03

———そういえば、入学式の前にイベントがなかったかしら。


入学式の会場となる講堂でフレデリックによる新入生代表の挨拶を聞きながらリリーは思い出した。


校舎へ向かう途中、緊張のあまり躓いてしまったヒロインが見目麗しい青年に助けられ、入学式で壇上に立つ彼が王子だというのを知る———というのがゲームの始まりだったはずだ。


…でもマリアはフレデリックよりも早く着いていたみたい。

二人は出会わなかったのかしら?


心のどこかでゲームと同じイベントが起きる事を期待していた事に気付いた時、ふとリリーは自分に向けられる視線に気付いた。



ドクン。


心臓が大きく震える。




……この視線を自分は知っている———


いや、かつて知っていた。


ドクン、ドクン、と心臓の音が聞こえそうになるくらい激しく、息が苦しくなる。



———そうだ、さっきのマリアの態度といい…どうしてその事に気付かなかったのだろう。


自分以外にもこの世界に生まれ変わった者がいる可能性に。



「———っ…」


思わず溢れそうになった言葉を飲み込んだ。


相変わらず視線は感じ続けている。

けれど式の最中に振り返る事が出来るはずもなく、リリーはただ立ちすくんでいた。


本当に、あの人がここに———?




急に緊張が緩んだような周囲のざわめきにリリーは我に返った。


いつのまにか入学式が終わっていたらしく生徒達が教室へ戻ろうと動き出す。

流されるようにリリーも身体を回した瞬間、自分を見つめる顔と目があった。



「…え———」


リリーの頭の中に二つの名前が浮かんだ。



その顔を知っている。


その瞳を知っている。


どうして…そんな、まさか。



「リリー?」

様子がおかしいのに気付いてルカはその顔を覗き込んだ。


「どうしたの?顔色が悪い」

「あ…大丈夫。…ちょっと、疲れたの」


「大丈夫?歩ける?」

「…大げさね、大丈夫よ」

そう答えながら、背中に当てられたルカの掌の温かさにほっと息を吐く。

———ずいぶんと身体を緊張させていたのにリリーは気付いた。






夕食後、部屋に戻るとリリーはバルコニーへ出た。


暖かな季節になったとはいえ、夜はまだ冷える。

肩にかけたショールを巻き直して夜空を見上げると、深く冷たい空気を吸い込んだ。



入学式で会った、あの視線の持ち主。


漆黒の髪に暗い青い瞳。

この国では珍しい濃い色彩を持つあの顔は、確かにゲームの隠れキャラであるフランツ・クラインだった。


彼が現れるのは一年後のはずなのに。

いや、それよりも———


〝小百合〟は、あの瞳を知っている。


色は変わっていたけれど、あの瞳を見間違うはずもない。

いつも小百合を見つめていた、優しくて強い瞳。



「いつき、おにいちゃん———」


ずっと心の奥に沈めていた名前が唇から零れた。





「小百合」


ふいに聞こえた声にリリーはハッと振り向いた。


バルコニーの端、夜の闇に半分溶けるように黒い色を纏った男が立っていた。



「…樹お兄ちゃん…?」

引き寄せられるようにリリーの身体が揺れる。


「本当に…?」

ノロノロと近づいたリリーの身体が強く引き寄せられた。


「小百合」


黒い男———フランツはリリーを抱き締めると、その腕に力を込めた。


「———やっと会えた…」



「……っ……にぃ…」


黒い胸に顔を埋めたリリーの喉から嗚咽の声が漏れた。

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