第38話 神さまの領域
17.
コウマが村の人間を引きつれて、農奴たちから襲われた場所に戻ったとき、レニは一人で死んだ男の側に立ち尽くしていた。
コウマは急いでレニの側に駆け寄り、その顔を覗きこんだ。
「レニ、大丈夫か! 怪我はないか!」
「……大丈夫」
レニは、喉から血を流し、瞳を見開いて死んでいる男を見下ろしながら、小さな声で呟いた。
「死んでいるのか」
倒れている男が事切れているのを確認してから、立ち上がりレニに尋ねた。
「コウマの話じゃ、仲間がいたようだが」
視線を動かさないままレニは頷く。
それを確認すると、家主の男は村の男たちに無言で頷きかけた。男たちはてんでバラバラに、辺りに散らばっていった。
「山狩りをしなきゃらならん」
家主の男は光が届かない黒々とした木立の向こう側に視線を向け、誰に言うともなく言った。
「脱走した農奴か。領主さまにも届け出ないとな」
「俺たちが村に行く途中に見かけた奴らだと思う」
「人を襲ったんじゃあな。見逃すわけにはいかん。放っておけば、村も危ない」
そう固い口調で言うと、家主の男は仲間たちの後を追った。
「レニ、大丈夫か?」
男が離れると、コウマは何も言わずにジッとしているレニにもう一度声をかけた。
倒れている死体のほうに視線を向ける。
「お前がやったのか?」
微かに頷いたレニの肩に、コウマは手を置いた。
「わりぃな、助けてもらって」
レニはゆっくりと顔を上げてから、首を振った。
コウマは視線を僅かにそらし、静かな口調で尋ねる。
「初めてか? 人を殺したのは」
レニは黙っていた。
人を殺したのは初めてではない。
それどころか、今まで必要であれば何人も殺してきた。
殺さなければならない時は、決して躊躇うな。
戦いの鉄則として、そう教え込まれて生きてきた。
それなのに。
一体、何がこんなに引っかかるのか。
自分でもわからない。
レニは地面に転がる、事切れている男の姿を見つめる。
先ほどまで溢れ出ていた血は、既に赤黒く固まり始めている。大きく見開かれた黒い瞳は、驚愕と僅かな怯えが浮かんだまま時間の歩みを止めていた。
その顔を見つめているうちに、心の中にほっそりとした美しいリオの姿が浮かびあがってきた。
(リオ……)
そうだ。
自分は、あの農奴たちに会った時から、ひたすらリオのことだけを考えていた。
(もし、誰かひどい人が主人になったら、リオもあの人たちみたいに逃げて……人を襲って……)
まったく似ているところなどない農奴の男たちが、リオであるように思えた。
自分はリオを斬ってしまったのかもしれない。
その思いをどうしても振り払うことが出来なかった。
レニは男の動かない瞳を見つめたまま、言った。
「コウマ、言っていたよね? 農奴の人たちは、何も考えていないし……興味もないって」
隣りに立つコウマではなく、もっと遠くに言葉を届かせようとするように、レニは言葉を続ける。
「そうなのかな? あの人たち、何も考えていないのかな? そんな余裕がなくて……目の前のことだけに精一杯で、だから人を襲うしかなくなって……」
「レニ」
コウマはレニの言葉を遮るように名前を呼んだ。
だが、それ以上続ける言葉が見つからず、悩むように布を巻いた黒髪を乱暴に掻く。
「それは俺にもわからねえよ」
物問いたげに自分の顔を見つめるハシバミ色の瞳をコウマは一瞬見つめ、すぐにまた宙を眺めた。
「俺もそいつらの立場だったら、同じことをしたかもしれねえ。しなかったかもしれねえ。でも、俺はそいつらじゃない。俺だったらどっちだったかなんて、いくら考えたってわかんねえよ。それは商人が考えることじゃねえ。神さまの領域だ」
コウマは顔を上げ、山を下りる方向へ体を向けた。
「俺たちは、昼前に山を下りなきゃいけない。俺が考えていることはそれだけだ。俺だって、目の前の、自分のことしか考えられねえ。そいつらと同じだ」
コウマは自分の気持ちをどう表していいかわからない、という戸惑いを瞳に浮かべながらも、レニの顔を真っすぐに見つめて口を開いた。
「俺もそいつらもお前も、神さまから見たら立っている場所はそんなに変わらねえよ。たぶんな」
「うん……」
レニは俯いて、地面に倒れている男の顔をもう一度見つめた。
それからゆっくりと遺体の横に膝まずき、丁寧に鎮魂の礼をする。しばらく瞳を閉じたあと、何かを振り払うかのように勢いよく立ち上がり、コウマの後を追った。
自分の隣りを歩き出したレニに、コウマは赤く熟れた木の実を差し出す。
「食えよ、時間がねえから、食事は歩きながらだ」
レニが木の実を受け取り食べ出す様子を見てから、コウマは言った。
「あの村の農奴の子供たちにもらったんだ。いつもくれるんだ。菓子や玩具と交換だって言ってな。朝から集めて待っているんだよ」
コウマは笑った。
「大したもんだろ」
「うん」
レニは頷く。
木の実の甘酸っぱさが口から体内に広がり、涙がにじみそうになった。
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