第5話 作られし者


5.


 ザンムル王国の最南東部、東方世界の入り口に向かう商船ナグファル号の航海は、今のところ順調だった。


 ナグファル号の船長サイファーは満足そうに、酒の入った杯をあおる。

 出航直後の最初の三、四日は海が荒れて冷や冷やしたが、海の様子や風向きを見ると、予定通りの日数でフローデ自治領の港町フローティアに到着しそうだ。


 豪華な調度を揃えた船長室の卓には、船旅とは思えないほど様々な料理が並んでいる。

 生きているうちは、得られるだけのものを得て人生を楽しむ。

 それが二十代半ばで自らの船を手に入れた、この男のモットーだった。

 

 海を渡るという危険を犯して、内陸ルートよりも早く大量の積み荷を運ぶことで、サイファーは巨額の利益を得ていた。

 南方世界との境界にあるオルムターナ公国の目も彩な織物や香水や衣服、北方に位置するドラグレイヤ公国の毛皮や革製品、魚や肉、鉄器具。

 豊かな穀倉地帯を抱えるレグナドルト公国の小麦やライ麦、乾燥させた穀物、西方世界から運ばれた砂糖や宝石、野菜の苗や種、珍しい果実。


 それらを積み、大陸の最南東部に位置するフローデ自治領や東方世界へと運ぶ。

 そして東方世界から運んできた茶やコメ、生薬の材料になる植物、香辛料や鉱石などを大陸本土の商人に売りさばく。

 積み荷を運ぶと同時に、東方世界の行く、もしくはザンムルに戻って来る商人、学生がくしょうや巡礼者も運んでいる。

 大きな船で客層も比較的良いので、こちらのほうでも順調に利益が上がっていた。



6.


 サイファーが干した杯を卓に置くと、側に控えていた女が目立たない所作で酒を注いだ。

 女の美しい横顔に目をやりながら、サイファーは口を開いた。


「ご主人さまは良くなったか」


 女は瞳を伏せたまま、静かな声で答えた。


「はい。主人から船長さまへ、薬の御礼を言付かっております」


 サイファーは返事の代わりに、女を自分の手元に引き寄せた。

 女は特に逆らう様子もなく、引き寄せられるがままにサイファーの腕の中に収まる。

 質素な長衣の上から撫でても、引き締まった美しい肢体であることが感じ取れる。

 衣に覆われていない部分からのぞく肌は驚くほど白く、触れるとしっとりと吸いつくような弾力がある。

 

 男を狂わすためだけに作られた、淫蕩な肉体だ。


 リオが初めて自分の下を訪れた時から、サイファーにはすぐにわかった。

 一見、風にも当てられぬように育てられた深窓の姫君のように見える目の前の者が、王族や大貴族への献上品として「作られた」高級娼妓であることを。


「昼間は清楚で気品に満ちた姫君が、夜になるとあらゆる技術と手管で男を楽しませる娼妓となる」 


「地上の楽園・眠らない街エリュア」で「作られる」高級娼妓は、性的奉仕の技術だけではなく、歌や楽器、踊りなど、主人を楽しませるのためのありとあらゆる芸妓を仕込まれる。

 さらには表向きは王族の姫君といっても通じる気品と教養、宮廷作法を身につけさせられる。

 自分の「持ち主」に奉仕するためだけに、赤子の時から育てられるのだ。

 その中でも特に抜きんでた能力を持つ者は、体重と同じ目方の黄金で取引されるとも言われる。

 ただ金を積めば手に入れられるわけでもなく、献上する相手を選ぶことでその「品質」を保っている。

 この娼妓を献上されることは、稀少な宝石や芸術品を贈られるのと同じくらい、貴族の間では名誉とされていた。


 サイファーも実物を見たことは数えるほどしかなく、ましてや手に触れることなど初めてだ。

 目のまえに立たれているだけで、触れたい、手に入れたいという欲望が身体の内部で膨れ上がり、その妖しい魅力にからめとられ幻惑されていくことが分かる。



7.


 リオが初めて船長室を訪ねてきたのは、船が出航した翌日のことだった。


「主人の具合が悪いので、ベッドのある個室を貸して欲しい」


 物静かな態度の中に、どこか強い意思を感じさせる態度でそう言われて、サイファーは考え込んだ。

 リオの美しい容姿と魅力的な身体を無遠慮な眼差しで上から下まで眺めてから、おもむろに口を開いた。


「脇にある使い走り用の小部屋でよければ、空いている。貸してやってもいいがな」


 サイファーはそこで言葉を区切ると、リオに美術品を愛でるような賞賛の眼差しを向けた。

 リオは深い青の瞳を伏せた。

 サイファーの眼差しの意味や言外に言いたいことが、明確に伝わっているようだった。

 人に品定めされることも、「商品」として扱われることも明らかに慣れている。


「私のことをご所望であれば、お側に上がります」


 ただ。

 と、リオは言葉を続けた。


「私は男です。それでも構わなければ」


 サイファーは仄かな灯りの中に浮かび上がる、目の前の細い姿を見つめ直した。

 どう見ても女……しかも、サイファーが今まで見た中で最も美しい女にしか見えない。

 声は多少低いが、この姿ならば女のものと言われれば疑わないだろう。

 何よりも所作のたおやかさや妖しい魅力を放つ雰囲気が、目の前の者に性別に左右されない魅力と美しさを与えていた。


「ちゃんと楽しませてくれるなら、男だろうが女だろうが構わねえよ」


 サイファーの言葉に、リオは黙って目を伏せた。


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