第3話 侵入者

 走りに走って、ようやく俺は家に辿り着いた。完全に息を切らしてしまい、玄関ドアに手を当てて、呼吸を整える。


「はぁ……はぁ……はぁ……、なんだったんだ、あの女の子は……」


 そもそも墜落してきて無傷なのがおかしい。そりゃあ、目の前でグロテスクなトラウマ物の惨状が広がっているよりはマシだけれど、明らかに人間離れした身体をして居る。見た目も美少女ではあるけれど、どちらかと言うと綺麗なお人形さんと言った方が近いし、本当に中身は歯車の詰まったカラクリ仕掛けなんじゃないだろうか。


「まあいいや、追いかけてきてないようだし」


 来た道を振り返って見たが誰もいなかった。いつもの通り寂しい道路がどこまでも続いている。


 たとえあの子が人形だろうがエイリアンだろうが未知の生命体だろうが、エイリアンだろうが火星人だろうが、どうだっていい。勝手にNASAに捕まって、ロングコートを着た二人の男に手を繋がれたところで知った事ではない。


 玄関の扉を開けて家の中へと入る。後ろ手で鍵を閉め、しっかりと施錠しておく。万が一追いかけられても、窓をカチ割らない限り張ってこれないからな。


 靴を脱ぎ、流れるようにリビングへと入った。ここまできてようやく家に帰った気分になれる。そして先ほどまでの出来事が嘘のように感じられる。さっさと忘れよっと。


 部屋の中央に置いてある四角いテーブルの両脇に置かれたソファの一つにうつ伏せにダイブする。


「くはぁ、疲れが取れる~」


 二人用だが三人でも余裕に座れる横長ソファの毛布を皮で包んだ柔らかさは学校終わりの疲れ切った体を絶妙な感触で癒してくれる。


 このまま寝たいところだが、まずはゲームだ。よっこらせと重い腰を持ち上げてテレビ下にある灰色の本体のボタンを押してスイッチを入れて、リモコンを手にしてすぐにソファに戻った。


 テレビ画面をリモコンで付けて、いよいよゲームの始まりだ。これがあるからたとえ一人寂しい学校生活でも乗り切れるのだ。逆に言えば、ゲームが無かったら学校生活は今よりも相当荒んでいるだろう。


 まあ、こんな内気な趣味だから友達もなかなかに増えないのだろう。趣味を広げたいところではあるが、中学時代からの年季の入ったリモコンからはなかなか手を離せない。別にゲームは悪いことではないし、むしろ最近の若者はゲームやアニメなどのサブカルチャーを媒介に人と付き合ってるのだから、むしろ時代にキャッチーな代物だと思う。


「ま、そもそも友達がいなければゲームの話もできないか! はっはっは!」


 誰もいないリビングに今にも泣きだしそうな笑い声が響いた。何自分で慰めようとして逆に傷ついてるんだよ……。


 手慣れた手つきでホーム画面から一気にゲーム本編の画面へと切り替えていく。始まったのはつい二年ほどに発売されたモンスターを狩るゲーム。ゲームタイトルをどう略そうとしても、あの有名タイトルが浮かび上がってしまうためなかなか安易に名前を言えないゲームでもある。


 俺は自分の身の丈はある刀を背負って、木々生い茂る森のフィールドへと向かっていた。何度もやっているクエストで、何回も倒しているモンスターなのだが、なぜか飽きないのがこのゲームのいいところ。ストーリーよりもやり込み要素重視だからこそ、いつまでも嵌っていられる。だからこそ、周囲にはもう飽きたプレイヤーだったり、興味を無くした人がいるため、話の話題には上げられない。


 そうこうしているうちに両手に沁み込んだ手つきでモンスターを狩りに狩っていた。すべてのストレスをこの赤いモンスターにぶつけていく。


「とりや、決まれ! 溜め3攻撃!」


 ボタン長押しによる今日攻撃を目の前の赤いドラゴンの頭に叩き込んだ。赤い血しぶきが飛び散り、軽快な音楽と共にモンスターが倒れる。


「よっしゃ決まった! …………はぁ。」


 毎度の如く狩り終わった後には虚無感を感じてしまう。杞憂かな、杞憂だな。ゲーマーになんか友達はいらない。サッカー選手にとってボールが友達なら、俺にとってはコントローラーが友達さ! でもサッカー選手の奴らにはチームがいるな。いやいや、こっちにはコントローラーの他にもれなく本体とテレビが付いてくるんだ。……なんか、余計に寂しくなった。


 寂しさを紛らわすべく、つい次にモンスターを狩っていった。



「ふぃ、結構狩ったなぁ。これで目当ての装備も作れそうかな」


 俺は疲れた目を瞼の上から指で撫でながら今日一日の成果を確認していた。やり込みまくったこのゲームは、もうとにかく狩って、とにかく新しい装備を作る以外の遊びを知らない。それが楽しいのだけれど。


 ぐ~……。ゲームにどっぷりと嵌っていた俺にいい加減やめなさいと言うように腹の虫が小さく鳴いた。お前だけだよ、俺の気持ちを分かってくれるのは。まあ、そうか、だってお前単なる胃だもんな。俺以上に胃の事情を知ってるよな。


 ふと、壁に掛かった時計に目をやると七時を過ぎていた。いつもは夕食を食べている時間だ。


「飯にするか」


 ゲームをセーブし電源を切って、テレビに本来の役割を担わせるべく画面を地上波に切り替えた。


 お笑い番組の漫才師の声を背にして、リビングからキッチンへと移動した。

 さて、今晩は何にするか、と全国の主婦百人は毎度キッチンに来てから悩むことだろうけれど、俺は基本的にそういうことはない。なぜなら飯と言ったら納豆か缶詰か卵かけご飯だからだ。そして、夜は決まって缶詰にしている。朝も缶詰の時があれば、昼も缶詰のときがあるけれど。


 サバ缶、アジ缶、サンマ缶、イワシ缶の四天王に加え、味噌と水煮のタイプチェンジもあるため、一日中缶詰を食べたところで開きは来ない。ただ発酵食品だから、胃の中の虫が腹を下すこともあるけれど。


 調理台の引き出しを開けて、ずらぁっと敷き詰められた缶詰を眺める。それぞれの銀缶に入った魚たちがそれぞれのタイプごとに並べられており、いつ見ても綺麗に思える。


 今日はアジの味噌煮に決め、一つ缶を取り出す。そして、昨日の夜から炊飯器の中に残っている白米を茶碗に寄剃り、再びリビングに落ち着いた。


「いただきます……と」


 ちなみに箸以外にもスプーンを持ってきている。理由は簡単、缶詰の蓋を開けるのだ。スープに米粒にとあらゆるものを掬うことが出来る万能器具スプーンも、この三個セット定価88円税込み96円の缶詰の前では単なる蓋をこじ開ける道具に早変わり。缶詰の前では全ての道具がこじ開け道具に変わるのだ。やっぱり缶詰最強。缶詰こそ食の頂点。何言ってんだろ、早く食べよう。


「御馳走様」


 至高の夕食を食べ終えると、さっさと風呂に入った。二日前に沸かしたばかりの水を追い焚きにしただけだが、汚れも目立たず快適な湯加減になっていた。何も考えずボーっとしていると、やはり蘇ってくるのは今日印象に残ったことだ。


「白パンツの女の子……」


 いやいや、おいおい。そんなの思いだしてどうする。そもそもまだ白とは確定したわけではない。もしかしたら光の加減でそう見えただけで実際は灰色とかピンクとか、もっと色気漂うファンタジックでエキサイティングな色かもしれないだろ。何勝手に想像の幅を狭めているんだ。いや、なに思いだしてんだ俺は。


 しかし、あの女の子は今頃何しているのだろうか。本当に黒服の男二人に連れ去られてしまったのだろうか……。それはなかったとしても、路上に一人置いてきてしまったしな……。


 正直惜しいことをしたのかもしれない。いや、だから何考えてんだよさっきから。思春期真っ盛りだな今日も! 忘れろ、忘れるんだ。大した進展もなかったろ。空から脈無し女子が降ってきただけだ。そんなのよくあるだろ。ほら、意外とこの日本中探せば、もしかしたら道の角で男子転校生と食パン(イチゴジャム)を加えた女子がぶつかっているかもしれない。それと同じくらいのことだろう。


 なんだか頭がくらくらしてきたな。気が付けば一時間近く風呂に入っていたようだ。


「出よ」


 身体を軽く洗ってから風呂を後にした。


 ◇


 風呂から出た後再び次元の向こうのモンスターと格闘し、眠気が降りてきた。手に握るリモコンのボタンを打つ力も弱まり、画面の中ではずっとキャラクターがぐるぐると円を描くように歩いていた。



「寝るか」


 自室は階段を上がった二階に位置する。大中小と三つある部屋の中で小さめの部屋だ。大中の部屋にはクローゼットなどがあり広々と使えるが、俺の部屋はベッドを置いたらもう部屋の半分しか使えない。そこに机を置いたら、ベッド以外で真っ直ぐ寝ることはできない親が引っ越せば即効大部屋を使わせてもらおうと思ったが、面倒になってここに留まっている。


 部屋に入り、電気を付けずにベッドにダイブした。ケータイのアラームを設定して枕元に置いたら、あとは寝るだけだ。うつ伏せで、顔を右側に傾けて目を瞑る。


 今日は色々と起きすぎた。一旦頭を整理させなければ、いけない……。


 ベッドに入って、まだ眠りの浅い頃だった。俺は目を覚ました。


「……」


 息を潜めて、耳を澄ましていた。一階の玄関のドアが開く音がしたからだ。しっかりと鍵は閉めたはずなのに、どうして……。不安は募るだけだった。


 そっと起き上がり、一回に響かないよう爪先歩きで静かに部屋の扉へ歩く。呼吸を細く小さくし、ドアに耳を付ける。


 ギシ……、ギシ……と言う音が僅かに大きくなりながら迫ってきていた。誰かが階段を上がっているのだ。来るとしたら、この部屋……⁉


「ッ……!」


 息が荒くなる前に口に手を被せた。気づかれたら一巻の終わりだ。無理やり呼吸を鎮めて、壁の方へと移動した。そして両手を広げて背中を付ける。なるべく影が大きくならないように。


 運よく、この部屋の二つの窓は閉め切っており、カーテンも被せられている。外の光は入ってこなく、真っ暗だった。


 階段を踏み歩く音が止った。そして、ガチャリ……。この部屋のドアノブが回されたのが壁を伝って良く聞こえてきた。


 鼻で細く息を吸い胸を膨らませ、呼吸を止めた。緊張と恐怖で敏感になり、頬や背筋を滴る汗が一粒一粒感じ取れるほどだった。


 ドアが開かれ、廊下の僅かな光が部屋に入る。俺はただじっと身動きを殺していた。


 そして、ドアが十分に開かれ入ってきたのは――、


「――⁉」


 俺はその侵入者の顔を見て、貯めていた息を鼻から吐き出してしまった。離してしまった紐を手繰り寄せるようにすぐに息を止める。だが、恐怖と不安は大きく膨れ上がり、緊張として心臓を握りつぶそうとしていた。


 その侵入者。頭から足の先まで灰のように黒い毛に覆われ、頭には二枚の丸い耳を出し、前に突き出した口からは長く太い毛が伸びていて、廊下の僅かな光に照らされて青白く光っていた。そして、太い両手の先には鋭く長い指の延長のような黒い爪が伸びていた。


 果たしてソレは侵入者なのか。けど着ぐるみを着て入ってきたとは思えなかった。


「……スル、……イガスル、……オイガスル……」


 喉から錆びた小気味悪い声を発していた。その侵入者は、部屋の中央まで歩いていき、ベッドをじっと眺めていた。


 俺は静かに、自分の位置をゆっくりとずらしていき、部屋の出口を抜けて行く。


 侵入者の声がピタリと止んだ。そして、静寂の間を置いてから、


「ニオイガスル!」


 同時に大きな崩れる物音が俺の背後にまで響いた。侵入者がベッドをひっくり返したのだ。その時、足の動きを止めていたため、侵入者に見つからずに済んだようだ。


 侵入者は次に机をひっくり返し、カーテンを開け放ち、窓を叩き割った。その音一つ一つが重い拳の一撃になって俺の心臓を直接叩き込んできた。尿意も増している。チビっちゃうかもしれない。そんなことしたら、水の滴る音で丸わかりだ。


 先を急ぐべく、壁伝いに進んで行った。


「しまった!」


 階段の一段目を踏み外してしまった! 尻を床にぶつける。ドン、と腹を突く鈍重な音が暗い廊下に広がった。


「ミツケタァァァァァ!」


 尻から込み上げる刺激と同じ速さで枯れた異形の放つ轟音が背中にまで届いた。


「くそぁあああああああああああああああああああああああああああああ!」


 俺は我を忘れて階段を駆け下りる。だが、慌てた矢先足が縺れ、一階に向かって転げ落ちた。


「ぐはッ! うぁっ!」


 頭が、背中が、腕が、腰が。全身のありとあらゆるところが拳で殴られたように痛かった。痛みに悶えている暇もくれず、侵入者は階段を降りてきた。それも、ジャンプで一気に階段の中腹まで降りていた。


 体を切り返し、こちらに迫ってくる前に、俺は走り出した。


 逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ! 殺される‼


 逃げ場所の目星は着かない。ケータイはベッドの上に置いていたため、ネズミ野郎の一撃でベッドと共に投げ飛ばされただろう。当然取りに行くことなんて出来ない。通報したくてもできない。


 けれど、きっと、あの子なら知っているはずだ。あの時空から降ってきた銀髪白服の少女ならっ!


 彼女がどこにいるのかつゆ知らまいまま、裸足のまま玄関を開け放った。その時、ゴンという固い音が扉の向こう側から聞こえてきた。


「……⁉」


 外に足を一歩踏み込んだところで、俺の足は止まった。止まらざるを得なかった。

 なぜならば、俺の一歩先の地面に、痛そうに頭を摩りながら立ち上がろうとする少女がいたからだ。


「どうして、君が……ここに?」


 緊迫していた時間が嘘かのようにゆっくりと流れる時のなかで、俺は彼女に尋ねた。

 彼女はすっくと立ちあがり、出遭った時と同じ能面のような真顔で、いかにも真剣に、いかにも当然の如く、いかにも冷静に答えた。


「私はエクスカリヴァー、あなたの武器です」


 発音のいい言葉と共に、彼女は俺の武器と言った。

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