第41話 魂は残る

22.


 隊商が出発する時刻になっても、レニとコウマは戻って来なかった。

 荷馬車に乗り込もうとせず、二人が帰ってくる方角をただひたすら見つめて立ち尽くしているリオの下へ、ソフィスがやって来た。

 美しい女性の姿に戻ったリオの横顔を見つめて、ソフィスは言った。


「そろそろ、馬車に戻ったほうがいい」


 リオは、青い瞳で遠くを見つめたまま答える。


わたくしは、ここでレニさまが戻られるのを待ちます」


 ソフィスは何も言わずに、近くにあった大きな石の上に腰を下ろした。

 柔らかな陽射しの中、時折緩やかな風が吹き、リオの長い黒髪や長衣の裾を揺らした。


 レニが、もし帰って来なかったら。

 リオの心に、そんな考えが浮かんでは消える。


 山の中腹の村まで行く、と言ったのは嘘で、どこか別の世界にコウマと一緒に旅立ってしまっていたら。

 そうだとしたら、自分はどうするのだろう?


 その疑問に対する答えは、いつも揺るがない巌のようにリオの心の中に存在していた。


 そうだとしても。

 自分は、いつまでもここでレニを待ち続けるだろう。

 命が尽きるまで、否、尽きてもこの姿形が消えてもなお、レニと離れ離れになったこの場所で。


(君は今、魂を削っている)


 この姿が消えても、魂は残る。

 レニと出会うことによって削られた魂が。


「ソフィスさま」


 リオは眼差しを動かさないまま、艶やかな唇を動かした。

 ソフィスが顔を上げると、リオは言葉を続ける。


「あなたは、私を美しいと言ったことがない。何故ですか?」


 ソフィスは、彫刻のように完璧な輪郭を描いているリオの横顔を見つめながら答えた。


「君は美しい。私には生きているものは全て美しく見える。姿形は関わりがない」


 リオは青い瞳を動かさないまま、微かに頷いた。

 それからしばらく沈黙が流れた。

 遠くから、隊商の出発を告げる声が聞こえてきた。


「ソフィスさま、行ってください。私のことは心配なさらなくて大丈夫です」


 リオの言葉に、ソフィスは首を振った。

 遠くの隊商の様子には関心を払わず、ただリオと彼が見つめている方角のみを注視していた。


 リオがもう一度、ソフィスに行くように促そうとしたとき、ソフィスの茶色の瞳が軽く見開かれた。

 リオはその様子につられたように、慌てて今まで自分が見ていた山のほうへ振り返る。

 遥か遠くから、小柄な人影が全速力でリオとソフィスのほうへ向かって走って来る。

 リオは青い瞳を大きく見開いて、自分のほうへ向かってくるその人影を食い入るように見つめた。

 リオは、二歩、三歩とよろめくように足を前に踏み出す。


「レニさま……!」


 呟いてから、リオは大声でレニの名前を叫び、長衣の裾を翻して駆けだした。

 レニもリオの名前を呼び、差し伸べられたリオの腕の中に勢いよく飛び込んだ。

 自分にしがみついてくるその小柄な体を、リオは力の限り抱きしめる。


「レニさま!」


 息が詰まるほどきつく抱きしめられながら、レニは同じようにリオの体を抱きしめその胸に顔を埋めた。


「リオ! ごめんね。置いて行って、ごめん!」


 リオはレニの存在を確かめるようにその赤い髪に顔を埋め、首を振る。

 二人はそれ以上何も言わず、ただお互いの存在にしがみつくように、固く抱き合った。


 レニの後ろから息を切らしてやって来たコウマが、抱き合う二人に呆れたように目を向けた。


「お前ら、たった半日かそこら離れていただけで、よくそんなに盛り上がれるな」

「後続の馬車の出発には間に合いそうだの」


 ソフィスがコウマの傍らに立ち、お互いしか目に入っていないようなリオとレニの様子を見て、顎を撫でて笑った。


「仲が良くて何よりだ」

「ったく、リオの奴、少しは俺の心配もしてくれても良さそうなもんだけどな」


 拗ねたようにぼやくコウマの肩を、ソフィスが宥めるように何度か叩いた。


「君にもそのうち現れるさ」

「あん?」

「魂を削るような相手がな」

「たましいぃ? 何の話をしてんだ、爺さん。天国からお迎えでも来たのか?」


 気味悪そうに自分の顔をジロジロと見るコウマに向かって、ソフィスは楽しげな笑い声を上げた。


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