げた。


「マイネタルテは、学生の街だからな。大陸中どころか、他の世界からも学問で一旗上げようって奴が集まっているんだ」


 レニは、はぐれないようにリオの手を取って、コウマの後を追いかける。


「この人たち、みんな学府の人なの?」

「学府に入れるのは、よっぽど優秀な奴か、強力なコネがある奴だけだ。ほとんどの奴は、街にある私塾の塾生だよ」

「塾生?」

「ああ。私塾って言ってもピンキリだからな。優秀だって分かりゃあ学府へ推薦してくれる塾があったり、塾っていっても名ばかりで、金持ちの道楽息子たちが遊び呆けているだけの場所もある。色々だよ。学府よりそっちに入るために来た、って言う奴がいるくらい人気がある塾もあるぜ」

「すごいね」


 レニは、店の軒先で口角泡を飛ばして議論を交わす若者の集団を見ながら、目を丸くする。

 辺りを見回せば、あちらこちらで若者の集団が肩を組んで高歌放吟したり、掴み合いに発展しそうな勢いで専門用語を駆使して角をつきあわせている。


 コウマはそちらをチラリと見て、肩をすくめた。


「この街じゃあ、ああやって一日中、酒を飲んで喋り倒している奴らも多いんだよな。こんなところで、国や世界のことについて話したって、何が変わるわけでもねえと思うがねえ。暇な奴らだよ」

「でも、面白そう」


 呟いてから、レニは隣りを歩くリオに視線を向けた。

 他の街ではレニのお目付け役のようなリオが、この街ではレニ以上に周りの様子に心を奪われている。

 街に足を踏み入れた時から、学生たちが生み出す熱気に魅せられたように辺りから目を離さない。

 普段は落ち着いた笑みをたたえている滑らかな白い頬に赤みが差し、瞳が翡翠のような美しい光で明るく輝いている。


 飲み屋や食堂、商店が集まっている通りを抜けるとコウマは立ち止まった。

 小高い丘の上に建つ青く発光する建物が、だいぶ大きく見えてきた。


「この道沿いは有名な塾とか下宿とか本屋が集まっている場所だけどな、ここを上って行った先が学府だ」


 リオは、吸い寄せられるように、道の先の学府を見つめている。

 レニはその姿を見てから、コウマに言った。


「学府の中を見られるかな?」

「表の庭と一般向けの書庫は、開放されているから、外から来た奴らでも入れるけどな」


 レニはリオのほうを向く。


「リオ、ちょっとだけ見に行く?」


 リオは、弾かれたようにレニのほうを向いた。


「よろしいのですか?」


 そうレニに聞く声は、普段落ち着いているリオにしては珍しく僅かに興奮が感じ取れた。

 レニは、コウマのほうを向く。


「コウマ、いいよね」

「おいおい、田舎から出てきたお上りさんそのままじゃねえか」


 コウマは呆れたように言ったが、内心は自分も近くに行ってみたいと思っていたらしく、「仕方ねえな」と呟くとすぐに坂道を上り出した。

 レニは慌てて、リオの手を引いて後を追う。


「どうすんだ? ソフィスの爺さんが言っていた、何とかとか言う奴のことを聞いてみるか?」

「うん、でもそれより前に……」


 コウマの問いに、レニはためらいがちに答えた。


「学府に友達がいるはずなんだ」

「友達?」

「子供の時の友達で……十年くらい会っていないんだけど」


 コウマは胡乱そうな顔つきで首を捻る。


「十年も前じゃあな。もう、いねえんじゃねえの? ソフィスの爺さんも言ったじゃねえか。学府は残るだけで大変だって」

「う、うん。でも、故郷にも戻ってきていないし……」

「まあ、聞いてみりゃあすぐにわかんだろ」


 追及するのが面倒くさくなったように、コウマはあっさりとした口調で言った。


「レニさま、学府にご友人がいるのですか?」


 少し前を歩くコウマには聞こえないように、リオが密やかな声で尋ねた。


 王宮にいた頃のレニは、祖父グラーシアから猜疑の目を向けられることを恐れ、皇女宮に引きこもってほとんど世捨て人のような暮らしを送っていた。

「友人」と呼べるような存在を作ることが出来ないくらい、取り巻く環境が暗く複雑だった。

 そんなレニに、幼い頃からの友人がいるとは、リオにとっても初耳だった。

 レニは、リオにだけ聞こえるような小さな声で答えた。


「友達っていうか親戚、なんだよね」

「ご親戚?」


 リオが訝しげに問い返した瞬間、二人の前を歩いていたコウマが立ち止まった。


「着いたぞ。学府だ」


 三人の目の前には、何十人という人間が出入りする巨大な鉄の門が開かれていた。

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