第71話 除夜の鐘、響きし心、誰の中

 



 目の前に居る、俺が知っている人は……俺には気付いていない。

 それは幸運なのかもしれないし、不幸なのかもしれない。今の俺にとってはそのどちらも当てはまる。


 その人は不意に左の方を向いて何かを見つめた。俺から見たら右側、そこにあるのはお守りとかお札を売っている所。売店? いやもっと違う名称があるのかもしれないけど今の俺には分からない。むしろそんなのどうでも良かった、その人の行動を自然と目で追っていただけなのだから。


 その人は2、3回頷くとその売店らしき場所へ向かって歩いて行った。この時点で何か買おうとしているのは分かる。つまり、それはその場で立ち止まるという事。


 そこで俺に2つの選択肢が浮かぶ。幸運を願って声を掛けるか、不幸を察してこのまま立ち去るべきか。

 いや、不幸と感じている時点で俺は本来の目的を忘れているのかもしれない。あの日の俺に戻る為に、わざわざ桜ヶ丘に帰って来たのに……俺は菊地達の話を聞いて安心した。

 そう感じた以上、俺はまだ乗り越える事が出来ていなくて、面と向かって立つことに躊躇しているんだ。


 そもそも……俺は何を乗り越えるために来た? 


 桜ヶ丘という場所か? 中学の友達か? それとも噂か?


 そもそも、乗り越えるってどうしたら乗り越えたって言えるんだ?


 忘れる? 消した? それとも逃げ出した場所に戻れたら?


 ハッキリ言ってあいつに対する気持ちは複雑だ。最初はたまらなく好きで、それからたまらなく憎くなった。それと同時にどうして話したのかって疑問もあって、ちゃんと話して本人から聞けばって後悔もあった。


 そして俺はあいつをいや、高梨凜を忘れようと逃げた。心の中から消したかった。

 逃げるのは簡単だ。そりゃ逃げる為に相当な努力もしたけれど、それは自分が頑張れば結果として付いて来てくれるものだったから。

 けど、心の中ってものはそう簡単にいかない。必死に努力しても、心の奥底にこびり付いたものは思っていてもなかなか消す事はできない。


 けどさ、そう考えると……消そうって思ってる時点で、俺はあいつを忘れられてないんだよな。


 消そう消そうって考えてる以上、その影にはずっと彼女の存在が居て……

 別に会わなくても良いって思ってる時点で、彼女の事を思っていて……


 つまり何を言いたいのかって言うと、


 乗り越えるって、普通になる事なんじゃないかな?


 会ったら会ったで普通に接する。会話だってする。だってただの普通の知り合いなんだから。

 凜が居るかも……なんて思ってる時点でその人を特別に考えてる訳で……勿論今は嫌な感情ではあるけど、心に残ってるって意味合いでは好きとか大切だとか、そんな感情と何ら変わりはない。


 だから、消すことは出来なくても、変える事は出来る。そう……普通の知り合いって位置付けに。


 別に何の感情も持たない、何とも思わない。ただ、会ったら挨拶位はする……そんな関係。

 感情的には無って感覚なのかな? そんな感じ。


 だって、今俺は凜の事何とも思ってないんだろ? だったら出来るはずさ? 消すんでも、忘れるでもなく……普通の知り合いにする事位。


 まぁ、考えるのは簡単だけど、実行するのは難しいけどね? でも、幸い目の前には半々の確率でその知り合いが居る事だし。

 だったらこれこそ……乗り越えるって事なんじゃないかな? だったら、


 俺はゆっくりと歩き始める。向かう先は勿論決まっていて、神社の売店。その人物が何かを買おうと立ち止まっている場所。

 その後ろ姿はやっぱり似ていて、正直どっちなのかは分からない。けど、近付くに連れて段々と心臓が音を立てて速くなる、口も異様に乾く。分かってはいるけど、こんなにも勇気の要る事なんだろうか。


 距離が近付いてきて、そうしなければいけない瞬間が迫った時だった、おもむろにその人物は肩から掛けていたバッグの方に目をやり、何かを探すようなそぶりを見せる。


 うわっ!

 一瞬こっちを向くんじゃないかって思ったけど、どうやらその心配はないらしい。探しているって財布か何か……


 この距離まで近付いて、改めて分かる。目の前の人物が掛けているショルダーバッグ、それはやはり見覚えのあるものだった。正確に言えば……最近見た覚えのあるバッグだった。


 そして、お目当ての物を見つけたのか、それを取り出すとその人はショルダーバッグをゆっくりと腰の辺りにまで移動さたんだけど、その動きに釣られるように何か少し大きめな物が姿を現した。


 それを見た瞬間、俺は驚いた。

 もちろん、嬉しいって気持ちもあったけど、それ以上に驚いた。だってその人は到底こんな所に用もないだろうし、ここに来る理由もない人物。だけど、その人物が目の前で立ってるのは現実で、幻影なんかじゃない。


 だって、キツネがこっち見てる。


 忘れるなんてありえない。黄色いキツネ。それは俺の口元を緩ませ、体を軽くするには十分なストレス発散アニマルだった。


 なんでこんなところに居るんだ? いやいや、別に今はそんな事どうでもいいか。


「すいませんー、これ下さい」


 やっぱり、この声は間違いない。どれどれ? 何買ったのか見てやろうかな? あっ、今のは何か見えなかったなぁ。ん? もう1つ手に取った?


「あっ、これいいかも。すいません、これも下さーい!」


 ん? なになに……健康のお守り? 健康ねぇ? あっ、まさかだと思うけど、これがストメで言ってたお土産じゃないだろうな? どうしようか、ここで驚かせてやるか。そーっと近くまで行ってと……


「もしかして、これがお土産じゃないだろうな?」

「はっ!」


 勢いそのままこっちを振り向く驚いた顔。

 それは紛れもなく、ここ数ヶ月で何度も見たであろう……


 恋の顔だった。


「えっ、えぇ! ツツツツッキー!? なんでここに!?」

「うおっ、そんなに驚くなよ。だってここ俺ん家の近くだし? 俺的には恋がここに居る方が驚きなんだけど?」


「いっ、いやだって! だってツッキー実家には帰らないって言ってたし!」

「あれ? ストメで言ってなかったっけ?」

「言ってない! 言ってない! 全然言ってないよ!」


 数日ぶりに聞く恋の声。数日ぶりに交わす恋と会話。それはごく普通で、ごく当たり前で……楽しかった。


「いやぁ、ごめんごめん。それより、1人なのか?」

「あっ、うん。パパに乗せて来てもらったんだけどさ、どうも初詣とか興味ないみたいで連絡くれたら迎えに来てくれる約束になってるんだ」


 恋のパパ……か。恋の顔を見る限り、多分結構なイケメンなのは間違いないと思う。女の子は父親に似るって言うしな? あれ? て事は俺は母さんに……? ダメ、今のなし。


「ツッキーは1人なの?」

「ん? あぁ妹と一緒に来たんだけどさ、途中で友達見つけたらしくってさ……」

「つまりボッチだと? あっ、ありがとうございます」


 軽く悪口言いながら巫女さんとやり取りしてんじゃないよ! 蔑ろにしないでくれ!


「ボッチではない。単独行動だ」

「一緒です。ふふ」


 まぁいっか、会えないと思ってた恋に会えただけでも十分凄い事だし、今日のところは許してやろう。ちなみ気分も良いから……


「あっ、立ち話も何だし、座って話するか? 時間大丈夫?」

「うん! 大丈夫」

「それじゃ……」


 あっ、あそこでお汁粉売ってんじゃん。絶対好きだろ恋の奴。


「お汁粉でもおごってやるよ」

「えっ、本当! やったぁ」


 滅茶苦茶目がキラキラしてる! 

 こうして、まったくもっていつも通りの恋と一緒に風情のあるお店の前までやってきた俺は、お汁粉を2杯注文した。

 もちろん待ってる間に色々と聞いたんだけど、要は数年ぶりに家族が揃ったので、年の瀬を親戚の所で過ごそうという事になった。その親戚の住んでる所が桜ヶ丘であり、せっかくだからと恋は初詣に訪れていた……という訳なのである。


「ふわぁー美味しい!」


 本当旨そうに食べるよな恋って。


「ツッキーありがとう」


 その底抜けに明るい笑顔。それは幾度となく俺を助けてくれた……ん!? なんだ? 心臓が締め付けられる? マジか、なんで症状が? 最近マジで多い。一時期パッタリ止んだのに、最近になって……と言うより恋と居る時にこうなる事多くないか? なんでだ? 俺は恋の事もう何とも思ってないのに。


「あれ? ツッキーどうしたの?」

「ん? なんでもないよ? にしても旨い」


 なんでだ? なんでだ? 俺は恋の事まだ信じ切れてないのか? 色々助けてもらった恩人をか?


「ねぇ、ツッキー」

「ん?」


 自分で考えているより、簡単に克服できるようなものじゃなかったのか? まだ俺の中に……



「ツッキーに会えて……嬉しかった」



 その言葉を……

 その笑顔を……

 体で感じ取った瞬間……心臓に大きな衝撃が襲いかかる。


 症状とは違った衝撃。いつもより大きいけど、いつも感じてたそれと違って……全然痛くない。

 ただ、心臓がゆっくりと大きな音を立てて動いて、体全体が火照る様な感じで……顔が熱い。


 そして、見慣れたはずの笑顔で俺の方を見ている恋が、とてつもなく……


 可愛かった


 あれ、なんで? 恋ってこんなに可愛かったっけ? あれ? 滅茶苦茶心臓がバクバクいってんですけど? あぁ、まずい何か言わないと変に思われちまう。


「なっ、なに言ってんだよ」


 明らかに上ずった声。けど、それを出す事すら精一杯だったのに、そんな事お構いなしに、


「本当……だよ?」


 さっきの笑顔とはうって変わって、少し恥ずかしそうにしている恋を見た時、俺は思った……と言うより気付いてしまった。



 俺は……


 月城蓮は……



 日城恋の事が好きなのかもしれないって。



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