第81話 君の笑顔に癒されたい

 



 外に広がる澄み切った青空。それはまさに俺を鼓舞してくれているようで心強く感じる。そして柄にもなく朝シャンして身支度を整えてるなんて自分でも信じられないけど、今日はそうせざるを得ない。


 3月14日。

 世の男性陣が良い意味でも悪い意味でも女子達から意識されるであろう日。そして俺自身そのプレッシャーをかつてこんなにも感じた事なんてあっただろうか? 


 やる事はやった。今現在俺の可能な限りの気持ちを込めたし、作る過程でのミスもなかった。詰めたクッキー全5種類、焦げとか形崩れも確認して最高の物だけを選び、ラッピングだって下手くそなりに頑張って形にはなった。


 そう、考えられる範囲での下準備は整っている。あとは渡すだけ……そして恋が喜んでくれるかどうか。


 不味かったら捨てても良い。でも気持ちだけは伝わってほしい。机の上に置かれたピンク色のラッピング袋を眺めながら、俺は切に願った。


「ハッ、ハークション!」


 うぅ、早く服着よう……。




 危ねぇ……風邪引くとこだったわ。まぁ気を取り直せ! 部室の扉……ここから先は正念場だぞ? 渡すタイミングもそうだし、雰囲気も大事! よしっ、行こう!


 ガチャ


「おはようございます」

「あら、シロおはよう」


 ん? とりあえずヨーマだけか? だったら先に渡しちまおう。


「あっ、葉山先輩、これバレンタインのお返しです」

「へぇー、私にもちゃんと返してくれるんだ?」


 いやいや、普通返すでしょ? 


「いや、高級チョコには及びませんけど……戴いたら返すのが礼儀ですので」

「なんかムカつく。でもまぁ良いわ……ありがとう」

「どういたしまして」


 何かしら俺には毒を吐かないといけないのかね? まったく。でも意外とお礼も言ってるし……やっぱりヨーマだけは読めんなぁ。


「おはようー」


 ん? この声は……桐生院先輩?


「おはよう、采」

「おはようございます、桐生院先輩」

「早いねー。あっ、彩花。これバレンタインのお返し」


「あら、意外と我が部の男性陣は気配りが出来るのかしら? ありがとう」

「いや、お返しは礼儀でしょ?」

「はぁー、なんかあんた達ムカつく」


 えぇー! 出た理不尽な言葉の暴力! なんですか? 俺と桐生院先輩が同じ事言ったからですか? 


「ははは」


 笑う所じゃないですから? 先輩? 俺達今軽く虐げられてるんですよ? 慣れって恐ろしい。


「えーと、あとは恋か……」


 ガチャ


「おはようございます」


 おっ、噂をすれば!


「おはよう」

「おはよう、日城さん。あっ、これバレンタインのお返し」

「わぁ、ありがとうございます」


 さすが桐生院先輩。挨拶からお返し渡すまでの一連の動きがスムーズだ! どうする? 俺もあんな感じで、とりあえず美容グッズの方だけ渡すか? クッキーは最後! 出来れば2人きりの時じゃないとな……ヨーマに何言われるか分からないし。


「恋、おはよう」

「……おはよ」


 それは一瞬で分かった。いつも俺に明るく話し掛けてくれる恋。その笑顔は俺にとって恋のイメージとして刷り込まれている。

 けど、今まさに俺の前に居る恋は……いつもの恋じゃない。いや、正確には俺に対してなんだろう。ヨーマや桐生院先輩にはいつも通りの笑顔を見せていた恋は、俺に挨拶され、俺を見た途端にその表情を曇らせた。


 ん? なんだ? 機嫌でも悪いのか? でもヨーマ達には普通だったよな?


「じゃあ早速、ホワイトデー特集の感想と、今年度のゴシップペーパーの総括やりましょ」

「そうだね」


 なんだ? なんでそんな顔してるんだ? 俺にだけ? 分かんねぇ……全然分かんねぇよ。




 ぶっちゃけそのあとの事はよく覚えていない。記憶にあるのは、ホワイトデー特集はまあまあだったってヨーマが言った事と、今年度お疲れ様って労いの言葉。

 やっぱりあとの事は覚えてない。ただ頭の中で、何で恋はあんな感じなのか。なんで俺に対して冷たいのか。俺は何か恋に対して怒られるような事をしでかしたのか。その疑問だけが頭の中をグルグル回っていた。

 話の最中、恋は1度も俺の方を見なかった。話し掛けても来なかったし、相槌を求める事もない。そんな恋を俺は横目で見てる事しか出来なかった。


「……今日はここまで」


 はっ! あぶな……全然話聞いてなかった。この様子だと別に俺に話し掛けてたって訳ではなさそうだな。


「とりあえず新学期始まるまでは部活も休みにしようと思うけど、良い? まぁ各々気になる事があれば自由に部室使っても良いし」

「そうだね、了解」

「分かりましたー」


「シロも良い?」

「えっ? はっ、はい」

「了解、じゃあ皆お疲れ様!」


 ヨーマはそう言うと、そそくさとカバンを持って立ち上がる。その様子に釣られる様に桐生院先輩も……そして恋も荷物をまとめ始めた。


「新学期からも頼んだわよ? じゃあね」

「僕達もだろ? じゃあね」


 見慣れた2人のやり取りを……2人仲良く帰って行く姿を、こんなにも羨ましく思った事はない。今の俺が求めてるのはまさにその、いつも通りの姿だった。


 カチャ


 そんな2人が部室から居なくなったあと、すぐに聞こえる金属音。考えなくたって分かる、恋が何をしようとしているのか、そして俺がクッキーを渡せるタイミングは今しかないって事も。

 机を挟んで向かい側で立ち上がった恋は、持ってきたカバンを今にも持ち上げて帰る素振りを見せる。なんで俺に対して機嫌が悪いのか、怒ってるのか全然分からない。分からないからこそ、なんて声を掛けていいのかも分からない。けど……それでもタイミングは今しかなかった。


 やばい! このままだと恋帰っちゃう。しかも機嫌悪いまま! なんで怒ってんだ? 俺何かしたか? 確かにここ数日は恋にバレないようにヨソヨソしい感じにはなってたけど……それか? それが原因なのか?


 スー


 俺がそんな事を考えてる間に、聞こえてくるパイプ椅子を動かす音。それと同時に恋はドアの方へ歩いて行く。

 まずい、このまま帰すな! でもなんて言えばいい? なんて……いや! もうどうでもいい、とりあえず引き止めろ!


「れっ、恋!」


 何が何でも引き止める。その結果、俺はパイプ椅子から勢いよく立ち上がり、上ずった声を出す事しか出来なかった。けど……それでも恋が立ち止まってくれた事を考えれば、その行動は称賛に値する。


「……なに?」


 無表情。いや、いつも明るい恋からしたら無表情ですら少し怖く感じてしまう。

 けど、立ち止まってくれたって事は話しを聞いてくれるって事だろ? だったら、意地でも渡して……不機嫌な理由を聞き出してやる!


「あっ、いや。ちょっと待って……」


 まっ、まずはヨーマにも渡した美容グッズ渡そう。そんで理由だ! こんな状態でクッキー渡しても何の意味もないよ!


「こっ、これ! バレンタインのお返し」


 どうだ?


「……ありがとう」


 とりあえず受け取ってくれた! じゃあ……って! 帰ろうとするな! 


「恋! ちょっと待てって」

「……」


 その視線……やっぱ怖っ! いつも優しい奴が怒ったらものすごく怖いとかってこんな感じなのか!


「えっと、俺何かした?」

「……分かんない」


 分かんない?


「分かんないって……だって明らかに俺の事怒ってるじゃん?」

「分かんない」


「さっきだって目も合わせないし、口調もなんか冷たいし……」

「……」


「俺恋に何かした? 嫌がるような事したかな?」

「だから……」


 だから?


「分からないんだよ!」


 それは今日の今まで俺に目を合わせなかった恋が、俺の目をまっすぐ見て言った言葉。何かを吐きだしたかの様な声は部室に響いて、そんな恋の表情は、怒ってる訳でも嫌そうな訳でもなく……不安いっぱいで今にも泣き出しそうな……そんなものだった。


「れ……ん?」

「分かんない、分かんないの。なんで自分がこんなになってるか全然……」


 分かんないて……本当にどういう事なんだ?


「でも、俺が悪いんだろ? 俺のせいなんだろ?」

「……違う」


「えっ?」

「ツッキーは悪くない。全部自分が悪い」


 俺は悪くなくて恋が悪い?


「話してくれない?」

「……」


「俺、恋のそんな顔見たくないよ……」

「……怒らない?」


 全然分かんないけど……とりあえず話聞くしかないだろ? 余程の事じゃない限り、恋に怒るなんて持ち持ち微塵もないよ。


「当たり前だろ? 言ってみて?」

「……嫌だった」


「嫌?」

「うん……」


 嫌だったって何がだ?


「何……が?」

「ツッキーが……ツッキーがみつきっちと仲良くしてるのが嫌だった……」


 はっ? 三月先生と?


「えっ、普通に話してるだけだぞ? 今までもそんな感じだったじゃん? 恋だって」

「うん。分かってるんだ……でも、何でか最近それが嫌になった。ツッキーがみつきっちと話してるのも。2人で歩いてるのも。見てるだけで嫌になった」


 えっ、なんでだ? なんでいきなり? 


「そりゃ、みつきっちは皆と仲良いよ? でも最近ツッキーはみつきっちと特に仲良い感じで、それに見たんだ、家庭科室に居るところ!」


 げっ! バレてた? それ見られてたの?


「そうだよ、元はツッキーがいけないんだ。私に嘘ついて、みつきっちと一緒に家庭科室に居て……」


 嘘はついたけど……これはまずい! なんか誤解してないか?


「いや、あれは……」

「ツッキー言ったよね? 今日の私冷たいって! でもツッキーの方が冷たかった! 話し掛けても逃げるように居なくなるし、嘘はつくし!」


 うわぁー! めちゃ誤解してる! でも、クッキーの事バレないようにしてたのがダメだったのか? 逃げてる様に感じたのか? そうなのか?


「それには理由が……」

「理由て何? それに昨日だって私見たんだっから……」


 昨日? 昨日ってまさかクッキー作ってるところ? 


「昨日?」

「家庭科室で……キスしようとしてたの……」


 キ……ス……? あぁ! くっ、あの時の……見られてたのか? まてまて、誤解だ誤解! 有り得ないから! あれ……? て事はあの時落ちてた缶コーヒーって……もしかして恋が買ってきてくれたのか?


「だから……だから……」

「恋、あのさ」

「分かってる……」


 こりゃ……ちゃんと話さないと。誤解されたまんまになっちゃう。


「分かってないよ?」

「……えっ?」


「あのさ、確かに俺は恋に嘘ついた。それはごめん。そんで、家庭科室で三月先生とお菓子作ってた」

「やっぱり……」


「そんで、昨日も作ってた」

「……」


「でもはっきり言って、恋の見たその……キス? しようとしてたの? あれ全部三月先生の冗談」

「じょ、冗談? でも冗談であんな……」


「俺もびっくりしたけどね? けど、俺と三月先生はそんな関係じゃないし、てか……絶対にあり得ないよ」

「……」


「でも、三月先生とクッキー作ってたのは事実。お願いしたのも俺だしね? クッキー作りの先生として」

「えっ?」

「あっ、ちょっと待って?」


 なんか恋に申し訳ない事したな。喜ばせようと思って、バレないように接してたのに。嘘ついてたのに……結局それが原因で恋の事傷付けてたんじゃないか? でも、そこまでして俺は恋にあげたかったんだよ? 渡すなら今しかない!


「はいっ、これ……」

「これって……?」


「えっと……クッキー。恥ずかしいけど一応手作り」

「て……づくり?」

「うん。ほら、ホワイトデーの特集決める時恋言ってなかった? 手作りクッキーって憧れませんか? って、だから」


 反応はどうだろう? 俺の思い過ごしだったら嫌だなぁ。


「もっ、もしかして家庭科室で作ってたのも……?」

「うん、恋に渡す為に特訓してた」


「昨日の家庭科室に居たのも……?」

「これ作ってた。だってバレンタインの時梅干しチョコ貰ったしね? あれめちゃくちゃ嬉しかった。味もだけど、何より恋が俺の言った事覚えてくれてたってのが1番嬉しかった。だから、俺もそれに負けない位のサプライズしようと思ってさ」

「……バカ」


 バカ? 俯きながらナチュラルに悪口?


「ごめんごめん、嘘ついてたのは本当ごめん。それに無理して全部食べってって訳でもないからさ? 不味かったら全然捨てても良いから」

「本当……バカ。捨てる訳ないじゃん……」


 そう言って、顔を上げる恋。内心、泣いてたり怒りの形相だったらどうしようかなんて、最悪の事態を想定してたんだけど……どうやらその心配はないみたいだ。


 俺の目に飛び込んできたのは……いつもと変わらない恋の笑顔。それは途方もなく嬉しくて……途方もなく俺が待ち望んでいた日城恋の姿だった。


「本当にツッキーの手作り?」

「嘘言ってどうするんだよ? ちゃんと特訓した。味だって5種類用意したんだぞ」


「5種類!? 本当に?」

「あぁ、これ位しないと恋のサプライズに勝てないだろ?」


「そっか。ツッキー……ありがとう」


 うおっ! ヤバっ! ここ数日で1番の可愛い笑顔じゃんか! やっぱり……俺……


「でもなぁ、理由はどうあれ嘘つかれたからなぁー」


 ん? まだそれを言うか!


「いや、だからごめんって」

「だめー、許さない」


「えぇ! クッキーでもダメなの?」

「クッキーはお返しでしょ? 嘘は別物だよ?」


 ははぁー。別の何かをさせる事で嘘の部分もチャラにしようって魂胆だな? まぁその条件にもよるけど……仕方ない、嘘ついて変な気持ちにさせちゃったのは事実だしね。


「なるほど? それで望みは?」

「にしし……話が分かるねぇー。じゃあ……」


 なんでしょうかね? ヨーマに悪口言うとかはダメだよ!



「…………ギュッて……して」



 ……はぁ? って顔俯いてる! ちょっと待て? ギュッて事は……抱き締めてって事!?


 いやいや、表情が見えないんですけど? もしかして冗談で笑ってるとかじゃないでしょうね? 昨日そんな感じのやられたばっかなんですけど?  


「れっ、恋。冗談だろ?」

「……」


 無言ー! なんで何にも言わないんだよ! むしろこのタイミングだったら冗談でしたーとか言えたでしょ? それとも……本当なのか?


「恋……本気なのか?」


 確認も込めて、それとなくもう1度恋に問い掛けてみる。俯いてる時点で、もしかしたらって思ったけど、恋のその行動で確信に変わる。


 ゆっくり頷いた? マジかよ?


 気になる子を抱き締める、それほどの喜びはないだろう。現に俺にとっちゃご褒美に等しい。けど、いざそれをしてくれとなると話は別で……嬉しいはずなのにめちゃくちゃ恥ずかしい。けど、これは恋のお願い……お願いは叶えないと! 

 そんなのを頭の中でひたすら繰り返して、俺は息を整える。


 いいのか? 恋、お前が言ったんだぞ? いいんだよな?


「じゃあ恋……行くぞ?」


 その言葉に、恋はもう1度……頷いた。


 言っちまった! もう、やるしかない。緊張する! ドキドキする! でもどうせだったら……思いっきり抱き締めてやる。


 恥ずかしそうに俯いてる恋は……可愛い。いつも見せてる明るい姿とは違う、それだけでなんだかドキドキする。そんな恋の目の前に立って、腕を……恋の背中まで伸ばしていく。そして……


 ゆっくりと背中に触れて、恋を……恋を……自分の元へ抱き寄せた。


「あっ……」


 こぼれる様な声と鎖骨から下が恋に触れ合って……心地良い。シャンプーの良い匂いがして、なんだか滅茶苦茶落ち着く。そんな自分の背中に感じる腕の感触。それは俺に負けない位強くて、それに負けないように俺も腕に力を入れる。


「ツッキー……心臓がドクドクしてる……」


 はっ! いや、ドキドキするでしょうよ! 女の子……しかも気になる子抱き締めてたらそりゃドキドキするでしょ!? なんか俺だけ恥ずかしい思いしてないか? こうなりゃ……


「恋だって……心臓の音分かる位ドクドクいってるぞ?」


 どうだ? いや、実際には分からないけどね?


「わかる……?」


 えっ? 思ってた反応と違う……


「あっ、当たり前じゃん」

「ふふふっ。すごく……安心する」


 はっ! 止めてくれ、そういうの止めてくれよ! 恋がそういう事言うとギャップが激しいんだよ! だから……可愛すぎるんだって!


「ふぅ……ツッキーありがとう」


 その声が耳に入って良かったかもしれない。ゆっくりと腕の力を抜いていくと、それと同時に恋の温もりも離れていった。


 危ねぇ! あれ以上居たら、俺言っちゃうところだった! 口滑らすところだったよ!



「ねぇツッキー、これ開けて良い?」

「もちろん」


 あの笑顔は、俺を救ってくれた。


「どれどれー、本当だ! たくさん種類ある! ちょっと味見しよっと」


 何度も救われた。


「んー! 美味しい。甘さとかもバッチリ! すごいよツッキー!」

「本当か? よかったぁ」


 ホントはすぐにでも言いたい。


「本当だよ! めちゃくちゃ美味しい! 本当にありがとうツッキー」


 でも、無意識に立ち止まる自分が居る。


「全然だよ。喜んでもらえて良かった」


 まだ出会って1年も経ってない。


「にっししー! めちゃめちゃ嬉しい! あっ、ツッキーも食べて良いよ? はい、あーん」

「あーんって!?」


 そして何よりこの関係を失いたくない。


「いいじゃんー! はーい」

「いいってー!」


 それに、まだその時じゃないと思うんだ。


「ぶー! 早くして! はい!」

「わっ、分かったって! あー」


 それがいつかは分からないけど、


「どう?」

「美味いけど……俺には甘すぎるかな?」


 それは多分自然にやって来て、


「そう? まさか本当に私好みに作ってくれたの!?」

「そうだって言ったろ?」


 自然に俺は口にすると思う。


「ドヤ顔で言ってもダメだよー? どうせ勘でしょ?」

「当たり前じゃん!」


 恋、君の事が……


「……ふふふ」

「……ははっ」




 好きだって。



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