第139話 結構時間……かかりましたね

 



 物音ひとつしない静かな空間。

 少し開いた窓から入って来る風は気持ち良くて、昼寝するには最高だろう。

 まるで時が止まってるんじゃないかって錯覚を覚える……そんな場所で、動いている物と言ったら風に揺らてヒラヒラ揺れてるカーテン位だと思う。


「ツッキー? 私ちょっと飲み物買ってくるから? 何か飲む?」

「あっ、大丈夫です」

「はいよ。ひっしー起きたら冷蔵庫に入ってるスポドリガンガン飲ましてね? じゃあヨロシクっ」


 そう言い残すと、三月先生は颯爽と保健室から出て行ってしまった。

 まぁなぜ三月先生が保健室に居るのかは良いとして……問題は目の前で寝ている恋だ。


 顔から拭き出る大粒の汗。あれを見た瞬間、一瞬で心臓の鼓動が速くなった。

 机に突っ伏して気持ち良く寝てたんじゃない。荒々しい呼吸も、体を揺すって横顔が見えなきゃ知る余地すらなかっし、額に手を当てた時の焼ける様な熱さは……ただの風邪には到底思えなかった。


『恋? 恋!?』


 俺の声にも反応はない。ただ赤みを帯びた顔と、滴る汗。

 改めて見ると口からこぼれるそれは、呼吸と言うより息切れの様に激しく……苦しそうだった。


 そんな恋を目の当たりにして、俺の取るべき行動は1つしか思い浮かばない。椅子を横にずらして、机と椅子の間に体を入れると、背中に恋の体を乗っける。

 自分で保健室まで行ける元気なんて皆無に等しいし、それは仕方のない事。別に誰になんて言われようとどうでも良い、後から恋に何を言われたって構わない。

 俺は、恋をおんぶすると……急いで保健室に向かったんだ。


 まぁ、保健室の扉開けた瞬間三月先生が居たのは驚いたけど? 

 なんでも保健室の湯川先生がご家族の都合で急遽休みになったらしい。それでなぜ替わりに三月先生が居るのか理由は定かではないけど、今日に限っては良かったのかもしれない。


 風通しの良い窓際のベッドに、何処からか持って来た扇風機と大量のスポーツドリンク。更にヒエールピタット等など完全冷却装備を提供してくれた。

 三月先生曰く、プレッシャーとかストレスから来る発熱じゃないか? って話だけど……とりあえず、


「スー、スー」


 今現在ベッドの上に居る恋は、心底気持ち良さそうに寝てる。


 汗も出てないし、呼吸も苦しそうじゃないし……一安心って事で良いのかな? 

 保健室に来て多分1時間位、その落ち着いてきた姿を目の当たりにすると、少しだけ心が緩む。


 栄人にはストメしたし、大きなトラブルも起こってない。出来ればこのまま安静にしてて欲しい所なんですけどね……


 ベッドに横になってる恋。それを眺める俺……って、なんだこのシチュエーション! よくよく考えれば結構変じゃね? てか変と言うより、現実に遭遇できる可能性ってかなり低くない? 

 でもこれも……もしかしたら神様からのプレゼントなのではないか? 恋の寝顔をこんな間近で、こんなに長く見ていられるなんて。滅多にどころかレア中のレアなのは間違いない。だったら……


 ちょっとだけ堪能しても良いですよね?


 それにしても、本当気持ち良さそうに寝てるなぁ、さっきまでの表情とは大違い。しかもその寝顔も……可愛いじゃないかっ! でも保健室で看病するって、当事者にしたら最高だな。でも出来れば看病される側にも……ん?


 看病? その言葉を呟いた瞬間、なぜか頭の中に感じる違和感。しかもなぜかその光景をいとも簡単に想像出来て……更に混乱する。


 待て待て? なんでこんなに簡単に想像できるんだ? ベッドに横になってる俺に、それを椅子に座りながら見てるのは……恋? なんで恋? しかもなんでその背景とかもイメージ出来るんだ? 

 机に……壁に貼られてる魚と、クジラと……イルカの写真? ……あっ!


 勝手にイメージとして浮かんできたそのシチュエーション。妄想と言うには余りにも周りの風景がハッキリしてて、とんでもなく違和感を感じてたんだけど……良く考えればそれは妄想なんかじゃなくて、俺が過去に経験した記憶だったんだ。

 そうそれは……恋の前でぶっ倒れたという、恥ずかしき出来事。


 そう言えば、俺看病されたじゃん? しかも恋にっ! 

 そうだ……入学したて、新聞部に入部したてでヨーマに急に指令された白浜マリンパークの取材。確かその時俺はぶっ倒れたんだ。恋の目の前で。

 そして目を覚ますと……横に居てくれてたんだよな? 心配そうに俺を見つめる……


「んっ、んー」


 はっ! めっ、目覚めたのか?


「うーん、なんか眩しいぃ……」


 ……これは完全に寝起きの様子そのものですわ。


「おーい、恋。熱大丈夫か?」

「ん? 熱? 何言ってんの……? ツッキー? 何寝ぼけた事…………って! ツッキー!?」


 何かに気付いた様な一際大きな声が、保健室に響き渡る。そして、勢いよく上体が起き上った恋は恐ろしく速くて、見てるこっちが1番驚いたと思う。


 うおっ! めっちゃ起き上るの速ぇ! どんだけ立派な腹筋だよ!?


「いっ、いきなり飛び起きるなよっ!」


 そんな俺の言葉に、恋はまだ状況を上手く理解出来てないらしい。

 なんかポカンとした表情で俺の方を見てるなぁ? まだ記憶が定かではない?


「おーい。なにボーっとしてんの? あっ、もしかして記憶が……?」


 そんな俺の冗談にも、反応が無い恋。こうなると、いささか俺も焦ってくる訳で、


「机に突っ伏してたけど……あれって意識失って頭打ってた訳じゃないよな? おーい、自分の名前分かるかぁ?」


 ちょっと大声で、その反応を伺う事にした。もしあの状態が、意図しないうつ伏せだとしたら、色々と……


「日城恋」


 おっ、名前はバッチリっ! てか聞こえてんじゃんか、ちゃんと反応してくれよ? あっ、もしかしてそういう振りで俺がどんな反応するのか楽しんでるんじゃないだろうな? 

 ……ちょっと牽制してみますか?


「おっ、正解。じゃあここはどこか分かる?」

「鳳瞭学園の……保健室?」


 はい確定! ったく人が心配してたのにそれを逆手に取るなんてタチが悪いなぁ全く……待てよ? だったら別に手を抜く必要はないんじゃない? にししっ!


「おぉ、正解。なんだ、元気そうじゃん。あっ、でも一応聞いとくか? ……俺の名前は?」

「月城蓮……ツッキーだっ!」


 なんだなんだ、その反応は? 白々しいなぁ? でもそれ位、体調も良くなったって事なんだよな? とりあえずはこうやって会話できる事に感謝だよ。


「正解。良かった、ちゃんと覚えてるな? ったく本当一時はどうなる事かと思ったよ。部室の机に突っ伏しててさ? 汗ダラダラだったし」

「ぶっ、部室? 嘘?」


「嘘じゃないぞ? 俺、休憩の時部室に行ったらさ、居たんだもん」

「ほっ、本当?」


 本当? って……なんか結構驚いてるなぁ、自分から部室に行ったんじゃないのか? ……ん? あれ? 栄人の話だといきなり居なくなったって雰囲気だったよな? 


「なぁ恋? もしかして用事があって部室行ったとかじゃないのか? 栄人からストメ来てたし……居なくなったって」

「あっちゃぁ!」


 おいっ! その天を仰ぐ姿デジャブなんですけど? てかむしろ昨日、まさにこの場所で見た姿なんですけど?


「ツッキー? お化け屋敷大丈夫?」

「栄人に何かあったら連絡くれって言ってるけど、それもない」

「よかったぁー!」


 なんかいつもの恋って感じだけど……だとしたら、ますます部室に来た謎が深まるんだよなぁ。

 誰にも言わずに消えて? 誰も居ない部室に居た? そして恋の性格……待てよ? もしかして恋? 


 お前……熱出て、それでも必死に指示とかしてた。ついに限界が来たにも関わらず皆に心配させたくない一心で、とりあえず遠く離れた場所で休憩しようと部室まで来て……力尽きたとかじゃないですよね?


「あの……さぁ? 恋?」

「ん?」


「もしかして熱出て苦しいのを、皆に悟られない様に黙って休憩しに行こうとしてたんじゃないよな?」

「ギクッ!」


 いや、もはや声にまで出てるんですけど……やっぱりそう言う事かぁ。


「……たははぁ、参ったな」

「同じセリフを昨日も聞いた気がするんですけど?」

「昨日と同じセリフ言ったと思ったぁ」


 完全に当たりじゃないか。てか、状況的に誰でも分かるでしょうよ? でも、事細かく怒っても仕方ないしね?


「今回は俺気付いたから良かったけど、今度からはちゃんと周りに言う事! 皆心配すんだからな?」

「はぁい。了解しましたぁ」


 本当に分かってんのかぁ? 滅茶苦茶軽い返事なんですけど? ったく。


「あれ? そういえばさ……?」

「ん?」

「ツッキーがここに居るって事は、もしかして……」


 ご想像通りですよ?


「俺が連れて来たんだよっ!」

「あっ、やっぱり? 度々ありがとうございます」


 かっ、過去におんぶされた記憶はハッキリしてるんですね? なんかちょっと恥ずかしいんですけど。


「まっ、まぁなー?」

「……ふふっ、ふふふっ!」


 なっ、なんで笑ってんだ? ヤバッ、俺無意識に変な顔してたか?


「どうしたんだ?」

「いやぁ……なんか思い出しちゃって? こんな感じの事あったなぁって」


 思い出した? こんな感じ? ……まさか!


「まぁ、立ち位置は違うけどさ? ふふっ、ツッキー覚えてる?」


 まっ、マズい! 俺だけじゃないのか? この状況であの時の事を思い出すのはっ! ……ヤバいっ!


「1年生の時、白浜……」

「ごっほん! それ以上は言わない事っ!」


「えぇ? だってあの時はツッキーが……」

「ごっほん!」


 ダメダメダメ! 全部は言わせないよ? こちとら思い出すだけで恥ずかしさいっぱいなんだ。約1年越しに掘り返さないでくれ。いや、お願いしますっ!


「もうっー、ふふっ」

「とっ、とりあえず、あの時の借りはちゃんと返したからな?」


 ふぅ危ない危ない。でも気を付けなければ……思い出したという事はいつ話のネタにされるか分かったもんじゃない。


「そうだねー? ちゃんと返していただきました」

「これで貸し借り無しだからな?」


 特に、凛と沼北コンビ……あっ! 海璃とかも危険だっ! 知られたら絶対しつこく、意地汚い笑顔でネチネチ言って来るぞ? 間違いない。


「貸し借り無しかぁ……」


 そうそう、貸し借り無し。その通り!


「だったらさ、今度からは気兼ねなく……」


 ん? 気兼ねなく?


「ツッキーから貸してもらえるね」


 それは、恋の……底抜けに明るくて可愛い笑顔。その笑顔に何度救われたかなんて覚えてもいない。けど、不意打ちで見せられたらいつまで経っても反則級の破壊力。


 うおっ! だから不意打ちでそれは反則だってっ! それにさ、恋にだったら……



 いくらだって貸してやるよ。



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