第45話 賑やかな街並み

6.


 ゲインズゲートについたのは、その日の昼前だった。

 

 この時代の一般的な大都市は壁に囲まれ、門が設置されていることが多い。城や領主の館を中心に、都市が形成されるからだ。

 しかしゲインズゲートのように、物の流通によって自然発生的に生まれた都市には街を囲む壁がない。

 街道を進むに従って、徐々に建物が増えていく。行き交う人や馬車、荷車や馬の往来が激しくなり、いつの間にか街の中心部に至っている。



7.


 乗合馬車を降りると、レニとリオは改めて目を見張った。


 街の中心部には大きい建物、小さい建物が無数に立ち並び、広い道の中央には馬車がひっきりなしに通り、その両脇にはたくさんの人々が行き交っている。

 人々の身なりや建物などにその地域独特の風俗が表れるものだが、この街にはほとんど統一性がない。

 この街をひと言で表す言葉があるとすれば、それは「雑多」や「猥雑」だ。


 街に長く住んでいる町民らしい恰好の中年の男。

 北方世界から来たらしい毛皮をまとった男たち。

 東方世界の顔だちをした不思議な着物を来た商人。

 お忍びで遊びに来たように見える、こじゃれた粋な服装に身を包んだ上品そうな青年貴族たち。

 北にある聖地を目指す巡礼者の一行。

 流れ者らしき鋭い気配を身に纏った傭兵や船乗りたち。

 ぶ厚い毛皮のマントの下に、僅かな面積の鎧で覆っただけの鍛え抜かれたしなやかな体が時折見える、女剣闘士。


「おいっ、ぼさっと突っ立っているなっ」


 呆気に取られて辺りの光景に目を奪われていたレニは、大柄な男にぶつかられてハッと我に返る。


「す、すみませんっ!」


 慌てて頭を下げると、男はそれ以上文句を言う様子もなく、足早に雑踏の中に消えた。


「おい、レニ。リオも。何しているんだよ、いくぞ」


 コウマがはぐれそうになるレニの腕を掴み、二人を横道に引っ張り込む。

 そのまま慣れた足取りで歩きだすコウマに、レニは大通りのほうを振り返りながら言った。


「す、すごい。今日ってお祭りの日なの?」

「何言ってんだ、この街はいつもこんなものだよ」


 答えてから、コウマは怪訝そうにレニの顔を見た。


「お前ら、王都に住んでいたことがあるって言っていなかったか? まるで田舎から出てきたみたいにはしゃぎやがって」


 胡乱うろんな眼差しで眺められて、レニは「それは……」と口の中で呟く。

 王都に住んでいた、と言っても、宮廷の端の皇女宮に引っ込んで、ひっそりと生きていただけだ、街のことは何も知らない、とはまさか言えない。


「王都も同じくらい広いですが、様子がまるで違いますから」


 言葉に詰まったレニに代わり、リオが控えめな口調で口を挟む。


「まっ、確かに王都は小綺麗だからな。俺たち下っ端商人が、お貴族さまたちが住む場所に行くことも滅多にねえしな」


 コウマは半ば納得したように、半ばリオに流し目を向けるようにして言う。

 リオは、コウマが得心したことを見てとると、自分に向けられた眼差しは丁重に無視した。


「そうそう! 王都も広いけど、あんまり色々な人が出入りするってないからさ。住む場所とか市場とかきっちり分かれているし」


 レニは相づちを打ちながらも、周りをキョロキョロと見回す。

 大通りよりは道幅は狭いが、横道も十分広く、人が多い。道の横には大小の店が立ち並び、外にまで品物が溢れている。

 ところどころに屋台が出ていて、活気に溢れた呼び込みの声が聞こえ、食欲をそそる香ばしい匂いがあちらこちらから漂ってくる。


「あのイカを焼いたやつ、美味しそう……。ああっ、チュラの実を蜂蜜につけたやつ、大好きなんだよね」

「レニさま、まだお昼のお食事前ですから」


 路上に漂ってくる薫りに誘われて、ともすれば屋台や店に寄っていきそうになるレニを、リオが優しく、だが断固とした態度で引き止める。

 レニのことだから腰かけて酒を片手に何かを食べ出した途端、時間も忘れて自分が興味をひかれたものを食べつくそうとするに違いない。


「お前、ほんと食い意地が張ってんなあ」


 コウマは呆れたようにレニを見て、付け加えた。


「もうちょいだから我慢しろよ。俺のダチの店に行ったら、屋台の飯なんか目じゃねえくらいのうまい飯を食わせてやっから」


 レニとリオは、既にどこからどう来たのか、今は街のどの辺りにいるかすらわからなくなっている。だがコウマは、まるでずっと住んでいた場所のように、街のことを細かく把握している。

 時おり、「へえ、ここに店が出来たのか」「おっ、ここの店の織物、質がいいな」などと呟きながら、迷うことなく歩き続ける。


 しばらく歩いて、比較的広く賑やかな食堂兼宿の前で足を止めた。

 看板には「陽だまり亭」と書かれている。

 レニとリオに着いて来いという風に合図をすると、自分の家のような気安さで「おいっ、俺だ」と声をかけながら中に入る。


 椅子や卓が並べられた食堂で、客と世間話をしていた女性が、驚いたように振り返った。

 二十代半ばほどに見える、背が高い女性だ。

 顔立ち自体はそこまで目立つものではないが、漆を塗りこんだような黒々とした瞳に生命力と独特の艶があり、見る人間を強く惹きつける。

 しなやかな体つきをしており、無駄のないきびきびとした動作は、見ているだけで心地良さを感じる。

 黒く長い髪をひとつに束ね、頭はスカーフで覆い、前掛けをつけている。

 食堂を営む人間とひと目でわかる恰好だ。

 女性は黒く艶やかな瞳を大きく見開いて、コウマのほうへ駆け寄った。


「驚いた、コウマじゃないの!」

「よう、クシュナ。相変わらずいい女だな。記憶の中の十倍は別嬪だ」


 コウマの軽口に、「クシュナ」と呼ばれた黒髪黒瞳の女は半ば苦笑を、半ば懐かしげな表情を浮かべた。



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