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 ――国粋主義者。


 以前のアルゴストニアの栄光――《強いアルゴ》を取り戻そうとする、思想家や活動家のこと。


 十五年前、アルゴストニア連邦政府は市場志向型の経済を取り入れる経済改革を行い、――それは紛れもなく世界を一変させた。


 国家が管理する経済から、企業や個人の競争を促し、数億の人民が貧困線からの脱出に成功し、全体の生活水準を底上げする、まさに個人が活躍する時代。


 しかし、それゆえに競争という環境に馴染めず脱落してしまう者も多く、この決断は諸刃の剣だった。これに異を唱えた者たちがいた。それが《国粋主義者》だ。


 アレンスキーの問いかけに、レナートは慎重に言葉を選んで答える。


「――ええ……はい、ただ、自分が関わったのは《国粋主義派》の軍人でしたが……」


「そうだったな。気を悪くしないでくれ」


 申し訳なさそうにアレンスキーはそう言うが、わかっていてあえて触れたのだとレナートは見抜く。


 国粋主義――そう呼ばれるものが台頭してきたのは、《融和主義派》と呼ばれる現政権が誕生してしばらくしてからだった。かつての敵国オーレアとの融和政策や経済政策に不満を持ち、かつてのアルゴを取り戻すという国粋思想を掲げ、それを主張する政治家や軍人を、融和主義派に対して《国粋主義派》と呼んだ。


 やがて、国粋主義派の存在や思想は民間にも広まり、反政府運動やテロといった暴力行為の口実にも使われるようになり、そのテロ集団をまとめて《国粋主義者》と呼ぶようになった。


 国粋思想を持つものは、かつては対立関係にあったオーレア連邦に対していまだに異常な敵意を持っている点で共通している。そのため、観光や仕事で来ているオーレア人、またはそれに関係を持つものがいわれのないスパイ容疑で騒ぎになることが多い。


 レナートも軍学校時代に、小さくないトラブルに巻き込まれた経験がある。その当事者であった教官は国粋思想をもつ軍人――国粋主義派だった。当時事件の処理に奔走したのがアレンスキーであり、それもあってレナートは卒業したあともこうして気にかけてもらっている。


「いえ……ですが、そのことが特殊任務と何か関係があるのですか?」


「大いにある。きみには国粋主義者が関与していると思われる事件を捜査している《アルカセウス》に同行してもらう。その転属命令だ」


 意外な言葉に、レナートは首を傾げる。


「転属……ですか?」


 レナートは目を丸くする。


 あまりに唐突な辞令だ。下手したら一生この飼い殺しのような生活を強いられるのだろうと、心のどこかで思っていたのだから。ゆえに、素直に喜べないし、むしろ疑ってしまう。――もちろん、アレンスキーがレナートを騙したところで、何の得もないことは百も承知だが。


「すみません。あまりに突然で、素直に信じられなくて……」レナートは苦笑しながら答えた。


「そう手放しでは喜べない。これは正式な辞令ではなく、あくまで一時的なものだ」


「《アルカセウス》……」レナートは聞かされた転属先の単語を繰り返す。「確か、新設されたばかりの特務機関と聞いておりますが、勉強不足で名前くらいしか知りません」


「そうだ。近ごろ活発化している国粋主義者たちのテロに対抗するためにリヴァノフ国防委員長が設立した、国防委員会参謀本部情報総局戦略作戦局付の戦術対策研究室――通称アルカセウスだ」


 忌々しいと言わんばかりに名前を告げるアレンスキーに違和感を抱きながらも、レナートは別の部分で腑に落ちないところがある。


「失礼ながらお話がわかりかねるのですが……。その《アルカセウス》がテロ対策の機関であれば、当然、その事件に関して調査をするのでしょう? それで何故、自分まで同行するのでしょうか?」


「そこできみの任務の話が出てくるのだが……」


 一旦言葉を切り、アレンスキーはレナートを見据えながら告げる。


「きみには、《アルカセウス》室長の、その素行を内偵してもらいたい」


「……はい?」


 あまりに予想外な命令内容だったので反応が遅れてしまう。しかし、その反応も予想済みのようで、アレンスキーは淡々と続ける。


「《アルカセウス》は、特務機関でありながら、現在室長一名しか在籍していない。室長は、些か性格に難のある人物で、部下や同僚を持つことを極端に嫌い、局内では《変人》呼ばわりされている。もちろん、本来であれば変人とよばれる輩に新設機関を任せる軍部ではないのだが、これが困ったことにどういうわけか国防委員長の覚えがよくてね。委員長が参謀本部を通じて直々に彼を任命したので、我々としても強くは出られないのだ。しかし、その素行の悪さから軍部としては信用できないので、検討の末、お目付け役を口実に、内偵を付けることと相成った。だが、情報部のエージェントはみな手いっぱいでな。そんな茶番に付き合わせる余裕はない。そこで知恵も能力もある優秀なきみに白羽の矢が立てられたというわけだ」


「ま、待ってください。少々、飛躍しすぎているように思うのですが……そもそも内偵というのはいったい何をすればいいのでしょう?」


「文字通り内偵だ。なるべく近くで室長を観察し、見たありのままを逐一報告してくれればいい。それが終わったら――今回の特殊任務の功績として、現在の北東部防衛の任を解き、私が責任をもって中央できみを預かろう」


 中央でアレンスキーが預かる――それはつまり、軍の中枢、情報総局のトップ直下で本格的な任務に当たることができることを意味する。レナートにとっては願ってもない好機だ。


 だが、同時に不安材料も残る。そんな極めて都合の良い条件での任務ならば、何か良からぬ落とし穴があるのではないか、と。無論、アレンスキーのことは信用しているが、上層部の思惑も絡んでいそうな案件なので、慎重になりすぎるということはないはずだ。


 例えば、これまで国粋主義者の監視や調査、諜報活動は国家保安委員会KBSの管轄で行われていたはずなのに、その実質的専門機関である《アルカセウス》を、KBSとそりの合わない国防委員会に設置した理由などは政治的な臭いがするし、さらにその《アルカセウス》の室長を同一委員内の情報部が内偵するというのは、明らかにきな臭いと言える。


 だが、飼い殺し同然の現状を変えるには、多少不安があったとしてもこの機を逃す手はないし、何よりアレンスキーがわざわざこんな辺境までレナートを頼ってきてくれたという事実が嬉しかった。できることなら彼の期待に応えたい。


 もちろん、そんな単純な思考など、情報総局局長ほどの大人物ならばはなからお見通しなのかもしれないが……。長い長い沈黙を経て、それでもレナートは、決意を固めた。


「どうした、耳が遠くなったかね?」


「わかりました。その特殊任務、謹んで拝命いたします――」


 レナートは立ち上がって敬礼した。




 アレンスキーの訪問から一週間後――レナートは首都へ向かう列車に乗り、ぼんやりと窓の外を見つめていた。あの頃と違うのは、今の彼は将校となり、候補生の詰襟型ではなく、正式な将校を示す背広型の制服に身を包み、誰かと将来について語らいあう相手もなく、一人で列車に乗っていること。そして、鈍色に曇った空だろう。


 窓から見える通り過ぎていく景色は、長い間、山岳地帯で生活していたレナートにとっては、懐かしさよりも新鮮さが勝っていた。その景色の奥には、高層ビルがいくつも立ち並んでいるのがうっすらと映っていた。その光景が、目的地である首都ベイストクのものであると気づくと、ぼんやりしていた頭がはっきりしてくる。


 ――あそこに、……。


 四年まえにこの列車に乗った時と同じように胸が高鳴るのを感じる。だが、自分の明るい将来へ心躍らせていたあの時と違い、これから待ち受けるであろう試練への不安と緊張に包まれていた。


 ――あれからもう五年か。ずいぶん遠くに来てしまったような気がする。

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