武蔵国スケッチ出雲国フォトグラフ

背もたれ裏紙

短編小説「武蔵国スケッチ出雲国フォトグラフ」

『あなたの町の武蔵野写真コンテスト』


概要:コロナ禍によって旅行や人と会うことすら難しい状況が続いています。ほんの少し前までは当たり前にあったものが、すっかり様変わりしてしまいました。こんな時期に写真コンテストをしてどんな意味があるのかと、運営側でも慎重に議論を重ねました。外出自粛が叫ばれるなかで、武蔵野まで写真を撮りに来てもらうこと、近場にお住まいなら可能でも県を跨いで足を運んでくれるか、むしろ現状に逆らうことをなるのではないか。そこで私たちは自分自身に問いかけました。

「別に武蔵野でなくてもいいのではないか」。武蔵野の部分を○○にすれば、あらゆる問いができます。答えを求めることは大切ですが、今は問うことこそが重要な時だと思っています。私たちの問いに答えで返すか、別の問いで返すかは皆さまに委ねたいと思います。


応募条件:撮影場所(市町村名)と写真に対するあなたの思いの一文を添えて下さい(400字以内)。テーマは武蔵野ですが、似ている場所を募集するものではありません。むしろ、武蔵野になくて、あなたの町にあるものを切り口にした写真も歓迎します。もちろん武蔵野にお住まいの方は武蔵野愛が満載の写真をお待ちしています。今回は写真と文章をセットにした作品が審査対象となります。武蔵野をきっかけにおおいにあなたの町の自慢をして下さい。町と言っても単に観光スポットのような風景だけではありません。皆さまからの想像力に溢れるたくさんの応募をお待ちしております。


 -


ふ~ん、武蔵野かぁ。

去年行ったジブリ美術館が懐かしい。本当に具合の悪い人だけがマスクを着けていた時代。職場の休憩室で写真コンテストの応募サイトをスマホで見ながら、ユリは煎餅を頬張った。ほんの数ヶ月で世界の景色が変わっていた。

誰かのせいか、誰のせいでもないか、誰もが少しずつ何か悪いことをしていたのか。理由は一つではないんだろう。ホームセンターで働いていると、時代の流れを正面から受ける。コロナ禍で売れなくなったもの、売れるようになったものが一目瞭然なのだ。東京オリンピックの1年延期が正式に決定した。こんな時なのに、こんな時だからこそ、と日常が非日常に侵食されて、でも非日常の中に日常を取り戻そうとしていた。あっ、休憩おわりだ。次はガーデニングコーナーの水やりだ。運営さんの質問は帰ってから考えよう。


 -


ただいま、と家に帰ると父と弟は既に自室に閉じこもり、母がリビングでサスペンスドラマを見ていた。

おかえり、おかず温めてから食べてね。

わかった、ありがとう。

でも先にお風呂入ってくる。

どうぞ、ごゆっくり。


お行儀が悪いけど、右手で箸を持ちながら左手でLINEを開く。

今、暇?(相手は武蔵野美大に通っている幼馴染のタケル)

10分経過、返事なし。

食器を洗って、砂糖なしのホットレモンティーを手にして戻ると返信が来ていた。

ごめんよ、バイト中。22時頃に帰れるけど、それでもよい?

いいよ。

※念のため、付き合っているわけではありません。高校のとき、ふざけてキスしちゃってしまったことはあるけど。


ただいま、帰ったよ。

それを合図に、私は電話を掛けた。武蔵野の写真コンテストのことを話した。

「と、言うのがだいたいの内容」

「それで相談って何さ?まさか、ユリの代わりに写真撮れって?」

「タケル、ムサビに通ってるからその辺詳しいでしょ。何かこう私のインスピレーションを刺激するような写真撮って来てよ。何なら絵でもいいから」

う~ん、そうだね、今はちょっと学校も忙しくてね、などとぼやきが続き、

「まぁ、締切はまだ先だからタケルの時間あるときでいいよ」

「わかった、考えておくよ」

布団に入ってから、運営さんの質問を思い出したが、睡魔に負けた。


 -


「別にでなくてもいいのではないか」の武蔵野を○○に変える件。

なんとも良いタイミングでNHK・BSで放送してる「新日本風土記」で多摩丘陵の回があった。見ながら思ったこと、里山の景色も少し離れた所に東京のビル群があるから価値があるじゃないかと。それが良い価値なのか悪い価値なのかは人それぞれだと思うけど、少なくとも島根よりある種の多様性がある。あなたの町を自慢して下さい、というけれど田舎の価値を思う存分あげていると何故か切ない気分になる。その辺にあるものを、みんな見てー!と声を張るのもなんか不自然な感じだ。ふと目につく、誰かに教わるものではない美しさが好きだ。

逆転の発想で、こんなのはどうだろう。

「別にでなくてもいいのではないか」

あるいは、

「別にでなくてもいいのではないか」

単なるひねくれだけど、そこから見えてくるものもありそう。


 -


青空文庫に国木田独歩の「武蔵野」を見つける。言葉づかいや漢字の使い方が時代を感じさせて、すらすらと読み進められない。短編でくくられるだろうけど、読み終わるまで結構かかった。次のところとか一回で理解できる?


【もしそれ時雨しぐれの音に至ってはこれほど幽寂ゆうじゃくのものはない。山家の時雨は我国でも和歌の題にまでなっているが、広い、広い、野末から野末へと林を越え、もりを越え、田を横ぎり、また林を越えて、しのびやかに通りく時雨の音のいかにもしずかで、また鷹揚おうような趣きがあって、優しくゆかしいのは、じつに武蔵野の時雨の特色であろう。自分がかつて北海道の深林で時雨に逢ったことがある、これはまた人跡絶無の大森林であるからその趣はさらに深いが、その代り、武蔵野の時雨のさらに人なつかしく、私語ささやくがごとき趣はない。】


時雨の良さを表現しようとしている部分だけど、その音を伝えようとしている。文章から映像が思い浮かぶのは普通だけど、音を感じさせようと言葉を重ねている。武蔵野に降り注ぐ時雨は、他の町で降る時雨とはとても違うような書き方だ。武蔵野の時雨には感情があって、人に何かを訴えるがごとく、単なる自然現象ではなく生命を感じさせるようだ。雨にここまで感情移入できるなんて変わった人だ。


国木田独歩って、一度聞くと忘れられない名前だと思う。でも、いったいどんな人なのか詳しくは知らない。ちょっと検索した。本文では渋谷村に越したのが明治29年で彼が25歳のころ、「武蔵野」は雑誌「国民之友」に明治31年に発表されたと書いてあった。プロフィールを探ってみて驚く。渋谷村に住む前にスピード離婚していることがわかった。その理由もあまりにも貧しくて奥さんが逃げ出しただって。結婚までの道のりも紆余曲折だったらしく、まさに「なにやってんのさ、独歩」。私生活がそんなに荒れていれば(当人の気持ちはわからないけど)、そりゃ自然も美しく見えるだろうね。辛い経験をしたからこその名作と言えるのかな。


 -


仕事から帰宅すると、タケルから荷物が届いていた。開けてみると1冊のスケッチブックが出てきた。表紙をめくり最初に表れたのは、神社の絵だ。裏に説明書きがしてある。懐かしい癖のある少し傾いた字体。

「創建1300年という埼玉県にある高麗こま神社です。坂口安吾の「新日本地理」って本にも登場する。青空文庫でも読めるよ「高麗神社の祭の笛-武蔵野の巻」。どんな人々が武蔵野で暮らすようになったのかが書いてある。最後の方はちょっと分かりにくかったけど。それでこの神社の御祭神の一つ?一人?が猿田彦命。全国に祀られている神社はいくつもあって、島根にもある、佐太さだ神社(呼び名は佐太大神だけど同じ神様)。簡単なスケッチを何枚か書きました。同じ構図の写真はまたデータで送ります。建築好きだから風景よりも建物になった。武蔵野という土地に似てるとか違うとかいう見方じゃなく、つながりを感じる場所っていうのも面白いかと思って描いてみた」


神社のことも神様のことも詳しくないから、うまく飲み込めなかったけどタケルのスケッチは相変わらず良い味を出している。水彩絵の具や色鉛筆で色彩をつけている絵もあれば、鉛筆だけで光や陰の強弱をつけているのもある。建築家じゃなく画家を目指すつもりはないのかと聞いたことあったけど、「あんなのじゃプロとしては太刀打ちできないよ。素敵な絵ですね、なんて言われてるようじゃとてもとても。写真だって同じだろ」、と笑って誤魔化された。


 -


休日、スケッチブックを手に佐太神社に向かった。写真コンテストの概要を読んだ段階では、風景写真のことしか浮かばなかったから、なんか意外で自分で来たのに誰かに連れてきてもらった気がする。ふわふわとした足取りで、首から下げた一眼レフカメラで気の向くままに写真を撮っていると、

「岩崎さん?」

いきなり名字を呼ばれて、振り返ると「あっ、サトコ」と、ファインダーごしに覗いていた。思わず、パシッ。

「ちょっと、いきなり撮らないで」

「マスクしてるからいいでしょ」


武蔵野の道を歩いていたら、辿り着けた、私のためにあった美しい瞬間。


~作品説明文~

ここは島根県松江市の佐太さだ神社です。御祭神は猿田彦命(ここでは佐太大神と呼びます)で、導きの神様です。写っている女の子は高校の同級生で大学で出雲国風土記の研究をしています。本当に偶然の再会でした。嫌がる彼女にスケッチブックを持たせて、境内を歩いてもらいながら撮った1枚です。その中には埼玉県の高麗こま神社の絵が描かれています。その絵が溢れ出すイメージでデジタル編集しました。描いたのは、武蔵野の大学に通う友人です。実は高麗神社も猿田彦命を祀っています。普段は動物や草花などの風景・自然の写真を撮っていますが、コンテストのアイデアを友人に求めたら、スケッチが届きました。離れた土地を結びつけてくれた神様。こんな風にして武蔵野を感じることもできるなんて。素敵な水彩画を送ってくれた友人に感謝。そして、懐かしい級友との再びの縁。武蔵野はあまり表現できていませんが、武蔵野のおかげで撮れた1枚です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

武蔵国スケッチ出雲国フォトグラフ 背もたれ裏紙 @machi-heisuke

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ