第四章 暗黒街の再会(暗黒街編)

第43話 くっついているとあったかい。

1.


 三人がソフィスと別れ、北に向かう乗合馬車に乗り込んだのは秋の半ばだった。

 それからひと月経ち、季節はそろそろ冬に入ろうとしていた。



2.


 大陸の主要な道路は、敷石によって遥か昔に整備されている。どういう技術が使われているのか、白く滑らかに整備された街道は、何百年経った今でも一向に敷石は劣化することはない。

 それでも木造りの荷台に腰かけ用の台をつけ、風避けの幌で覆われただけの乗合馬車の中は、ガタゴトと揺れ続けた。お世辞にも、乗り心地がいいとは言えない。


 馬車の揺れよりも体に堪えるのは、北に進むにつれて強くなっていく寒さだった。

 太陽の光も入ってこない荷台の中は、薄暗く、隙間から寒気が入って来るためにかなり冷える。

 休憩以外は荷台の中でジッとしているしかないため、体を温める術もない。

 下には粗末な毛布を敷き、厚手のマントをしっかりと体に巻きつけていても、陽の射さない場所にうずくまっていると寒い。


「リオ、大丈夫?」


 レニは、心配そうにフードの陰に隠れたリオの顔を覗きこむ。

 寒いは寒いが、普段よく体を動かし血流が良いせいか、レニにとっては耐えきれないというほどではない。

 だが体が細く、普段の活動量が少ないリオには寒さがいっそう堪えているのがわかる。白い肌は青白くなり、折れそうな華奢な肢体は微かに震えている。艶やかな珊瑚色の唇にも、今は色がない。

 声をかけられると、リオはレニを安心させるように微笑んだ。だが、その笑いも生気が乏しい。


 リオの横に座ると、レニは自分のマントをリオの細い肩を覆うようにかけ、小柄な体を押しつけた。

 体の温かみが伝わったのか、リオの白い頬に僅かに赤みがさす。


「レニさま、わたくしなら大丈夫です。レニさまがお風邪を召してしまいます」


 心持ち体を離そうとするリオの体に、レニはますます強く体をつけた。


わたしも……リオとくっついていたほうがあったかいもん」


 レニは、恥ずかしさを隠すように、反対側を向きながらそう呟く。

 嘘ではなかった。

 リオの体は、血が凍りついてしまったかのように冷えてしまっている。それでもリオと体を寄せ合っていると、レニの心臓は大きく波打ち、鼓動が速くなり、体中が熱くなってくるのを感じる。

 心なしか、リオの僅かにそらされた顔も、そして顔とは反対に遠慮がちに寄せられた体も、寄り添っていると徐々に色づいてくるように感じられる。


 レニはマントの陰でリオの手を探り当て、そっと触れる。

 細い手は先ほどまで冷たい水につかっていたかのように、温かみがなく、ひんやりしていた。

 リオは一瞬、身を震わせて、何かを畏れるかのように手を引こうとした。レニは、リオが躊躇っている間に、その手を握り締めた。


「リオ、寒いから……こうしていていい?」

「……はい」


 リオは僅かに目元を赤らめて、レニの手を僅かな力で握り返した。

 リオを挟んでレニと反対側に座っていたコウマが、目尻を緩ませ、笑みをたたえてリオのほうを見る。


「リオ、俺もあっためてやろうか?」

「お気持ちだけで十分でございます」


 コウマの言葉が終わるか終わらないかのうちに、リオは義務的な平板な口調で答える。


「カーッ、冷てえな。このままじゃ、心まで凍えちまいそうだ」


 コウマは荷台の中で天を仰ぎ、寒い寒いと大仰に言いながらマントの中で両手をこすった。



3.


「明日はいよいよゲインズゲートに着くね」


 夜。

 ゲインズゲートまであと半日という距離の宿場町の一室に、二人はいた。

 寝台に横になったレニは、暖炉の火を始末し終えて側に戻ってきたリオに声をかけた。


「コウマの話だと、凄く大きな街みたいだけれど」

「王都よりも賑やかだと言っておりましたね」


 リオはベッドの脇に腰かけ、レニの言葉に答える。

 終夜灯の淡く弱い光にのみ照らされた空間の中で、その白く美しい顔はひどく神秘的に見える。

 レニは自分を優しく見つめる、その美しい表情にこっそり見とれながら、言葉を続けた。


「王都と川でつながっていて、港もあって、北と南の関所代わりにもなっているから、たくさんの色々な人が集まっているって言っていたよね」


 ゲインズゲートは大陸の東にある、交易路の要の街だ。大陸の東側の商品の流通は、全てこの街を介している。

 物が集まる場所には人が集まり、街ができ、放っておいても発展していく。

 何百年の時を経て、ゲインズゲートは王都と同程度の規模を誇る一大都市になった。

 多くの人間が行き交う場所の常として、治安はさほど良くない。


「表通りはそれほどでもないけどな、裏通りは昼間でも若い娘の一人歩きは危ねえ。レニ、お前はいいけどな、リオを連れてどこかにふらふら行ったりするなよ」


 乗合馬車の中で、コウマには繰り返しそう言われた。

 そのたびに「分かっているよ」と頬をふくらませて返事をしているものの、コウマから裏通りで開かれる怪しげな品物を売り買いする市場の話や、賭場が並ぶ歓楽街の話、そこを行き交う素性も得体も知れない多様な人間たちの話を聞くと、実際に自分の目で見たくてうずうずしてしまう。



「どんな街なんだろう。楽しみだなあ」


 目を輝かせて呟くレニの体に、リオは丁寧な仕草で毛皮で作られた毛布を引き上げた。


「レニさま、明日も早いです。もうお休みになって下さい」

「うん」


 レニは頷いたあと、立ち上がろうとしたリオに思い切ったように声をかけた。


「り、リオ、その……」


 自分に向けられた青い瞳から僅かに視線を逸らして、レニは言葉を吐き出した。


「そのっ、さ、寒いから、い……いっ、一緒のベッドで……寝たほうが良くないっ?! ゆっ、床で寝たら、冷えるしっ」


 リオはハッとしたように、レニの赤くなった顔を見つめた。

 だがすぐに、緑色の光彩が浮かんだ青い瞳を見られまいとするかのように顔を伏せる。

 レニは慌てて、言葉を続けた。


「リオ、寒くて寝られないんじゃない? ふ、二人で寝たほうが、わ、私も暖かいし。よ……よ、良かったらっ」


 リオは俯いたままジッとしている。

 薄闇の中を流れる沈黙の重さに耐えきれずレニが再び口を開こうとした時、リオがゆっくりとレニに向かって頭を下げた。


「レニさま、もったいないお言葉ですが、私のことはお気遣いいただかなくても大丈夫です」


 レニは一瞬瞳をしばたかせたが、さらに言い募った。


「う、ううん、そ、その、リオもそうだけど……わ、私も寒いから……」


 再び密やかな沈黙が流れた。

 レニは顔を緊張で強張らせて、俯いたまま表情が伺えないリオの姿を見つめる。

 夜の暗闇の中で、リオはさらに頭を深く下げた。


「申し訳ございません、レニさま。そのことはご容赦下さい。分を弁えない言い分ではございますが、どうか……」


 絞り出すように囁かれた言葉は、抑えようとしても抑えきれない苦しげな響きに満ちていた。

 その響きに胸を突かれて、レニはそれ以上何も言うことが出来なくなった。

 

「う、ううん、いいんだ。ご、ごめんね、変なことを言って……。私、寝相も悪いし、リオも一人のほうがゆっくり寝れるよね! おっ、お休み!」


 それまでの言葉を打ち消すように急いでそう言い、返事を待たずに毛布を頭まで被る。

 毛皮の毛布は外界の冷気を遮断する厚さが十分あるのに、何故か体の芯が冷たく、凍えるような心地がした。

 それでいながら、顔は羞恥のためにのぼせたように熱くなっている。

 リオの苦しげな声を思い出すと、脳が沸騰しそうな心地がした。


 主人に尽くすことに強い使命感を抱いているリオが、あんなにはっきりと断るほどとんでもないことを求めてしまったのだ。

 

 そう思うと恥ずかしくて辛くて、胸がキリキリと痛んだ。

 このまま消えていなくなれたら。

 そう思い、レニは光がない毛布の中で、目を固く閉じ体を可能な限り縮こまらせた。

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