02
「リリー、学園は楽しい?」
その日の夜。
リリーが夕食後にバルコニーで夜風にあたっていると、ルカが現れた。
「ええ」
「マリアだっけ?よく一緒にいる子」
手すりに寄りかかるとルカはリリーの顔を見る。
「フレッド達が不思議がっていたよ。接点がなさそうなのに仲が良いって」
「…そうね、マリアと話すのは楽しいわ」
ふふっとリリーは笑った。
平民であるマリアと貴族の中でもかなり上位にいるリリーが一緒にいるのは、側から見れば不思議な事なのだろう。
だが身分が違いすぎるからこそ———そして身分など関係ない、共通の記憶と経験を持つマリアとの時間は、リリーにとっては自分の立場を忘れられる、安らげる時間でもあった。
「リリーが楽しいなら良かった」
笑顔で返して、ルカは視線を夜の庭へと外らせた。
「ねえリリー。僕はリリーが何よりも一番大事だよ」
やや間があって、ルカは口を開いた。
「リリーが幸せになる事が大事だし、リリーを護るためならば何でもする」
「…ルカ…。気持ちは嬉しいけれど、あなたは自分の事も大事にすべきだわ」
子供の時から、ルカはリリーを護る事に固執していた。
それは時に過剰で、心配になるほどだった。
「でも僕はリリーを護りたい。…いや、違うな。護らないといけないんだ」
「どうしてそんなに…?」
「どうしてだろうね。分からないけど、でもリリーを護らないといけないって、ずっと思ってる」
ゆっくりと、ルカはリリーに振り向いた。
「だから教えて。図書館で一緒にいた男は誰?」
「っ!」
飛び退くように、思わずリリーは後ずさった。
「な、何の…」
「黒髪で、背が高くて。ああ、隣のクラスで見かけた事があるね」
「…知っているんじゃない…」
「僕が知りたいのはそういう事じゃない」
離れようとするリリーを逃さないように、ルカは数歩近づくとリリーの手を取った。
「一見普通に見えるけど、彼の周りには幾重もの結界が張られている。外に漏れないようにしているけど、あの魔力は尋常じゃない。彼がリリーと話をしていた時、結界に触れずに様子を伺うのは大変だったよ。彼は何者なのか、リリーは知っているの?」
リリーを見つめる瞳は無表情で、そこからは感情が読み取れなかった。
「…ああ、直接聞いた方が早いか。———いるんだよね、そこに」
つ、とルカの視線がリリーの背後に逸れた。
「———私の結界を読めるとは、君も相当な魔術の遣い手だな」
闇から溶け出したように、フランツの姿がそこに現れた。
「昼間僕が邪魔だったからリリーに会いに来たの?」
「…そんな所だ」
フランツはゆっくりと歩み寄った。
「フランツィスクス・ブラウ・シュヴァルツだ」
「シュヴァルツ……ああ、確か皇太子殿下」
変わらず感情を消した顔で、ルカは相手を見据えた。
「皇太子殿下が他国に留学を?」
「リリーを迎えに来た」
「迎えに?」
「彼女を私の妃にと望んでいる」
痛いくらいの沈黙が続いた。
二人は相手を見据えたまま、僅かも動かない。
ただルカに掴まれた掌だけが熱く———リリーは息苦しさに、思わず息を吐いた。
「リリーは?」
それが合図だったように、ルカがリリーを見た。
「この人の事、どう思っているの?」
ルカから視線を逸らせ、フランツを見———リリーは再びルカに向いた。
「…フランツ様は———ずっと、会いたかった人なの」
言葉にする恥ずかしさに顔に血が上るのを感じ、思わず俯く。
「一緒にいたいと、思っているわ」
「そう。分かった」
ルカはリリーから手を離した。
「ルカ…」
「別に、反対している訳じゃないよ」
ようやくその瞳に優しい色を宿し、ルカは笑みを浮かべた。
「リリーの心が一番大事だからね」
視線をフランツに移すと、再びその色を消す。
「泣かせたら許さない」
「分かっている」
ルカを見返してフランツは答えた。
「ルカ…。父親を無視して勝手に決めないでくれないか」
突然ため息と共に聞こえた声に、三人は振り向いた。
「父上…いつからここに———」
「まさかリリーの相手が、シュヴァルツの皇帝家とはな」
バルコニーの出入り口にルイスが立っていた。
「…これも血の宿命なのか」
「血…?」
「お父様…?」
リリーの傍まで来ると、ルイスはリリーの頭を軽く撫で、それからフランツへ向いた。
「皇太子殿下には初めてお目にかかります。ルイス・エバンズと申します」
右手を胸に当てると、深く頭を下げる。
「そしてもう一つの名を———ルートヴィヒ・ヴィオレットと申します」
「何?」
フランツは目を見張った。
「〝ヴィオレット〟だと?何故その名を…」
「———これは、シュヴァルツもローズランドも知らない…私のみが知る秘密です」
深く頭を下げたままルイスは答えた。
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