2話 その一日の始まり
「魔王様、如何なされましたか?」
目を覚ました俺に、彼女は顔を近づけて問うてくる。
芸術のように整った相貌。
金糸のように透き通る髪に、ぱちりと開く翡翠の眼。
艶のある白い肌。すらりとした細い容姿。
そして、種族特徴による長く尖った耳だ。
俺を魔王様と呼ぶのは、れっきとした魔物種のエルフである。
着古してくすんだ草衣を纏っているが、その美しさは天井を知らない。人間界では人心を惑わす魔性と呼ばれていた気がするが、間近で直視すると気持ちは大いに理解ができる。
「いや、少し夢見が悪かっただけだよ」
彼女へそう告げて、俺はベッドから身を乗り出した。
瓦礫を退かし、裸足で床に足をつける。この足は人間の時とそのままで変わらない。
魔王様と呼ばれているのに、俺には人間以外の特徴は何もない。それもそうか、元が人であるのだし。
冷たい床だ。
無機質な灰色の床は所々が砕け、凹んでしまっている。
やったのは勇者アルテ一行だが……今は自分の居城でもあるのだ。そのうち直しておこうとは、思う。
「なあ、ステラ」
名を呼べば、はいと即座に頭を下げる彼女。
一度立ち上がれば、俺より背の低い彼女がより小さく見えた。齢は知らないが、しかし外見とは裏腹に俺より歳は上なのだろう。
そんな彼女が俺を敬っているのは、一重に俺が魔王という立場を持つからだ。
「お前はそうしてくれるが、森へ帰っていいんだぞ。俺は魔王ではあるけど、誰かを従えようとかは思わない」
「いいえ。いいえ、魔王様。私は自らの意志で残っております。それに、帰る場所もありませんので」
――ステラは、此処魔王城の地下に幽閉されていた奴隷であった。
理由を詳しく紐解く必要はないだろう。
彼女は美麗で、人の心さえ惑わすエルフの女性だ。
魔王城にはそうした理由で囚われていた。
だから彼女には傷が多い。幸いに顔や露出の多い手足に目立つものはないが、その服の下には決して瘉えぬ痕が残されている。
そんな彼女は、俺が魔王を殺したことで解放された形であった。ただ、巡り合わせが運良く絡み合っただけの話でもある。
魔王を殺して人間に殺され損ない、落ち延びた果ての魔王城。どうにか生きる宛を探すべく城を徘徊していた時に、檻に繋がれたままの彼女を見つけたのだ。
その時に解放し、逆に俺は彼女の魔法で治療を受け――それから、しばらく留まっていた次第だ。
だからまあ、タイミングが良かっただけの話だ。
俺が来なければ、誰もかもが死に絶えてしまった牢獄から彼女は出られず、そのまま終わっていた。
究極的に俺は彼女を助けたわけではない……けれど、それでも慕われているようで。
魔王と呼ばれる身は、なんだかなあという気もするが。
否定する材料は持ち合わせていないので、特に反論とかはしない。
「そうか。俺としては嬉しいんだけど。まあこの城、寂しいし」
「私以外、他に誰もおりませんものね」
「あぁ……うん、やったのは俺なんだが」
「存じております。ですから、私は生きているのですよ」
この城の戦力は纏めて叩き潰されている。
逃げた者は多かろうが、故に誰も残っていない。
「魔王様。朝食はお食べになりますか?」
「ん、ああ。作ってくれたのか」
「はい。幸いにして死地ですので、山の幸を得るのも楽でしたから」
「山に行ったのか。魔獣の類は出なかったのか」
「ええ、まあ。戦火の残り香と瘴気が一帯に蔓延しているので、理由がなければ誰も近寄りたい場所ではありませんし……」
「話だけ聞くと、山菜とか汚染されてそうだな……ああ、勿論、頂くよ」
「瘴気で気をやるのは獣くらいなものでしょう。はい、それでは階下へ参りましょうか」
頷くと、彼女は柔和に微笑んだ。
弾むような足取りで先をゆく姿を眺め、俺は気の緩んだ息を吐く。
「……瘴気、か。俺が魔王様だという理由なのだろうな」
何の因果か、この地に来てから俺の身体は少しおかしい。
死にかけが治ってから気付いたのだが。
この身体に流れていた魔力から、かつて敵対した魔王の力を感じるのだ。同時に勇者としての力も残っているので、今の俺はぐちゃぐちゃだったりする。
そうした俺から自然に発される歪な魔力は瘴気として流れ、図らずも周囲に影響を与えてしまっている。仮に今の俺を人間が見たのなら卒倒ものだろう。
言ってしまえばそういうオーラだ。やけに肌がひりつくとか、薄ら寒気がするとか、嫌な気配を感じるとか、その類の生物の勘が俺を避けようとする。
だから理由なければ、勇者でもない限りはこんな城に誰も訪れない。
ステラが平気でいるのがどうしてか、むしろ分からないくらいだ。
「っと。本当に、有り難い」
色々とややこしい感じになってしまったが、こうして無事に今日も生きているわけで。
とりあえず、食事を頂いてから何するか決めるとしよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます