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 ゆっくりと近づいてくるコンクリートジャングルを見つめながら物思いにふけっていると、突然、ドサッと物が落ちる音がする。


 音がしたほうへ視線をやると、通路を挟んだ隣の席に座ったスーツ姿の男性の手からブリーフケースが落ち、書類が散乱していた。当人は寝落ちしてしまっているのか動かない。拾ってあげようとも思ったが、企業秘密の内容を見てしまうなんてことがあると面倒な気がする。


 しかし放っておくこともできず、レナートは立ち上がって、寝落ちしている男性のほうへと歩み寄る。まるで光っていそうな特徴的な金髪を持ち、寝顔には整った顔立ちを貼り付けていて、年頃は三〇代前半あたりか。


 金髪の男性の肩を揺らしながら「すみません、落とされていますよ」と声をかける。一度では起きなかったので、二、三度肩を揺らしながら声をかけると、ようやく男性はまぶたを開いた。


「お休み中のところすみません。荷物が落ちましたので」


 男性は瞼を擦りながらレナートのほうを見やる。そして彼が指差すほうへ視線を移すと、状況を理解したようだ。


「ああ、すみません。気づいていなかった」


 男性は特徴的な金髪を揺らしながら慌てて散乱した書類をまとめようとする。レナートはぼうっと見ているのも気まずく、屈んで一緒に書類を拾おうとするが、それを妨げるように男性が「ああ、大丈夫ですよ! お気遣いなく」とレナートを制止する。やはり先ほど拾ってあげなかったのは正解だったようだ。


 それでも――見てはいけないと思いつつも、つい書類に目が行ってしまう。はっきりは見えなかったが、見出しなのか大きめに書かれた文字の一部に『エネルギー』だとか『輸送路』だとかが見て取れた。――エネルギー関連の企業に努めているのだろうか。


 金髪の男性は書類をまとめてブリーフケースにしまうと、姿勢を改めて、レナートに向き直る。


「大事な書類なんですよ。いや、助かりました」まったく嫌味のない爽やかな笑みを浮かべながら穏やかな口調で、レナートに礼を言う。


「いえ、それでは――」


 そういって踵を返そうとするレナートだが、男性は「あの!」とレナートを呼び止める。


「よろしければ、少し話し相手になりませんか? 長時間座っているのも退屈で」


 レナートは少し戸惑ったが、「ええ、いいですよ」と彼の向かいの席に腰を下ろす。


「――しかしそれにしても」レナートが向かいの席に座ると男性が大仰な仕草で語り始める。「お若い将校さんがこの時期に中央ベイストクに向かうということは、やはりが関係しているのですか?」


?」レナートはおうむ返しする。


「ほら、国家親衛隊の《対テロ作戦》ですよ。五日前に大総統府が発表した」


 国のトップである大総統府が発表したということは、よほどのことなのだろうが、まったく覚えがない。五日前というと、アレンスキーがレナートを訪ねてきたあとだろうか。


「まさか……ご存じない?」男性はまるで信じられないというような表情を作る。「あの大惨事からはじまり、いまやアルゴ中がその話題で持ちきりだというのに」


「任務で辺境の山奥にいたものですから、なかなか中央からの情報も入らなくて……」


「なるほど、そうでしたか」男性は疑問が晴れたかのような納得した表情になり、謝罪する。「これは大変失礼しました」


 男性の謝罪にレナートはつい不愉快な顔をしてしまう。


 まるで、辺境に飛ばされたことは触れてはいけない話だったといった印象を受けてしまったのだ。――もちろん、男性はどんな理由で彼が辺境の山奥に飛ばされたのか知るはずもないので、レナートの被害意識でしかないのだが……。


「どういった内容なんです?」気を取り直すようにレナートは尋ねる。


「五日前、ぺセルストク市の学院センタービルに自動車を使った自爆テロが起こったんです。ビルの倒壊も相まって犠牲者は五百人にもおよぶ被害を出しましてね」


 ペセルストクは首都ベイストクにほど近い、学院センタービルを中心に、複数の大学が集まって形成されているアルゴストニア随一の学園都市である。なかでも高さ約二四〇メートル、地上五〇階建ての学院センタービルは、国立大学の一斉入試をはじめとする国立大学を監督する機関の他、行政機関である教務委員会の出張所も存在するなど、教育に関する施設としては世界最大のビルだ。


 それが倒壊したとなれば、かなりの被害になるのは当然だ。しかし、レナートは別のところで腑に落ちない。たかだか自動車テロで、その巨大なビルが倒壊するものだろうか。それに、なぜ学園都市を狙ったのか。


 レナートの疑問に気づかない金髪の男性は、話を続ける。


「それを受けての会見で、ヴェセローフ大総統が宣言されたんですよ。『対テロ作戦』を。――ただ具体的なことは言ってないので、内容はよくわかりません」


 咄嗟の思い付きかもしれませんが。と男性は付け加えた。


「動画サイトからも会見は見れますよ。ご覧になりますか?」


 その提案にレナートが頷くと、男性はタブレット型の端末を取り出し、操作したあと動画サイトを開いた画面を見せるようにレナートに差し出してくる。


 レナートは端末を受け取らずに、画面をのぞき込むと、男性が画面を操作して動画を再生する。


 そこには、この国に住まう者なら誰しもが知っている人物――アルゴストニア連邦共和国の最高権力者であるヴェセローフ大総統が、演台に手をかけて沈痛な面持ちで演説をしている姿が映っていた。


『アルゴストニアに住まう人民へ、こんばんは。本日、私たちの日常生活が、意図的かつ正確無比なテロリストの攻撃によって壊された。犠牲となった者は、学院センタービルにいた、ビジネスマンとしての男女たち、学生や大学関係者たち、教育関係者や中央政府の公務員たち、母親や父親たち、友人達や近隣の人々におよんだ』


 演説が続きながら、映像はこの事件の被害者たちを映したものへと変わる。


 体中血まみれのままその場を逃れようとする群衆、地面に転がる人々はピクリとも動かず、体の一部や半分を失っている人もいる。その横でケガをしたのか家族とはぐれたのか、泣き叫ぶ子供もいる。自身もケガをしているのに、動けないでいる人に肩を貸している人もいる。


 映像が戻ると、ヴェセローフ大総統の表情と口調は先ほどと打って変わり、力強くなっていた。


『何百人もの命が、卑劣で悪辣あくらつ極まる残虐行為によって、突然終止符を打ったのだ。自動車がビルの内部に飛び込んで行き、炎が燃え上がり、巨大なビルが崩壊する映像は、私たちを驚愕させ、そして恐怖と悲しみ、さらに底知れぬ怒りを感じさせた』


 映像は再び別の場面へと変わる。大学と思われる施設のほかに高層ビルなども立ち並ぶ街の景色。その中心には超高層ビルがそびえ立ち、その傍からは黒煙が立ち上っている。おそらく、自動車テロの直後の映像で、一番高い建物が学院センタービルだろう。建物に囲まれているので、その現場を直視することはできない。


 突然、黒煙が上る位置から昼間にもかかわらず辺りを眩いほど青白く照らす閃光が走り、その衝撃波は映像をぶれさせる。その瞬間を見て、レナートはを覚える。


 爆発の瞬間、普通の爆発ではありえない青白い閃光を放った。まるでそこに太陽が出現したかのような光景であった。――通常の爆薬ではないのか?


 しかし、そんな違和感はビルが倒壊していく光景の中に埋もれていく。そのようすは倒壊というより、立ち込める黒煙と粉塵の中へとまるで吸い込まれていくように姿を消した。倒壊の影響か爆発の被害を受けたのか、隣接するビル二棟が同じように崩れ去っていく。


 崩れゆく学院ビルの中には何百人もの人がいただろう。それだけじゃない。隣接していて巻き込まれたビルには何が起こったかわからないままの人々もたくさんいたはずだ。その下にいた人々の中には、粉塵に飲まれて行方知れずになった人もいるだろう。


 助かったとしても、心に負った傷は決して浅くはないだろう。


『一連の大量殺人行為は、我が国を混沌に陥れ、畏怖の念を抱かせようと企てた。しかしながらその企みは失敗に終わった。何故なら――我が国は強靭だからだ!』


「そんなことないさ」レナートは誰に対するでもなく呟く。事件発生から五日も経ってから知ったレナートですら、衝撃を受け恐怖した。しかも首都の目と鼻の先でこれだけのことが起きたのだ。現場のみならず、首都の人々、本国全土を恐怖に陥れたはずだ。


『これらの卑劣な行為の背後にいる首謀者たちの捜査は進行中である。私は、わが国の諜報機関と司法警察機関、国家親衛隊の総力を、これらの真相の捜査と、その容疑者たちを粛清するために、かねており計画していた《対テロ作戦》の実行するよう命令を下した。

 我々は、これらの犯罪を実行したテロリストらと、それをかばい立てする者達とを区別することはしない!』


 ヴェセローフ大総統の演説には熱が入っていき、いつの間にか右手に拳を作り、時折振るように拳に力を入れ、力強く、高らかに演説する。


『我々は今日という日を、大いなる悲しみと怒りとともに歴史に刻まなければならない。

 今までアルゴはどんな困難にも立ち向かってきた。今回も我らは決して屈しない。

 私たちの誰一人がこの日を忘れないであろう。この犠牲は大きい。が、我々はそれを乗り越え、立ち向い、前進していくだろう。

 我らの安全と平和、そして融和の光を守るために、いまこそ力を結集させ、犯罪集団たる国粋主義者テロリストどもと戦うのだ!』

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