第135話 月城蓮、非常事態

 



 ヤバいっ!


 嫌だなんて大層な事思っていても、実際にどうしたらいいのか分からないのは事実だった。それにそんなもどかしさを感じてる間にも、迫って来る凜の唇。


 なっ、何とかしないとっ! 馬乗りになられてるとはいえ、凜位の体重だったら力ずくで……

 そんな時、一瞬頭に浮かんだのはあの夕暮れの廊下での出来事。ワザとじゃないにしても、手を思いっきり払い除けた瞬間の凜の顔。

 そして……罪悪感。


 ダメだ。あんな思いだけはもうしたくはない。力ずくって事は結構な力を入れるんだぞ? 凜の体がどっかに倒れる事位は分かる。横は壁、後ろとかはお化け屋敷の仕切りがあるし、そっちに行ったら大惨事。しかも床は固いし、頭ぶつけてみろ? 只じゃ済まない。


 怪我をさせる事なく、なんとか凜を止める方法。まぁ考えればいくらでも浮かんでくるんだろう。けど……この限られた時間でそれが出てくるものなのか? 


 おっ、落ち着け俺? まず……そうだ、腕は動かせるんだぞ? そのまま体を押さえれば良いんじゃないか? だとしたら肩? 待て待て、この見事ハの字に伸び切った腕の状態で、凜の肩に手を当てるってなったら……ゴクリッ。丁度胸の辺りを通るんですけど……たっ、多分胸に当たるんじゃね? いやっ? ゆっくり肘を広げていけば……けどそんな悠長にしてる時間があるか? 

 仕方ない、それ位不可抗力……ダメダメっ! なんか分からないけど俺の理性がそう言ってるんです。だとしたら……くそっ、馬乗りなんて……ん? 馬乗り?


 それは……いわば閃きってやつなんだろうか。自分でもなんで馬乗りって言葉を意識した瞬間、それを思い付いたのかは良く分からない。けど……思いを賭ける相応しい、妙案である事には変わりない。


 そうだ、凜が言ってたじゃないか?


『昔遊びに行った時にさ、蓮ってばベッドに横になって漫画とか見てたじゃん。私それが嫌で、良くこうやって蓮の上に乗っかってコチョコチョ攻撃してさ?』


 それだよっ! つまりだ、安全かつ凜の動きを止める方法は……コチョコチョだっ! ひっくり返るぐらいは驚かないだろうし、痛みだってないだろ? だったらこれしかないっ! となれば……


 頭の中で考えがまとまってから、俺の行動はそれはもう素早いものだった。ぶっちゃけこの状態じゃ凜の脇腹の位置なんて正確には分からないけど、そんな事はどうでもいい。お尻と胸さえ触らなければ……とりあえずはセクハラ問題にはならないだろ。


 そうと決めたら……不意打ちなのは気が引けるが、すまん凜っ!


 その断罪の思いを胸に、俺は両手に力を入れ脇腹辺りに向けて躊躇なく手を動かす。すると指先に感じるツルツルした感触。それは間違いなく凜が着てるナース服の感触。そうと分かればこっちのもんだ、後は両手で……コチョコチョするだけっ!


「きゃっ!」


 手に感じる、柔らかい感触。それを何回かくすぐった後、その驚く様な声は瞬く間に聞こえてきた。そして、起き上がる凜の上体と……勢いよく振り払われる我が両手。だが、俺を見下ろす凜の顔は驚きに満ちた……そんな表情。


「れっ、蓮!?」


 何が起こったのか、自分の脇腹辺りをキョロキョロと見渡しながら焦るように話す凜。その瞬間、俺のミッションは成功を収めたと言っても過言ではない。


「いっ、いや、凜言ってたじゃん? 続きしよって……コチョコチョ大戦争の事だろ?」


 素晴らしい。どことなく考えていたセリフではあるけど、こうも違和感なく話せた自分を褒めてあげたい。


「コチョコチョ……」


 想像してなかったであろう発言に、呆気にとられる凜。まぁいきなりくすぐられて驚いてる最中にこんな良く分からない言葉……この反応が当たり前だよなぁ? けど、そんな俺の考えも一瞬だった。


「ふっ……ふふふ」


 ん?


「もうー、不意打ちは卑怯だよ?」


 そう言いながら、凜は……笑っていた。それは何かを企むとか、鳳瞭で会ってから見た違和感のある意味深な笑顔じゃなくって……


 昔から見続けていた……凜の笑顔。


 もちろん、笑ったってのも少し驚いたけど……それを懐かしむ自分自分にはもっと驚いた。だってさ……一瞬だけあの頃に戻れた気がしたから。


「あっ、いけないっ!」


 そんな雰囲気に浸ってた俺を、凜の声が現実へと引き戻す。

 はっ! ……やばっ、何ガラにもなく懐かしんでんだよ俺っ! てか、急におっきな声出すんじゃないよ? 心臓に悪いなぁ。


「なんだ?」

「お化け屋敷っ! 最初のお客さんもう来てるんだった!」


 お客……?


「あぁっ!」


 そうだよっ! 最初のお客もう来てるんだったっ! てか、凜! お前が……


「急がなきゃっ!」


 そう言いながら、急いで立ち上がる凜。その瞬間ずっと上に乗っかってた感触が無くなって、一気に軽くなる。だが、今はそんな感覚を堪能してる場合じゃない。


「蓮っ! 早くっ!」


 早くって……元はと言えばお前があんな事しなけりゃ良かったんだろ? ったく。なんだか納得いかない部分もあるけど、そんな凜に急かされる様に、


 よっこいしょ


 若干背中に違和感を感じながらも、なんと立ち上がったんだけどさ? それも早々に凜はクルッと体の向きを変えて、


「蓮? はいっ!」


 背中を俺に向ける。しかし残念ながら俺にはその意図がサッパリわかりません。


 ん? はいって……? なんだ?


「蓮? 急いで? ボタン閉めてよ?」


 ボタン……あっ! そうだよっ! ボタンっ! 背中のボタン付けて欲しいって話から、色々あってここまで来たんだ。

 ん? てか、そう考えたらさ……大体は凜、お前のせいじゃないかっ! けど、今は……


「はーやーくー」

「わっ、分かったって」


 それなりに凜に言いたい事は少しどころか、かなりある。だが、今はそれよりも恋が企画したお化け屋敷の成功が第一。


「よっし」

「ありがとう蓮!」


 ぐっと我慢しながらそのボタンを掛け、とりあえずは凜を送り出す。


「じゃあ、行ってくるね?」


 くっー若干笑いやがってっ! あっ、もしかして俺が焦るのを想定済みであんな行動をしたんじゃないだろうな? 確証はないけどさ? まっ、まぁ……


「あいよー」


 今は脅かし役に専念してもらいますよ。


「あっ、蓮?」


 なんだよ? まだなんか、からかいたいのか?


「なんだぁ?」

「絶対に仕返しするからね? 覚悟しなさい?」


 そう言い残すと、凜は笑いながら闇の中へ颯爽と消えていった。

 一瞬悪役の女幹部が捨て台詞を吐きながら退却して行く姿が浮かんだけど……衣装も相まってあながち否定も出来ず、


「ぷっ」


 少し吹き出してしまったのは、内緒にしておこう。


 しかしながら、これでやっとお化け屋敷のスタートかな? なんか準備万端のつもりが結果として滅茶苦茶ドタバタした訳ですが……何とかなったからいいか。


 それにしても、まさか馬乗りにされるとは思いもしなかったな……しかも凜のやつ、


『昔だったら考えもしなかった……続き……しよっ?』


 なんて言って、絶対俺の事からかってたよな? しかもあんなに顔近づけるなんて、冗談にも程があるだろっ。大体、俺がコチョコチョ大戦争思い付かなかったらどうするつもりだったんだよっ! 


 ったく……あれ? でも待てよ? あの時、普通に腕は動かせたし、言おうと思えば声も出せたんだよな?


 なんで俺……止めろって言わなかったんだろう。



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