井の頭公園のゲルニカ
かなたろー
井の頭公園のゲルニカ
もう15年前くらい前、井の頭公園を、当時、付き合っていた彼女と歩いていたら、一人のパフォーマーに出会った。
木製のみかん箱の上に乗った彼は、全身を白塗りして、空に向かって手を掲げたまま、一切動かない。
白像に扮した彼に、興味を惹かれた人たちが、足を止め、いつしか人だかりができる。
僕と彼女も、その人だかりの一部になった。
しばらくすると、少女がひとり、白像の前に近づいて行った。
白像は、少女にニッコリと微笑む。
そして、空に掲げた手をゆっくりゆっくりと下に動かして「ご自由にお入れください」と、書かれた箱を指した。
バツの悪くなった少女の両親が、少女に百円玉を渡す。
少女が百円玉を箱に投げ入れると、白像は優しい笑みを浮かべた。
笑いと拍手の中、白像は後ろを向いてしゃがみこむと、キャンバスが貼られていない、空洞の額縁を取り出した。
長髪でセンター分けのカツラを被り、額縁を持った手を胸の下で軽く組む。
そして、ニヤリと微笑する。
「モナリザ」だ。
見事な変身に、拍手と歓声が湧き上がる。
モナリザは、周囲に笑顔で答えると、目が会った僕にことさらにいあやしい、いや、いやらしい微笑する。
そして、僕から視線を外すと、その瞳をゆっくりと下に動かして「ご自由にお入れください」と、書かれた箱をいやらしい視線で見つめている。
僕は、苦笑いを浮かべながら、財布から100円玉を取り出して、箱に入れようとする。
すると、周囲から、クスクスと笑い声が漏れ出した。
見上げるとモナリザは、まるで、この世の終わりのような、落胆にくれた悲しい顔をしている。
「やられた……」
僕は、ため息をついて千円札を取り出すと、モナリザは一転、ご機嫌の笑顔になった。
大爆笑に包まれる中、僕が千円札を箱に入れると、観衆から、大きな拍手が沸き起こった。
あの拍手の半分は、僕に向かっていた気がする。
その後、モナリザは、ミロの「ヴィーナス」になり、ロダンの「考える人」になり、その度に拍手と、お捻りと、大きな笑いを巻き起こした。
歓声が一際大きくなった時、これまでずっとサイレントパフォーマンスを貫いていた白像が、みかん箱を飛び降りた。
そして、突然、大きな声で喋りだす。
「本日は大変ありがとうございました。次が最後の作品となります。
あの、パブロ・ピカソの代表作です。
この作品は、たくさんの登場人物がいる絵画でして、私一人では作品を完成させる事ができません。どうか、ご協力ください!」
白像は、有志を募って「作品」を作り始めた。
「あなたは、牛です。くるっと振り返って無表情」
「あなたは馬です。こう、激しく嘶いて」
「お嬢さんはここで少し上を向いて中腰」
「お母さんは、このロウソクを持って」
「最後に、お兄さんは両手を上にあげて、空に向かって思いっきり叫んでみよう!」
お兄さんと呼ばれて作品制作に参加した僕は、言われるがまま、訳も解らずに両手を上げて、
「こうですか!?」
と叫ぶ。
「良い良い、上手ですよ! さあ、いよいよ作品の完成です!」
白像は、僕の目の前で、ゴロンと仰向けになる。
そして、パンと手を鳴らすと、両手を思い切り地面に叩きつけた。
「完成しました!『ゲルニカ』」
観衆の拍手に包まれる中、空を見上げながら、僕は思った。
「……ゲルニカ? なにそれ??」
家に帰って、僕はパソコンで「ゲルニカ」を調べた。
ピカソが作り出したその強烈なメッセージに、何も考えずにアホズラをして、天を仰いでいた自分に恥ずかしくなったことを鮮明に覚えている。
白像は、なぜこんなにメッセージが強すぎる作品を、観衆を巻き込んで作ったんだろうか。
なぜ、「ゲルニカ」で無ければならなかったんだろうか。
確かに、人が沢山登場する作品で、ゲルニカ以上の有名作は思い当たらない。
強いて言えば「最後の晩餐」だけど、これでは登場人物が多すぎる。
「意味はない。単に、大道芸に向いていたから」
これが正解な気がするんだけど、やっぱり、ちょっと引っかかる。
僕は、「ゲルニカ」という作品に込められた強い強いメッセージを知らないまま、ただ、天を仰いでいたのだ。
そして、史上初の無差別空爆を受けたゲルニカの人々も、何も知らないまま、ただ、天を仰いていたはずなのだ。
井の頭公園のゲルニカ かなたろー @kanataro_
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