第134話 甘い吐息
「お客さん来るぞー、準備しろー!」
「了解ー」
「はいよー」
そんな声を出しながら、お化け屋敷の中を駆け足で進む俺達。
あのブザーが鳴ったって事はお客さんが入場したって事、だとしたら3組の教室に入ってくるのも時間の問題。できればBGMとかせっかく雰囲気を台無しにするような音とかは出したくないし、急いで待機場所まで行かないとっ!
くそぉ、余裕で来たはずなんですけど!? 受付で怖がらせて時間稼いでくれよ? 沼北コンビっ! とりあえずはあと少し……ここ曲がって、端の所っ! あそこの布をめくればとりあえずは安心だっ! って凜の奴ついて来てるか? 足音はしてるけど後ろ振り向いてる余裕もないんですけど。
「凜急げ」
「うっ、うん」
小声の問い掛けに、薄っすらと聞こえる凜の声。とりあえず反応してるって事は付いて来てるって事なんだろう。そう信じて、俺は前だけを見つめていた。
最初の仕掛けのうめき声はまだ聞こえてない、間に合うぞ?
暗闇の中、辿り着いた待機場所。俺はその端に付けられた布を掴むと、一気に横へ開き……、
うおっ、眩しっ!
その明暗差に一瞬たじろいだのは言うまでもない。けど、その眩しさなんてこの際どうでも良い。とにかく中へっ! そんな思いで勢い良く、待機場所の中へ入り込んでいく。
ふぅ、危なかった。
徐々に目が慣れて、少し小さめな空間が次第にはっきりと見えてくる。イスが1脚、後は人が2人入れば一杯一杯の空間なんだけど……不思議とその狭さに安心感を覚えてしまう自分が居る。
「お邪魔……眩しっ」
おっ、ちゃんと付いて来てたな? よっし、これでとりあえずは……
「きゃっ!」
そんな安堵感に包まれていた瞬間だった、それはまさしく油断……というより予想すら出来なかった出来事。俺に聞こえてきたのは凜のその声だけで、俺は言葉すら発する事が出来ず、ただただその流れに身を任せていた……だってさ?
待機室に入って来た凜を見てたら、いきなり体勢崩して……俺の方に倒れて来たんだ。誰だって目の前で人が倒れてきたら、助けようとするだろ? 俺だって例外じゃない。
少し前かがみになりながら、手を伸ばして……何かにぶつかった事まではハッキリしてる。でも、その後の事は何が起こったのか自分でも全然分からない。気が付いた時には目の前は真っ暗でさ? 背中にはなんか固い感触を感じて痛いし?
ガタン
って椅子の倒れる音で、ようやく自分が目を瞑ってる事に気付いたんだから。
あっ、あれ? 俺いつの間に目瞑ってた? あぁ確か凜を助けようとして……しかもなんか背中とか痛いし、胸の辺りから妙に圧迫感感じるんですけど? 一体全体どうなって……
一瞬の内に起きた出来事に、未だ理解が追い付かない。分かっているのは、おそらく教室の床に寝てるって事と自分の上に何かが乗っかってるって事だけ。でもまぁ、目を開けない事には確かめようもないし? そんな不思議な状態を確かめるべく、俺はゆっくりと目を開けていく。しばらくぼやけた視界は、意外とあっさりとハッキリしてきて、その先に見えてきたのは、誰かの……髪の毛。
ん? 髪? なんかつむじみたいなのが見えてるんですけど? これって……普通に考えたら頭? というか、あの状態で有り得る人物……って、待て待て? だったらこの俺の胸辺りに顔乗っけてるのって……
「んっ、ん……」
それが誰なのか何となく理解した瞬間に、心臓の鼓動が速くなって、少しずつ体の底から寒気が走る。そんな体の反応は、目の前の人物が顔を上げなくたって、俺の予想が正しいって教えてくれる。
ヤバい……見るだけでも症状出まくりだったのに、もはやこの状況は……
「あっ、蓮? 大丈夫?」
そんな不安をよそに胸に感じていた重みが軽くなり、その人物の顔があらわになる。もちろんそれは見慣れた顔であるのは間違いなかったし、その心配そうな顔も……今までに何度も見た事のあるものだった。
やっぱり凜!? 待て、思い出せ? 何でこんな状況になった? ……あっ、こいつがこけそうになって、反射的に助けようしたんだ。
んで、なんかにぶつかったって感覚はあったんだけど……まさか上手い具合にマット代わりにされるとは思いもしなかったわ。ってのんきにしてる場合じゃないだろ? この状況……つまり凜が俺の上に居るって事だぞ? じゃあ勿論今現在感じてる柔らかい感触ってのも……
「れっ、蓮?」
うぉいっ! かっ、顔が近いんだよっ!
自分の言葉に俺が反応しなかったからか、凜のやつはまるで俺の顔を覗き込む様に顔を近付けてくる。そしていきなりの接近に俺が動揺しないはずはない。
こんなに近くにある凜の目、鼻、唇を意識するだだけで頭の中は避難命令が交錯してるってのに、体は全然言う事を聞いてはくれなかった。
「蓮!? 目は開いてるのに……もしかして頭打った!?」
そんな俺の状況なんて知ってか知らずか、凜はそうつぶやくと心配そうに更に顔を近付けてくる。もはやその距離は、どことなく息遣いも感じられる位の……近さ。
まっ、マズイ。滅茶苦茶近いっ! てか、いっ、息遣いが鼻に感じるんですけど? どこまで近付いてくるんだよ? ダメだダメだ、これ以上は!
頭の中はもはや緊急非常事態宣言が飛び交い、必死に両手足の筋肉へ引っ切り無しに信号を送り続ける。
どっか少しでも良い、ちょっとだけでも動いてくれっ! そんな俺の必死の叫びは……
「だっ、大丈夫だ」
滅茶苦茶か弱いながらも……辛うじて届いてくれた。
「はっ! よかったぁ」
その声は、凜にも届いたんだろう。凜はその一瞬で穏やかな表情を見せると、ゆっくりと上体を起こし、
「ふぅ」
大きな溜め息をついた。
あっ、危なかったぁ。
その溜め息を聞いた途端、俺の頭の中の緊急非常事態宣言も解除の動きを見せ、徐々に手足の感覚が戻ってくる感じがする。小指から人差し指……それらを握れる事が、こんなに嬉しいと思った事は過去に1度もないと思う。
「蓮、何にも反応しないから。目開けたまま失神しちゃったのかと思った」
失神って……いや、ある意味正解かもしれん。凜お前のせいでなりかけたぞ?
「いや、目開けた途端、目の前に顔があったら誰だって驚くだろ? しかも体の上に乗られてるって状況を理解するのに時間は掛かるって」
「体の……? あっ、ごめんっ! 重たいよね?」
焦る様な声を出しながら、周辺を見渡す凜。そんな様子を見る限り、凜も俺の体の上に乗っかってるなんて今気付いたたんだろうか?
「いや別に重くはないよ」
差支えの無い事を口にしながらも、内心は早くよけて欲しいって気持ちでいっぱいだ。
だってね? この格好、色々問題あると思うんですよ? しかも第三者が見たらそれはもう大問題に発展しちゃうでしょ?
しかしこいつは……俺の気持ちを汲むって事が出来ないんだろうか? そんな俺の言葉を聞いた瞬間、少し笑みを浮かべたんだ。そりゃ嫌な予感しかしないよ。
「ねぇ蓮? 覚えてる?」
覚えてる? ってこの状況で話す事ですかっ!?
「おっ、覚えてるって?」
「昔遊びに行った時にさ、蓮ってばベッドに横になって漫画とか見てたじゃん。私それが嫌で、良くこうやって蓮の上に乗っかってコチョコチョ攻撃してさ?」
あっ、そうだ。ん? いやいや、遊びにって……お前が勝手に家に来てたんじゃねぇか? 俺は漫画とか読みたいって言ってんのにっ! しかもいきなり馬乗りになって脇腹コチョコチョとかマジで地獄だったぞ?
……おい? 待て? まさかそれやろうとしてるんじゃないだろうな? 止めろよ? 絶対止めろよ?
「コチョコチョはやるなよ?」
「蓮、脇腹弱いもんねー」
そんな事を言ってる凜の顔は、それはもうやってやりますよと言わんばかりの意味深な笑顔。もちろん警戒をしない訳にはいかない。
くっ、こいつ絶対やる気満々だっ! 力を入れて、耐えろっ!
「ふふ、でもさ? 蓮」
あれ? やらな……い?
「なっ、なんだ?」
「学年が上がるにつれて、何となくそんな行動とか恥ずかしくなってさ? コチョコチョ大戦争もしなくなったよね?」
「まぁ、そうだな」
コチョ……あぁ懐かしいな。大体やられたら後には必ずやり返してたな? 今考えれば……やべっ、それこそお尻とかも……昔の話ですっ! 昔の話なんですっ! 純粋無垢な子どもの時の話です! あっ、今だって滅茶苦茶純粋ですけど?
「ねぇ……蓮?」
1人、心の中で必死に代弁している最中だった。それはさっきまでの凜とは全く違う声色。耳に入った瞬間、それはついさっきまでのものとは明らかに違っていて……変化を感じ取るにはそれだけでも十分だった。
けど、それだけじゃない……だってさっきまで笑みを浮かべていた凜の表情は……その一瞬で俺を真っ直ぐに見つめる真剣な眼差しになっていたんだから。
明らかに雰囲気が変わった凜を目の前に、違った意味で緊張感が走る。
なっ、なんだ? なんでマジな顔になってんの? まさかこの体勢でそんな真剣な顔って……待て首絞めるとかそっち系じゃないですよねっ!?
「この体勢の意味……今なら蓮だって分かるでしょ?」
そんな物騒な事を考えていた俺の予想に反して……次に聞こえてきたのは、凜の……言うなれば色っぽい声。
これを色っぽいって言うのが正しいのかどうかは良く分からない。でもそんな……溶かされる様な声なのは間違いなかった。
なっ、何だよその声。しかもどういう意味だよっ!
「どういう……事だ?」
「嘘。蓮だって分かるはずだよ? ねぇ……蓮?」
こいつは、全くもって俺を休ませる気なんてない。理解が追い付かない俺にことごとく追い討ちをしてくる。
「昔だったら考えもしなかった……」
考えもしないって……おっ、おいっ!
「続き……しよっ?」
目の前の凜は、明らかに雰囲気が違う。聞いた事のない様な色っぽい、優しく甘えるような声を出しながら、上体が段々と俺に近付いてくる。
ちっ、近付いてるんですけど……うおっ! みっ、右手っ!? ひっ、左手ぇ!?
間髪いれずに顔の横に突き立てられる腕。言うなればそれは壁ドン……いや、今の状況なら床ドンって方が正しいだろう。
しかしながら、現実世界では滅多にお目に掛かれないであろうシチュエーション。しかもまさかそれを受ける側になるなんて想像すらしなかった。馬乗りにされ、床ドンされ、ジワジワと近付いてくる凜の顔。あり得ない状況のオンパレードに、正直……頭の中は真っ白だ。
まっ、待て!
近付いて来る顔。上半身に感じる、凜の感触。
おっ、お前何しようと?
段々と目を細めていく凜。柑橘系の香りが鼻の中を通っていく。
嘘だろ? お前……まさかっ!
閉じられた瞼に、柔らかそうな唇はリップでさらに艶やかに見える。
凜っ! お前このままだと……キスしちゃうぞ! 待て待てってば! お前はそれで良いのか?
こんな偶然の流れに身を任せて、それでいいのかよっ?
『にししっ、ツッキー?』
俺だったら……
『ふふっ、蓮ったら』
そんなの絶対……
『ツッキーに会えて……嬉しい……』
絶対に嫌だっ!
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