第13話 ずっと一緒。
15.
船の外では、港町の喧噪を見ながら、レニが落ち着かない気持ちでリオのことを待っていた。
サイファーに「リオと少し話がしたい」と言われたときは、「自分が口出しをすることじゃない。リオが話したいなら話せばいい」と鷹揚に答えたが、内心では不安で仕方がなかった。
サイファーに「リオは、お前が行けと言うなら行くと言っているんだよ」と言われたので、仕方なく「話を聞いてきたら」と言ってリオを送り出したのだ。
16.
レニは、ここ数日、何度も思い浮かべてきた先日の出来事を思い出す。
余りに考えすぎて、そのうち記憶が焼ききれてしまうのではないかと思うほどだった。
抱きよせられた時のリオの胸の温かさや、自分の髪や指を撫でる時の優しい手つき、そして何より唇や舌の柔らかさを思い出すと、そのたびに沸騰しそうなほど顔が熱くなり、全身が甘やかな感覚で支配される。
一体、リオはどういうつもりだったのか。
リオの気持ちが気になってたまらず、しかしいざ側にいられるとあの時のことを聞くどころか、ろくに目も合わせられず、まともに口もきけなかった。
恥ずかしさの余り、リオを外に追い出してしまうのだが、そうしたあとで「もしやサイファーのところへ行くのでは」と思い至り、後悔してやきもきする、ということを二、三日繰り返した。
しかし日がたつにつれて最初の異常な興奮が落ち着いてくると、自分とは対照的に、リオの態度は以前とまったく変わらないことにレニは気付いた。
リオは普段通り穏やかで優しく献身的で、レニに対して恭しい態度で主人として接した。
リオの態度の余りの変わりの無さに、レニはもしかして自分は夢でも見たのではないか、と思い始めていた。
もしくはリオにとっては、「主人に薬を飲ませる」という奉仕以上の意味合いはなかったのではないかと遅ればせながら思い至った。
そうだとすると、リオはサイファーとの話に、何か心を動かされるかもしれない。
そう考え始めると不安で、いてもたってもいられない心地だった。
様子を見に行ってみようか。
いや、「話したければ話せばいい」と言って送り出しておいて、さすがにそれは情けなくはないか。
そんな風に、レニが立ったり座ったり、あちこちを歩き回ったり煩悶しているところへ、リオが戻って来た。
人混みの中を遠くから歩いて来ても、リオの姿はすぐにわかる。
レニの目には、淡い燐光を発しているかのように見えるのだ。
リオも遠目ですぐにレニに気付いたようで、見えない糸に手繰りよせられるように、迷いなく真っ直ぐにレニの下に辿り着いた。
「レニさま、お待たせいたしました」
リオは恭しくレニの手を取り、軽く膝を曲げて頭を下げる、貴人に対する略礼をした。
「参りましょう」
「リオ」
リオに促されるままに歩き出しながらも、レニは口の中で呟いた。
「あの……いいの?」
「何がですか?」
「その……船長さんのこと……」
リオは、小柄なレニの顔を覗き込むようにジッと見つめる。
それから唐突に微笑んだ。
「安堵いたしました」
「え?」
「レニさまが元気になられて」
リオの言葉に、レニは笑顔になった。
「うん、ありがとう。リオのおかげだよ」
「勿体ないお言葉です。私はレニさまにお仕えするためにいるのですから、礼などなさらなくともよろしいのです」
レニさまが元気で笑顔でいて下さることが、私の一番の喜びなのです。
リオはそう言って笑った。
レニはハシバミ色の瞳を、何度か瞬きさせた。
「どうかされましたか?」
「うん……いや、その……」
一瞬、リオの表情が、普段の控えめで大人しやかな女性めいたものではなく、年相応の少年のようなものに見えた。
だがそのことを指摘することが気恥ずかしく、レニは首を振って誤魔化した。
「何でもない」
それから先に立って歩き出す。
まずは宿屋か組合所で情報を集めなくてはならない。いや、その前に活気に溢れて賑やかな市場を見てみたい。
リオが戻って来てくれた安堵がひと段落すると、初めて目にする港町の喧騒に胸が高鳴り始めた。
リオは、興奮で瞳を輝かし始めたレニの様子を微笑みながら見つめた。
今にも駆け出そうとするレニを引き留めるように、声をかける。
「レニさま、私が先日申し上げたことを、覚えていただいていますか?」
「先日?」
「レニさまが、私のことを疎ましく思うまでは、お側に置いて下さるとお約束いただいたことを」
言われた瞬間に、唐突にその時の状況が頭に浮かんでしまい、レニは顔を真っ赤にして下を向いた。
一瞬にして、額から汗が噴き出す。
まさか、リオの口からその話が出てくるとは。
レニは俯いたまま、何度も首を頷かせた。
「う、うん、うん、お、覚えている……覚えているよっ」
隣りでリオが、安堵したように小さく息を吐き出した気配を感じた。
レニは、思い切って崖に飛び込むような気持ちで言った。
「わ、私が……リオのことを嫌になるなんてこと、ないから! 絶対に!」
リオはどこか感情が抜け落ちたような、ひどく静かな口調で言った。
「ですが、例えば、レニさまに好ましいお方が出来たとしたら、そういう方が現れたとしても、それでも私をお側に置いて下さいますか……?」
「え……?」
レニは絶句した。
「好ましい方が出来る」ことを想定する、ということは、リオ自身がそうなる可能性はない、と言外に言っているようなものではないか。
やはり、リオにとって自分は「いま現在、仕えている主人」に過ぎず、それ以上の気持ちはないのか。
ここ数日、舞い上がるような夢見心地な期待と、それとは裏腹の焦燥と不安に心が休みなく翻弄されていた反動から、レニは落ち込んだ気持ちで肩を落とした。
「レニさま」
レニの返事を待つリオの青い瞳には、ひどく緊張した固い決意が浮かんでいた。
レニはそのことには気付かないまま、自分の思いを辿る。
ただの主人としか思われていないにしても……、リオはずっと側にいてくれると言ってくれたのだ。
一時、恋人関係だった……らしいサイファーよりも、自分と一緒にいることを選んでくれた。
それだけでも皇宮にいた頃と比べれば、夢のような話ではないか。
レニは、リオの繊細な容貌を見上げて頷いた。
「うん、何があっても、私はリオにずっと一緒にいて欲しい。それに……」
レニは言葉を続けようとしたが、リオに物問いたげな眼差しを向けられて、僅かに頬を染めて目を逸らした。
(『好ましい方』なんて、もうずっと前からいるよ)
(私……リオを初めて見た時から、ずっとリオのことが好きだもん)
いつか、そうリオに伝えられるだろうか。
そう言ったら、リオは何と言うだろう。
「レニさま?」
「な、何でもない。リオ、行こう。しばらく港町の市場を見て回ろうよ。きっと、美味しいものとか珍しいものがたくさんあるよ」
レニは笑いながら、リオに手を差し伸べた。
リオは少し躊躇ってから、寂しげな表情を消して、差し出された手の上に白い手を重ねた。
レニは、その手をしっかりと握りしめる。
「まずは今日から泊まる宿を探そうか」
レニが辺りを見回すと、一軒のこじんまりとした、どこか温かい雰囲気を漂わせた宿屋が目に止まった。
一階は食堂になっており、賑やかな声がレニたちがいる場所まで伝わってくる。
路地に出ている木の看板には、「海鳩亭」と書かれている。
「あの宿を見てみますか?」
レニがその宿の雰囲気と温かい賑やかさに心惹かれていることに気付いたリオが、控えめな様子で尋ねる。
「うん、行ってみよう」
レニはリオの手を引いて、宿屋「海鳩亭」に向かって駆け出した。
(第二章「港街ゆったり滞在記」へ続く)
★中書き★
「レニ&リオ」を読んでいただきありがとうございます。
よろしければブクマ、評価、感想などをいただけると大変励みになります。
次回、第二章では、二人は船で到着した港町に滞在します。
引き続き二人の旅にお付き合いいただければと思います。
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