同郷出身者との出会い

「エルフレーダ様、何をなさっているのです?」

「うぎゃああああっ!!」


 おおよそ、淑女らしからぬ悲鳴を上げて、私は椅子から転げ落ちた。

 私以外誰もいないと思っていた部屋で、急に声をかけられたらそりゃ、びっくりする。

 衝撃で舞い上がる紙束、いや、私の作品たち。

 尻もちをついて咄嗟に立ち上がれない私の代わりに、きれいな指先が一枚ずつ拾いあげていく。


「これは、えっと! これはですね!!!!」

「……」


 えっと、なんて説明しよう。

 この世界……――、乙女ゲーム『ロイヤル・プリンスラヴァーズ』の女神様に頼まれて、『面白い別の物語』を作るために悪役令嬢、エルフレーダ・クローネリアのプレイヤーになったこと。

 本来の私……――、現代日本に生きる美奈坂詩音は現在、交通事故により意識不明の重体の状態。美奈坂詩音として生還するため、女神様との約束を果たそうと、面白い物語を作り出すエルフレーダの人生を生き始めたのだけれど。

 色々と生きづらいことがたくさんあった。一番つらいのは、娯楽がないこと。


 なぜだかこの世界には、『小説』と呼べる物語の数が圧倒的に少なかった。

 レディーがジェントルマンに好かれるためのマナー本なんかの実用書、素敵なお料理のレシピなどは、存在するけれど物語の本がほとんどない。

 それに、私の大好きな趣味だったアニメやミュージカルもない。

 圧倒的活字不足。私は、とりあえず現代日本で読んだこともなかった実用書をかき集める羽目になった。幸い、お金持ちの家だから買うの自体は苦労しなかったけど。


 交通事故に遭う前の私は、小学生の時から好きだった物語作りにいそしみ、挙句『作家になる』と宣言して正社員生活にピリオドを打った人間だ。

 たくさんの本を読み、たくさん物語を書いていた。

 だから急に物語が少ない場所に送り込まれても、物語を書かずにはいられなかった。

 とはいえこの世界にはワード文書も、小説投稿サイトなんてものもない。

 小説賞なんてものもなければ、出版社がないので原稿持ち込みも不可。

 だから「物書き」「作家」という職業自体が存在しないような気がした。

 でも、物語は書きたいからとりあえず、羊皮紙に小説を書き綴っていたのだ。


「……」


 児童文庫小説賞と、女性向け文庫小説を多く書いていた私が、この世界に来て書き始めた小説を彼……――、エルフレーダ付執事であるエドワード・クロステリアさんは、最初、しかめ面で目を通した。

 しかし次第に、その目が驚きの表情に変わる。


「ごめんなさい、勉強もせずにこんなものを……」


 小説の絶対数が少ないこの世界で、そもそも物語を作ろうという発想は出てこない。なのに、こんな行動をしていたら変人と思われてしまうかしら。

 そうなれば、婚約破棄イベントより先に、婚約破棄を突き付けられかねない。


 現在、エルフレーダ・クローネリアは、十六歳。

 現代日本で言えば、花の高校生ってところ。

 婚約者、クルト・コーンウィル様との婚約イベントは、十歳の頃に済んでしまっていて、婚約破棄イベントはあと数週間後。

 そんなまだまだ味方も敵もよく分からない状況下で、自分付の執事を敵に回すなんて、嫌すぎる。なんとか相手に不信感を抱かれないようにこの場を切り抜けないと。


 そう思っていたら、エドワードさんは厳しい顔をして言う。


「駄目ではないですか、勉強もせずに落書きなどしては」

「面目ない」


 面目ないって、ちょっとよろしくない物言いだっただろうか。

 そんなことを思ったけれど、そこは気にも留めずにエドワードさんは、他のメイドに声をかけた。


「わたしは少し、お嬢様と二人きりでお話をしたく思います。席を外して頂けますか」


 少しウェーブがかった茶髪に金糸雀色の瞳。執事という肩書でさえなければ、貴族からも声がかかるだろう美貌。

 そんな王子様的風貌の人間につややかな美声で声をかけられれば、メイドも陥落。いそいそと席を外していく。


 ああ、怒られる……どう言い訳しよう、そう思っていたら。


「気を付けてください」

 腰に手を当てて、これ見よがしにため息をつくエドワードさん。

「すみません」

「他の、この世界でしか生きたことのない人にバレたらどうするんですか」

「はい?」


 少し、予想外の言葉が聞こえてきたので、思わず聞き返したけど、無視される。

「……ラノベを書いてください」

「わんもあたいむ、ぷりーず?」


 人目をはばかりつつ(もうこの部屋にでは私たち以外いないけど)、小声でささやかれた単語。

 その想像を絶する言葉を耳にして、私はとうとう頭がおかしくなったのかと思う。


「ですから、ラノベも作ってくださいお願いしますと申し上げております」


 大真面目な顔で、私に告げるエドワードさん。

「ラノベ……。この世界に、ライトノベルは存在するんですか!?」


 まるで宇宙人がいると言われたレベルの衝撃。あるなら読みたい。ぜひ読みたい。

 そう思って思わず口走ってしまったけれど。あわてて口をおさえる。

 そんな私の様子は気にもかけず、エドワードさんは大きなため息をつく。

「ありません、ラノベは」


 じゃ、なぜそんな言葉を。そもそも、その文化がないのになぜ、『ライトノベル』という言葉をご存じで??

 おそらく、私が不思議でたまらない、といった様子で彼を見上げていたからだろう、エドワードさんが言う。


「ラノベどころか、物語の本自体、わたしの知る限り、この世界にはほとんどありません。ですが、あなたはラノベという単語が、ライトノベルだとすぐに気づいた。この世界には、ラノベなんてないのに、です」

「はい」


 そう、私が生きていた世界では、『ラノベ=ライトノベルの略称』というのが当たり前だったし。


「ラノベが分かるあなたは……――、この世界の住人ではありませんね?」

「……そうお聞きになるあなたも、この世界の住人ではないという認識でよろしいでしょうか」


 私がこの世界の住人でないということを明かすのには、リスクがある。

 相手も、


 すると、エドワードさんは納得した様子で頷いた。


「これはこれは、失礼しました。……相手に問う前に、自分の仔細を明かすべきでした。……僕は、この世界の住人ではなく日本人です」


 それを聞いて少し安心する。日本、というワードがこの世界に存在しないとは限らない。何か日本について質問するべきか……と考えあぐねていると、向こうから言葉を続けてくれる。


「日本での名は、黒瀬恭哉と言います。ごく普通の、サラリーマンでした。年齢は、ちょうど三十路で絶望を抱えたオタク、といったところ。趣味はアニメと読書、ゲームが趣味で、若干周りから引かれていたと自負しています」


 うん、日本人名だ。間違いなく。そう思ったら、体から力が抜けた。


「それを聞いて、話す決心ができました……。お察しの通り、私は日本人です」


 そう答えると、エドワードさんもまた、安心したような表情を浮かべる。


「ああ、よかった。これで実はあなたが日本人じゃないとなったら、どうしようかと思いました」


 エドワードさんのプレイヤーである黒瀬さんも、私と同じ不安を持っていたんだ。まぁそうだよね、自分の大きな秘密を握られちゃうってことだもん。


「私は、美奈坂詩音という名前で、年齢は二十八。正社員三年目にして、正社員生活に嫌気がさし、趣味で書いていた小説を仕事にしようと、小説新人賞に応募し始めるフリーターとなりました。こちらもすでに、三年目。ちなみに周りが結婚し始め、母親になった友人の赤ちゃんを見て、生命の神秘を感じていた時期でした」

「何も、そこまで話せとは言ったつもりはありませんけどね……?」


 大きなため息をつきながらエドワードさんは、私の目線にかがんだ。


「物語の作り手に出会えて、光栄です。これからよろしくお願いしますね」

「こちらこそ、同じ場所出身の方に出会えて安心しました。よろしくお願いします」


 こうして、エドワード・クロステリアのプレイヤーである黒瀬恭哉さんと、私は縁を結んだのだった。

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