第12話 この身を捧げる


14.


 ナグファル号は無事に航海を終え、大陸の最南東部、東方世界の入り口に位置する港町フローティアに着いた。

 積み荷の点検を終え、他の交易船や陸上キャラバンへの運搬を指示し終えると、サイファーは船長室で待っていたリオの下へやって来た。


「待たせたな」


 自分を迎えるために立ちあがり礼をしたリオに座るように促してから、サイファーは長椅子に腰を下ろした。

 自分の目の前に座る者の幻想的な姿に、しばし讃嘆の眼差しを送る。

 問いかけるように緑色の光を帯びた青い瞳を向けられて、サイファーは思わず口を開いた。


「どうしても行くのか」


 口に出してから、自らの言葉に失笑を漏らす。

 ルルドの大海を股にかけるナグファル号の主サイファーともあろう男が、こんな風に誰かに未練がましくすがることがあろうとは思いもしなかった。

 だがどうしてももう一度、この月の精霊のような美しさを持つ寵姫と話がしたかった。


 リオはサイファーの端整な顔立ちを真っすぐに見つめて、微笑んだ。


「船長さまには、我が主人が大変お世話になりました。御礼を申し上げます。おかげさまで主人も快気し、無事に旅を続けることが出来ます」

「お嬢ちゃんにも言ったがな、この世界は世間知らずのお前らが、二人だけで旅を続けられるほど甘くねえぞ」


 リオは表情ひとつ動かさず、ただ微笑んだままサイファーの顔を見つめている。

 リオが何も言わないので、サイファーは言葉を続けた。


「俺も別に聖人君子じゃねえからな。お前らが必要なものを与えて、それに見合う対価を取った。でもこの世界には、相手が困っているとみりゃあ、対価以上のものをむしり取ろうとるする奴だっている。むしろそういう奴のほうが多いくらいだ。

 今回みたいなことがまた起こったらどうすんだ? お前、そのたびにそういう奴らに自分を差し出すのか?」


 いくばくかの沈黙のあと、リオはサイファーの顔を見つめたまま、ゆっくりと淡く色づいた唇を開いた。


「船長さまには、感謝しております」


 リオは、ここにはいない人物のことを思い浮かべているかのような表情で、白い手をそっと胸に当てた。


「あなたは、私のこの身体を、主人のために役立たせて下さった。私があなたのお側に侍ることで、主人は寝床で安らえることが出来、薬や食事をいただき、元気を取り戻すことが出来ました。私でも、あの方のお役に立つことが出来る、あの方の足手まといになるだけの存在ではない、それが分かりました」


 リオは顔を上げ、青い瞳でサイファーの姿を捕らえた。


「あなたはお優しい方です。ですが、私があなたの情けをお受けしたのは、あなたが優しい方だからではございません。私はこの先、あなた以上に卑しく情けや容赦のない相手にも、あの方のためなら喜んでこの身を捧げます」


 その美しい顔に、柔らかく何物にも犯しがたい気品を潜めた微笑みが浮かぶ。


「この身を挺して、あの方をお守りいたします」


 リオの表情も声も特に気負った様子もなく、普段通りの静かなものだった。

 だが夜の湖面のようなその瞳の奥では、蒼白い炎が音もなく揺れていた。

 サイファーはしばらくリオの姿を、まるで初めて見たかのようにまじまじと見つめる。


 従順でたおやかな美しい女の姿の奥底に閉じ込められている、この炎に焼き尽くされてみたい。


 そんな思いに心を掴まれ、蒼い炎のような瞳から目が離せなくなる。

 そのことに強い誘惑と恐怖を感じる。 


 サイファーは、自らの感情から無理やり身をもぎ離すように立ち上がった。

 奥の棚から拳ほどの革袋を持ってくると、リオの目を見ずに、それを手の上にのせる。


「持っていけ」


 怪訝そうなリオに向かって、サイファーは横を向いたまま愛想のない声で言った。


「お前の働きに対する支払いだよ。あんな小汚ねえ部屋の値段にしちゃあ、楽しませてもらいすぎた。俺は商人だ。いい物に対しては、それ相応の値を払う」


 袋を開けると、袋の半ばまで深い光を放つ金粒が詰まっていた。

 それ一粒で、安い宿ならばゆうに半月は過ごせるだろう。


 顔を上げたリオに向かって、サイファーは忌々しそうに言った。


「いいか。絶対にそれを人前で出したりするなよ。支払うときは人気のないところで出してから、一粒ずつそれしかないようなフリをして出せ。あのお嬢ちゃんはどこか抜けているところがあるからな、そういうところはお前が守れよ」


 サイファーは他にも何か世間について訓戒を与えたものか悩むような顔をしたが、やがてそんな自分を馬鹿にしたように笑った。

 その表情のまま、サイファーは目の前の美しい少年に向かってにやりと笑いかけた。


「せいぜいご主人さまを大切にな、リオ。お嬢ちゃんのお守りに飽きたら、いつでも俺のところに来いよ」


 サイファーの言葉にリオは柔らかい笑みを浮かべた。

 胸に革袋を抱いたまま、その場で優雅に一礼すると、リオは身をひるがえして部屋から去っていった。


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