二の鞠

 氏真は義元と共に小田原城に滞在していた。小田原城は天下随一の堅城として知られる北条氏の居城であり、その現在の当主は氏康という。

 義元はここで、北条氏、今川氏、そして武田晴信率いる甲斐・信濃の支配者武田氏との三国同盟の締結に臨むため、連日、その折衝に追われていた。晴信もやってくる予定だが、まだ着いていない。

同盟の関係で三家間さんけかんの婚儀が結ばれる運びとなり、氏真は北条氏康の娘の一人を嫁にもらうことになった。これはのちの世に早川殿と呼ばれる人物である。なお、まだ先の話ではあるが、早川殿は甲相信三国同盟の崩壊後も氏真のもとに留まり続け、生涯を添い遂げることになる。

 ようやく武田晴信が騎馬武者の行進を率いて小田原城下に姿を現したその日、歓迎のための宴が開かれることになった。大名三人が杯を交し合うその場に、氏真も呼ばれた。なお、庭では小田原城下の芸のある者たちが、座興を披露している。

 氏真もの能舞台のひとつ前に、庭に出て蹴鞠を披露することになっていた。もちろん、蹴鞠は外交の一手段でもあるので、特に駿府から良い鞠を選んで持ち来ている。ふつう、蹴鞠は多人数で蹴るものであるが、今日の氏真には思うところがあり、あえて一人で蹴る鞠を披露するつもりであった。

なお、一人で蹴鞠を蹴るのは日の本においては正式の儀ではないが、しかしまったく例がないわけではなく、唐土においては稀に行われるということを氏真は知っている。

 さて、氏真のひとつ前の演者の番が来た。恐ろしく野卑で剣呑な雰囲気を纏った男であった。背は高く、ひょろりと痩せて、頬がこけている。誰かが問うともなしに問うと、玄達という名で、針を打つという。

玄達という男のそのわざは、氏真の眼から見ても驚くべき芸であった。針は、まっすぐに一筋に飛ぶ。ただそれだけである。ただそれだけであるが、その狙いはあまりにも正確で、そしてその投擲はあまりにも鋭く、ひとびとを驚嘆させること甚(はなは)だしかった。

 氏真は自分自身でも思わず、満座の中で声を発してしまった。

「妙(たえ)なるかな、妙なるかな」

 流石に、出過ぎた真似をした、と思った。冷や汗をかく。

「これ、氏真。控えおれ」

 父、義元に諌(いさ)められる。

「よいではありませぬか、義元殿。酒の席ですぞ」

 とりなしてくれたのは三家同盟の主導者、北条氏康であった。このまま言葉を切るのも間の悪い話であるから、氏真は続けて玄達に声をかけた。

「玄達殿。表を上げられよ。貴公の妙技、もう一つ、披露してくれぬか。この、扇を打てるか。源平の合戦の、那須与一のように」

 そう言って、氏真は自分の扇、今川家の家紋・足利二引両にひきりょうが描かれたそれを頭の横に掲げた。

 そこに、玄達は針を投げた。その結果は、氏真の予想を遥かに超えたものであった。

 打ちかせるつもりでいたのである。だから扇の後ろに柱が来るように立っていた。だが、玄達の針は、信じられないことに、扇の上に打ち留められていた。それも、一本ならばまだしも、八本の針が同時に、全て同じ深さで止められているのであった。まさに想像を絶する絶技だ。

 だが困ったことに、この粗野な天才の絶技は場をしらけさせた。三家和盟の場であるというのに、男が描いてみせたのは事もあろうに、この自分の今川家の家紋でもなく、おのれが仕えているのであろう北条家の家紋でもなく、何故か武田家の家紋、武田菱だというのである。

 氏真はばつの悪い気分になった。玄達という男、芸は凄まじいが、どうもそういう社交上の気回しなどというものができるような人物では全然、まったくなかったらしい。氏康は彼を場から退けようとしたが、このまま帰しては玄達の立場のためにくなかろう。そこで、本来蹴鞠の芸の上ではやるべきではないことをやった。自分のわざをあえて誇り、玄達と技くらべをしたい、と申し述べたのである。

 舞台はあらかじめ準備を頼んであった。平らな、真っ直ぐな土盛りである。ただ土が盛ってあるだけであるが、ちょうど人が歩くだけの幅がある。氏真は、その上を真っ直ぐに、同じ歩速で歩きながら、鞠を蹴った。真っ直ぐに歩きながら、少しずつ鞠を蹴って進めてゆくのである。決して落とさない。そして、歩みの速度を変えることもないし、土盛りから落ちるということもない。

 この芸は日本の蹴鞠の歴史に範のあるものである。昔、とある蹴鞠の名人が、京の清水の舞台の欄干の上を鞠を蹴りながら歩き、世人の呆れ返る前で三往復もしてみせたという。その応用であった。

 氏真は三往復はしなかった。その半分、一往復と一往である。つまり、三度土盛りの上を通り過ぎたということだ。さらに、端まで来るごとに、氏真は鞠の蹴り方を変えた。序破急である。最初の復路、つまり破の蹴鞠では蹴る頻度を遅く、鞠は高く蹴り上げ、そして最後の往路、急にあっては蹴る頻度を急にし、鞠を低く蹴った。

 さて、粗野なる玄達も、氏真の蹴鞠がおのれの芸に勝るとも劣らない絶技であるという事実は理解できたようであった。彼はただ、至極、という一言で氏真を讃えた。父たちも満足していた。どうにか、あの達人の面目を保ってやることはできたようであった。

 しかし、その後に少しばかり玄達と言葉を交わしてみて、氏真が感じたのは友誼であると同時に物哀しさであった。彼の針はただ一路、真っ直ぐに飛ぶ。自分の鞠は和であるが、玄達の針は孤独だ。その上、彼は己が孤独であるという事実を、自分自身では理解してさえもいないようなのだ。彼はわざそのものについてはともかく、おのれの生については苦悩を覚えることになるだろう。氏真はそう感じた。

 言ってやるのは簡単だった。お前は世に認められないから苦悩するわけではない。ただ、己が孤独であるということに気付く事すらできないから、苦悩するのだと。彼がその生涯の終わりまでにもしも充足というものを得られるとするなら、それは彼が、己の孤独を、己の天性が空前絶後のものであり誰とも分かち合うことができないということを頭ではなく腹で理解できたときであろう。

 だが、おそらくただそれを言葉に乗せて伝えても、玄達には理解できまい。彼には文学的な教養のようなものはまったくなかった。哲学もないであろう。なれば、彼がおのれの生涯に満足できるとしたら、よほどの幸運に恵まれた場合だけとなろう。

氏真はそう思い、そしてその日を最後に、玄達と会うことは二度となかった。彼のことを忘れる日はなかったが、その最期がどういうものとなったのかも、ついに氏真の知るところとはならなかったのであった。

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