第4話 武器を名乗る少女
「君が、俺の、武器?」
目の前に立つ少女に未だ目を見開いたまま瞬きすら忘れてそう訊き返していた。彼女の言ったことを復唱しただけで、しかも主述がはっきりとした簡単な文章。けれど、俺の頭がそれを理解するにはもっと時間が必要だった。
「はい」
「武器ってのはいった――ッ」
背後からドシンという物が落ちる大きな音が鳴った。ネズミ頭の怪物が階段を飛んで駆け下りて、距離を一気に詰めてきたのだ。
「どうしますか?」
死の権化と言うべき存在が俺の後ろに立っていると言うのに、少女は表情一つ変えずに小首を傾げて俺に選択を委ねた。
「どうしますか――って……」
背後から迫りくる足音は選択肢に迷う時間をくれなかった。
「武器なら戦ってくれ! 頼む!」
俺は返事を待たずに彼女の背後に身を隠した。彼女は何らかの理由で俺を助けに来てくれたエージェントか何かに違いない。俺の使役されるから武器って名乗ってるんだろ。
「何を言っているんですか?」
彼女は俺に振り向いたて言った。
「はぁ?」
「戦うのは、あなたですよ?」
「何言ってんだよ! 武器なら戦えよ! 早く! 来ちまうよ!」
グングンと大股で歩くネズミ頭の怪物は着実に距離を詰めていた。そんな怪物を前にして平然と立っている少女を一瞥して、怪物の動きは止まった。
「レダ……ダレダ……オマエ……ワ?」
枯れた怪物の詰問を彼女は俺へ答える。
「言ったでしょう? 私は武器と」
「言ったって、だから、お前が――」
お前が俺の武器で。そんな風に言葉を続けようとして俺はようやく彼女の口々に言っている事の意味を理解した。
「お前を使って、俺が戦うのか?」
「ようやく理解できましたか」
やれやれ、と彼女は小さな溜息を吐いた。
「じゃあ、おお、お前が、武器にでも変身するってのかよ!」
「ごもっともです。しかしそれには契約が必要です」
「契約って、いや、そんな時間ないって!」
ネズミ野郎はもう目と鼻の先に迫っていた。少女に動揺して一度は足を止めたものの、再び歩みを始めていた。
「やばいって! 早く! 武器に! なれって!」
「……はぁ」
呆れ顔でため息を吐いた少女の全身が光に包まれた。光量は増していき、目を腕で隠さなければならないほどだった。
「ダニ⁉」
「今度は何が起きるんだよもうっ!」
星や月の明かりすら頼りにならない深い闇夜を一瞬にして明るく染め行く少女の光。膨張するように広がっていく光は、少女の輪郭を消していった。そして、家の正面を真っ白に照らすまでに達すると、光は徐々に収縮していった。光の源に少女の姿はなく、代わりに一つの剣が現れた。
青い柄、金の半円状の鍔、そして白銀に光る両刃の刀身。足の長さほどあるその剣先は一枚の紙を地面に突き刺して立っていた。
「メガ⁉ ……メガ⁉ ……ウガァァァァァア‼」
この剣が発していた光が強く目に染みたらしく、ネズミ頭の怪物は両手を押し付けるように目を覆い、悶えていた。
「今しかありません、さあこの紙に契約を!」
その声は剣から聞こえていた。この剣の正体がさっきの少女かどうかなんて、今はどうでもよかった。とにかく早くこの武器を使って戦わなくては。
「契約ってどうすればいいんだ?」
「紙に手を強く押し付けてください。あなたの手形が、指紋が、手相が、契約として刻まれます!」
「なんか良くわかんないけど!」
俺は彼女の言葉に従うまま、紙に手を押し付けた。紙から熱が伝わり、手の輪郭を赤い筋がなぞっていく。指紋も手相も、まるで紙の中を熱を持った何かが行きかうように通っていく。手を離すと、紙には俺の手形が緻密に再現されていた。
「これで使えるのか? って、おい! 紙が燃えてるぞ!」
剣の突き刺さっているところから青い炎が湧き、紙全体を覆いつくした。
「ええ、これで契約は結ばれました。さあ、私を使って戦ってください」
「説明なしかよ。まあ、いい。今は戦え、だ!」
そう自分に言い聞かせて、俺は剣の柄を握り地面から引き抜いた。まるで人肌のような温かさを柄に感じる。そして何より剣が驚くほど軽い。プラスチックというよりも発泡スチロールのように軽く、おもちゃの剣を握っているみたいだ。
「本当にこんなんで戦えるのかよ……」
だが、腹の底から熱い何かが湧き上がっていた。先ほどまで怪物に対して抱いていた恐怖がすっかり消え、今心を満たしているのは闘志だった。
「クソ……メェ……」
ようやく目を開け放ったネズミ頭の怪物がこちらを睨んでいた。
「戦ってやる……って思ったけど、……はぁ、……はぁ、」
やっぱこえぇー……。2mを越える玄関の枠には収まり切ってないほどの大きさ。そして、ぶっとい両腕に、広い手の4本の指先には鋭く長い爪が生えている。あんなもので一掻きされれば、輪切りを覚悟しなければいけない。
剣を握っているのに、両肩はすっかり上がっている。だが、ここまで来たらやらなけれいけない。不意に湧き上がった不安を打ち消すべく、柄を握る手に力を籠める。
「行くぞ!」
俺はネズミ野郎の腹目掛けて剣を突きに向かおうと踏み込んだ。
「さあ、ネズミ野郎を倒しちゃってください!」
「ね、ネズミヤロウ?」
「グァァァァア!」
剣が言った何気ない一言に気を取られ、ネズミの先攻を許してしまった。左腕を大きく上から振り下ろされる。四本のカッターと化した爪の斬撃が降ってくる。ガードしなければっクソ、間に合わな……ッ⁉
その時、俺の右手が素早く剣を返して横に構え、斬撃を受け止めていた。
「何で?」
「説明は省きますが、あなたの闘志があなたを動かします! 戦うイメージを剣に乗せてください!」
「戦う意思……っ」
考える暇を与えず、ネズミ頭の怪物が次なる一手を繰り出していた。今度は右腕を横に振りかざすつもりだ。戦うイメージを、剣に乗せる。なら、今抑えている腕を弾き飛ばし、左から来る腕を地面に叩きつけろ! 俺‼
俺は右腕を押し出し剣を離させ、怪物の右腕に光る爪を切り落とした。バラバラと爪が筒細工のような音を立てて地面に落ちた。
「ナ、ナニ!」
爪を切られた右腕を見る怪物。隙が出来た! 俺は腰の回転を利用して剣を水平に左から右へ振り切る。ズバシャァッと怪物の腹に横一文字の傷が刻まれた!
「グァッ⁉」
手で腹の傷を抑えて後ろへ後退するネズミの怪物。否、ネズミ野郎。
「よし、行ける! おい、おおお前? トドメはどうすればいいんだ?」
剣を何と呼べばいいか、とにかくネズミ野郎に会心の一撃を叩き込んでこの戦闘を終えなければならない。
剣はどこからともなく声を出して答える。
「首を斬るか、心臓を貫くか、生物と同じ殺し方をしてください!」
「なんて残酷なッ! てか、俺は生物なんか殺したことないぞ!」
「今まで殺してきた虫たちに心の底から謝ってください。とにかく、それがトドメになります」
「分かった」
ネズミ野郎はそもそも最初俺を明らかに殺そうとしていた。それに、家には勝手に入り込んだし、ベッドは弾き飛ばしたし、滅茶苦茶にしてくれた。同乗なんてする必要はない。あいつを殺さなければ俺が死ぬんだ。
「よしッ。ふあああああああああああああ!」
俺は右手で剣を前に構え、ネズミ野郎目掛けて走って行った。隙を作らせ、隙を突くんだ。
「クソォ! ブキモチダトワシラナカッタゾ!」
「俺も知らなったよ!」
ネズミ野郎は傷を抑えていない左腕の爪を揃えて俺目掛けて突き刺してくる。
まずは、飛ぶんだ! そう念じて俺は走りの最中に地面を蹴って後ろに下がった。
「うぉおお!」
ただ蹴っただけなのに、予想を上回る脅威のジャンプ力で、地面すれすれまで上がっていた。これが闘志を剣に乗せた結果か。
ネズミ野郎はまんまと爪を廊下の木板に突き刺していた。この隙に! ――再び走り出し、ネズミ野郎の眼前でスライディングし股下を潜り抜ける。そして、がら空きになった背中の中心に向けて剣を突き刺す!
血は出ることなく、剣はネズミ野郎の身体を突き刺した。背中に吸い込まれるように滑らかに入っていった。
「ナン……ダ……ト……」
ネズミ野郎は前向きに床に倒れていった。下を出して床に横たわる。
俺は剣を抜き取った。
「やったか……」
「やりましたね」
ネズミ野郎の死体がほのかな光に包まれ、小さな光の粒が背中から湧き上がった。
「何だよ今度は?」
一応剣を構えたが、剣が教えてくれた。
「もう大丈夫です。これはこのネズミ野郎が天に召されて行っているんです」
「天に召される?」
ネズミ野郎の背中からあふれていた光の粒はどうやら身体の一部だったものらしい。みるみると背中から消えていくのが分かる。光に溶かされているようだ。
「このネズミ野郎はきっと今まで無慈悲に殺されてきたネズミたちの怨念が下界に募り、実体化しこの世に現れたのでしょう」
「下界?」
「ええ。神と天使の世界を天界と言うならば、悪魔と魔族の世界が下界です。彼らはこの世に恐怖として現れては、こうして私たちと戦うのです」
「そうか……」
話の中ほどまでは理解できた気がした。理解するのに脳みそを使ったせいか、段々と頭が重くなっていく。
ネズミ野郎はついに全身が光の粒となり、跡形もなく消失していた。
何もなくなった廊下を映し出す俺の視界は歪んでいく。肩が軽くなった。剣を落としていたらしい。
「……きさん……ろきさん……ひろきさん?」
ぼやけて暗くなっていく視界。後頭部を打つゴンという音と共に白い廊下の天井に切り替わり、そこに銀髪と碧い眼の少女が映り込んだ。やがて視界は真っ暗に、なる。
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