第44話 聖 まだ生きてるよ

 私の名前はネイヤだ。ルガリス地方の犬人族の村出身だった。貧しい村だった為、食べる物も満足に食べられなかった。痩せた人が多く、体力がない者は次の日に死んでいる、そんな村だ。私はそれでも何とか十八になる歳まで生きてこられた。それは父と母のおかげだと感謝している。寒村であるここは、作物が育ちにくく、野生の獲物も少ない。主食は芋や豆だった。行商人もこんな死にかけばかりの村には寄り付かず、また来てくれたとしてもお金の蓄えなどない為、結局何も買えずだろう。

そんな村で唯一狩りの得意な父は、よく鳥を狩ってきてくれた。弓の扱いが得意だった父は、森で休んでいる鳥をの頭を一撃で仕留めてくるのだ。そんな父は私の憧れだった。母は父が狩ってきた鳥を捌き、切り分けた肉を乾燥させて干し肉にしてくれた。これで、獲物が取れない時でも飢えずに済むと言っていた。

父は自分の狩ってきた獲物を他の村人達にも分け与えていた。少量ずつしか分けられが、それでも何もないよりはマシだった。空腹に飢えず、でも満たされず。貧しいながらもそんな日々がずっと続いていくと思っていた。

年頃になった私は身体も成長していて、自分でもそこそこプロポーションはいい方だと自負していた。痩せているが出るところは出ている。そんな私に目をつけたのが、たまたまやってきた行商人だった。行商人の男は早速私の父に交渉した。いくらで買うから売ってくれと。当然父は断った。一時の財を得ても、苦しいのは変わらないからだ。しかし、その話を聞いた若い村人数人が私を売れと父に掛け合ったのだ。父は首を縦に振らなかったが、夜に男衆から呼び出しを受け、次の日、森のはずれで亡くなっているのが見つかった。母はそれを知って発狂した。病んでしまった母の許可を取る事なく、私は村の総意ということで、行商人に売られた。たった金貨一枚の為に父は殺され、母は壊れた。私は私を呪った。私が父と母の元に産まれてこなければ、父と母は苦しいながらも何とかやっていたと思う。そして、お金は怖いと思った。少しのお金を得る為に簡単に人を殺す者がいるのだ。家族を失い、生きる気力さえ失った私は、奴隷商からある男に買われた。そいつは獣人だった私を殴る蹴るは当たり前。時には鞭で打たれ、時にはナイフで切り付けられ、時には熱い蝋を垂らされ、時には毛をむしり取られた。痛かった。何度も泣いた。やめて下さいとお願いした。でもやめてくれることはなかった。逆に私が泣き叫べば叫ぶ程、ひどい事をされた。爪を剥がされた時は、激痛で死にたくなった。身体中に怪我や痣がいっぱい出来た。自慢のプロポーションはもう見る影もなかった。痩せ細り、肋が浮き、胸が小さくなった。お前の顔付きが気に入らん、何だ、その目付きは!!と何度も何度も殴られた。顔が腫れ上がり、醜くなっていると思う。そんな時に同じ檻に小さな女の子が入れられた。カノンという羊人族の女の子だった。ネイヤだとただ一言、簡単に自己紹介をしたが、その時、私はもう傷だらけで、あちこちから血が出たり、痣になったりしてて、彼女から見るとひどい状況だったらしい。でも彼女は、そんな私に話しかけてくれた。最後まであきらめたらダメでしゅよって。カノンちゃんには、私がもう何もかも諦めているように見えたらしい。事実、私には希望は残されていなかったし、いつかこの暗い檻の中で死んじゃうだろうと思っていた。だから、私はもう死にたいとカノンちゃんに言った。そしたら小さな身体で必死になって、ダメです。あなたが死んだら、私は悲しいでしゅと言うのだ。見ず知らずの私が死んで何が悲しいんだと思った。それ程私は痛めつけられて精神がすり減っていたのだ。それからカノンちゃんは毎日、お姉さん生きてましゅか?と聞いてくるようになった。この頃の私は横になっていることが多かったからだ。私は彼女の問いかけに、まだ生きてるよとだけ返した。その度に彼女は、あぁ〜、ほっとしました。お返事してくれて嬉しいでしゅと言うのだ。そんなカノンちゃんにもあの男は折檻した。小さなカノンちゃんが鞭を打たれる度に泣き叫ぶ。お父さん、お母さんと。私はカノンちゃんの泣き声を聞きたくなかった。あんなに小さな子供に鞭を打つあの男を殺してやりたいと思った。ただそう思ったところで、私は奴隷だ。何も出来ないし、何も変えられない。私は無力だ。こんな状況を覆せるような力が欲しいと思った。でもそんな奇跡はもちろん起きず、カノンちゃん鞭で打たれ続けた。檻に帰ってきたカノンちゃんは、息も絶え絶え。今にも死んじゃうんじゃないかと思った。私はたまらず、カノンちゃんに話しかけた。カノンちゃん、大丈夫?生きてる??と。カノンちゃんは、荒い呼吸で、まだ生きてましゅよ。ネイヤさんが生きてくれてるから、私もまだ大丈夫でしゅって返してくれた。カノンちゃんが私を心配してくれた気持ちが少しわかった気がした。その日から少しずつカノンちゃんと話すようになった。どこの地方で育ったとか、何が食べたいとか、好きな子がいたとか、そんな事だ。その間も私が折檻を受けたり、カノンちゃんが折檻を受けたりした。その度に私達はお互いに、生きてるか?と問い掛け、まだ生きてるよって答えるのが暗黙の了解となった。私達の身体の傷は増えていくばかり。痛みを堪えて、お互いに励ましあった。いつか、この苦しみから解放される事を信じて。私はカノンを励まているつもりで、彼女に励まされて生かされていたのだ。一人だったらきっと、もう生きてはいなかっただろう。カノンちゃんが私のそばに居てくれたから、まだ生きてるよって彼女に答えられたのだ。カノンちゃんの存在は、私の中で気付かないうちに大きくなっていた。二人で苦しい時を過ごし、一緒に乗り越え励ましあった。来る日も来る日も折檻は続いた。来る日も来る日も生きてる?まだ生きてるよって確認し合った。ある時、カノンちゃんがひどい折檻をされて頭から血を流して泣いていた。私は我慢出来なかった。痛めつけられる小さなカノンちゃんを見てるだけなんて、もう出来ないよ。私の方が大人なのに。だから私は男に言った。そんな小さな子を痛めつけて、何が楽しいんだと。どうせ痛めつけるなら私をやれと。案の定、激昂したその男は、標的を私に変えた。狙い通りだった。男は苛立ちをぶつけるように私を殴り、蹴り、鞭打ち続けた。私は必死に歯を食いしばって痛みに耐え、泣き叫ばなかった。お前に許しなど、誰が乞うものか。男は奴隷の分際で生意気なと言って、折檻を続けた。口が切れて血が噴き出て、鼻が折れて息がしづらい。でも私は立ち続けた。自分の為じゃない。カノンちゃんの為に。負けないよ、絶対。そして、カノンちゃんに言ってやるんだ。まだ生きてるよって。


男の持ってた木の棒が頭に当たる直前、カノンちゃんの私を呼ぶ声が聞こえた気がした。そこで、私の意識は途絶えた。

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