第83話 学府へ
3.
二日後の朝早く。
まだ濃紺の空に星が残っている時刻に、レニ、リオ、コウマの三人はユグの村を出立した。
キオラやイズルを始め、見送りに来てくれたユグの人々の姿は、すぐに薄闇の中で見えなくなった。
「学府があるマイネタルテの街までは、夏だったら船で湖を渡っても五日以上かかる。湖を迂回したら、さらにその倍だ。その点、冬なら今日の夕刻には着くからな」
橇を操るユグ族の男は、そう言って気さくに笑った。三人は揺れる橇から放り出されないで座っているのが精一杯で、とても返事をするどころではなかった。
冬の遅い日の出が始まる頃、一行は湖の上で早めの昼食を取った。
風よけのため、ティピーと呼ばれる持ち運び用の簡易天幕を設置し、その中で食事を取る。
「まったく、寒さと揺れで体がおかしくなっちまうぜ」
コウマはブツブツとぼやくと、熱心にレニの給仕をしていたリオが顔を上げる。
「学府があるマイネタルテは、ユグよりも寒いのでしょうか」
そうだったら、レニさまのお召し物をもう少し揃えないと、とリオは独り言のように呟く。
固めたスープを鍋で溶かしていたユグ族の男が、のんびりとした口調で答えた。
「学府は、山脈で北からの風を遮られているからそこまで寒くはならないんだ。不思議なご利益もあるらしくてな」
「不思議なご利益?」
訝しげなリオの問いに、コウマが答える。
「学府の建物は、『神さまの遺跡』なんだと。『神さまの遺跡』には不思議な力があるとか何とかで、マイネタルテの街は場所の割には温暖で雪もほとんど降らない。学府自体が元々、その遺跡を調べるために人が集まってきたのが始まりらしいからな」
「『神さまの遺跡』」
リオは呟いた。
「王都の宮廷と同じ、なのでしょうか」
「そういやあ王都の城も、ええっと青月宮か。『古い神の遺跡』だっつうよな。まったく神さまなんてもんが本当いるなら、もう少し俺の商売を繁盛させて欲しいぜ」
コウマは軽口を叩きながら、受け取ったスープをひと口飲む。
それからリオのほうを向いて言った。
「お前ら、学府に着いたらどうすんだよ? 学府に入るったって、何か
「とりあえず、ソフィスさまからご紹介いただいたクレオ、というかたを訪ねてみようかと思っています。学府のかただそうなので」
リオの脳裏に、行商の馬車で一緒に旅をしたソフィスの言葉が蘇る。
(リオ、学府に行ったらクレオという人を尋ねるといい)
(私の古い学友だ。私とは違い、非常に優秀な人間だったから、学府の教え手……導師になった。今はもっと偉くなっているかもしれん)
(学府は、
「ご紹介ねえ。ソフィスの爺さんに、そんな力があんのかねえ」
コウマは揶揄するように呟く。
それからふと気付いたように、リオの隣りで押し黙っているレニのほうへ目を向けた。
「レニ、お前、あんま食ってねえじゃねえか。酒も飲んどかねえと、寒さでやられるぞ」
リオも心配そうに、レニの顔を覗き込んだ。
「レニさま、どうかされましたか? 橇に酔われましたか?」
「う、ううんっ。大丈夫。このスープ、おいしいね。すごく体があったまるし」
食事を取る手を止めてぼんやりとしていたレニは、慌てて頭を振って食事を取り出す。スープをひと口飲んで、誤魔化すように殊更明るい声を上げた。
昨夜、「リオに自分の気持ちを打ち明ける」ことを決意してから、レニの頭の中はそのことでいっぱいだった。
リオが学府に入ることが出来る。
そう決まったら、打ち明けよう。
気持ちは固まったが、その時のことを考えるとそれだけで緊張で倒れそうな心地がする。
(もし、困った顔をされたら、『気持ちを伝えたかっただけだから。今まで通りでいて』って言えば、リオもこれまで通りでいてくれるよね)
例え恋愛感情を受け入れてもらえなかったとしても、少なくともリオも自分と一緒にいたい、二人で旅を続けたいと思ってくれているのだ。
どれくらい繰り返したかわからない言葉を、再度、自分に言い聞かす。
すべては学府に着いてからだ。
レニは自身にそう言い聞かせて、持っていたスープを一気に飲み干した。
4.
昼食後、再び一行は橇に乗り込み、北へ向かって走り続けた。
日がだいぶ西に傾きかけた頃、コウマが揺れる橇の中で二人のほうを向いて言った。
「見えてきたぜ」
コウマの言葉に誘われるように、二人はマントの襟で覆っていた顔を上げる。
レニとリオは、思わずほおっと息を吐き出した。
豆粒のように見える街並みの真ん中に、ひときわ小高くなった丘があった。
その上に、青みをおびた四角い石造りの巨大な建物が建っていた。
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