第44話 触れたい


4.


 いつからだったろう。

 レニは外界から遮断された、暗い布団の中で考える。

 リオが自分と二人きりになることを避けている……「恐れている」ように感じるようになったのは。


 最初は気のせいだと思っていた。

 ここに来るまでの間、野営をするか、宿を取るとしてもコウマと三人で一部屋を取ることが多かったためしばらく気付かなかった。

 それに。

 リオは以前のように、レニの体に触れることはなくなった。


 皇宮にいる側仕えの侍女のように、朝の支度などの面倒は細々と見てくれる。

 皇宮にいた頃とは違い、今は髪などひとつに束ねているだけなのに、赤い髪に艶が出るまで丁寧に櫛けずり、ほつれなどないように束ねてくれる。

 どうせ旅をしていればすぐに髪も乱れ、埃だらけになるのだからと言っても、レニの身の回りの世話は自分の務めだから、と譲らなかった。

 レニが心細そうな、不安げな顔をすれば、いつでも安心させるように、手の甲や額や頬には恭しく口づけしてくれる。

 だが以前のような、濃密な、快感を呼び起こすような触れかたをすることはなくなった。


 自分の体を絡めとるかのような妖しさを持つ、普段のリオとは違う、蠱惑的な眼差しや触れかたに怖さを感じていたというのに、それがまったく失くなってしまうと、何故だろうという疑問と奇妙な寂しさを感じる。


 リオに触れて欲しくないわけではない。

 自分の思いを伝えたくて、体を寄せてみたり手に触れたりしたが、そういう行為に対してもリオがどことなく緊張していることが感じ取れた。

 思いきって、リオと二人きりでゆっくり過ごしたいからと言い、コウマと部屋を分けた。


「二部屋取るなんざ、王侯貴族でもあるまいし」


「金がもったいねえ」とコウマはぶつぶつぼやいたが、「まあ、女には色々あるから仕方がねえな」と一人で納得して、案外あっさり引き下がった。

 レニが「今夜は、二人で部屋でゆっくりしたい」と告げると、リオはすぐに表情を隠すように顔を伏せた。

 しかしレニは、リオの青い瞳に怯えたような畏れに似た光が浮かんだことを見てとった。


 一体、なぜ。

 とレニは考える。


(リオは、私に触るのが嫌になっちゃったの?)


 そう考えると心の奥を冷たい手で圧迫されるような、寂しさというには余りに強すぎる痛みを感じた。



5.


 どれくらい時間が経っただろう。


 ふと。

 暗い世界の外側から、いつまでもリオの気配が消えないことにレニは気付いた。

 しばらく動かずジッとしていたが、リオは一向にそこから動く様子がない。

 ひょっとして一晩中、寝台の脇に控えているつもりではないか。

 不意にそんな考えが浮かび、それはすぐにレニの中で確信に変わった。

 そういうはっきりとした意思が、リオの気配から伝わってきた。


 火の気のない部屋のなかでは、いくら毛布をまとっても凍えてしまう。

 何より横になって休まなければ、翌日体が辛くなる。それでなくともリオは、体力があるほうではない。

 ちゃんと休んで欲しい。

 リオにそう伝えたかったが、面と向かう勇気が出ず、寝台の中で悶々としていた。


 レニさま……。


 不意に、暗い世界の中にいたレニの耳に、密やかな声が流れこんできた。

 声を立てずにしばらくジッとしていると、柔らかな感触が厚い毛布越しに伝わってきた。


 リオは毛布にソッと片手を触れさせたまま、聞こえるか聞こえないかくらいの声で、レニに語りかけた。

 その声は、神聖なものに触れる躊躇いと畏れから、微かに震えていた。

 レニは眠りについている。

 そう思っているからこそ、ようやく言葉を紡ぐことが出来ているのだ、ということが伝わってくる。


 レニさま……。

 申し訳ございません。

 あなたを傷つけてしまった。

 あなたが余りに一途に信頼を寄せてくださるから、あなたを自分のものだと、自分のものに出来ると……思い上がってしまった。

 私は、あなたのモノであり、お仕えするという務めがありながらその役目を忘れて、魔物の欲望に負けてしまった。

 この魔物は、身の程知らずにもあなたを求めている。

 あなたを力づくでも奪いたいと望んでいる。

 次にこの魔物が外に出ようとしたら。

 必ず、この身と引き換えに息の根を止めます。

 この薄汚い獣は、あなたの目には二度と触れさせません。


 毛布の上に置かれた、リオの手に微かに力がこもる。

 その声は、確かにリオのものだった。

 だがふと。

 レニは、自分に仕えてくれている美しく優しい寵姫とは、まったく別の人間がいま外にいるような、不思議な感覚を覚えた。

 その人はいつもはどこかに隠れていて、遠くから自分の様子を見守っていてくれる。

 自分に会えたら、側にいられたらと願いながら。


 だから、レニさま……。


 その人の声が囁く。


 「わたくし」が、これからもあなたのお側にいることをお許し下さいますか?

 この命が尽きるまで、この姿でずっとあなたにお仕えすることを……。

 この姿であれば、いつまでも、何があってもお側に置いて愛でて下さると、お約束をいただけないでしょうか。


 お側に……いつまでも、一緒にいてくださいますか?

 「私」の望みは、それだけなのです。

 本当に、ただそれだけなのです。

 レニさま……。


 まるで体を切り刻まれているかのような、苦痛に歪んだかすれた少年の声。


(私も一緒にいたい)

(あなたに触れたい)

(『リオ』……)


 とても遠くにいる少年に応えながら。

 レニは闇の中で深い眠りについた。

 

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