三の鞠

 その知らせは寝耳の水となって氏真を襲った。父、今川義元が、尾張の桶狭間の地において、織田信長の軍勢に討たれたというのである。

「松平元康はどうした」

 松平元康とは、元服した竹千代の現在の名である。

「御生存のよしに御座います」

「よし。速やかに連絡を取れ。元康に三河を案内あないさせ、再び織田を攻める。仇討合戦を果たさねばならぬ」

 だが、それからしばらくして入った続いての連絡は、その目算を木っ端みじんに粉砕するしつのものであった。

「松平元康殿、御謀反! 当家よりの使者、弓もて追われたるとの急報に御座います!」

「なんと」

 氏真は絶句した。なるほど、松平家を三河に再興し、今川家を裏切るならば、今をいて機は他にないであろう。だが、こちらにしてみればたまったものではない。

「元康どの……いなや、竹千代。やってくれおったな」

 氏真は唇を噛んだ。この状況で三河を喪失したら、もはや仇討合戦どころか、今川家の体制を再度整え直せるかどうかも危うい。才器とは言えぬまでも武将として人並みの感覚は備えている氏真には、それがよく分かった。

そしておそらくはこの先、織田家の勢いの前に、今川家が再び優位を取り戻す日は二度と来ないであろうということも。


 果たしてそれから九年ののち、戦国大名今川氏は滅亡を遂げることになる。 氏真はその後にも生き延びたが、それからどこでどうして暮したのか、詳しいことは分かっていない。

ただ、そこからさらに六年ののち、つまり父・義元を討たれた桶狭間の戦いの十五年後、氏真が織田信長と、その同盟者となっていた徳川家康に面会し、信長に請われてその前で蹴鞠を披露したという話は伝わっている。

 ただし、このとき氏真が何をどう思って蹴鞠を披露したのかについては、本人自身の遺した日記の中においても全く触れられていない。

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