第6話 翔の大活躍

 南国の海を肉眼で空から見る事は翔には初めての経験だった。こんなに海が綺麗なコバルトブルーだったとは知らなかった。

「うわあ、綺麗だなあ」

「そうだな、だが、ハチ島の方がもっと綺麗だ」

 翔は観光に来たような能天気な事を言ってしまい、しまったと思った。

 背鰭島に一番近い港と言えば、隣の龍宮島にある港だろう。翔と陽炎は本土の港ではなく龍宮島に降りる事にした。本土の港ではそこいらに居るかもしれない警官に最新式のヘリコプターを目撃されて、そこの警察に気付かれると思えたからだ。本土の港の方がボートの良いのが借りられるだろうが、救出は少人数で敵に気付かれないようにしたい。夕刻になるにつれて、段々曇ってきた。天候が悪くなれば好都合だ。見張りの目も誤魔化しやすい。

 田舎の島の港では、銃弾薬を背中に背負い二人の男が港をうろうろするのは結構目立った。都会でもそうだろうけれど。翔は結構気が引けながら歩いた。貸しボート屋の看板は、直ぐ見つかった。そこの船着場の前にお爺さんがぼんやり木箱に座っていた。たぶん店の主だろう。

「モーターボート貸してください」

 翔が話しかけると、お爺さんはじろりと翔たちの姿を眺め、

「現金だよ、あんたら、ちゃんと戻って来るだろうね」

 店のお爺さんの心配はご尤もだ。だが翔も悪気はないのだが、保証は出来かねる。黙ってお金だけ渡した。陽炎は無言のままだ。

「ちゃんと戻って来おいよう」

 心配なお爺さんはしつこく何度も叫んで見送ってくれた。

 陽炎は黙って自分から運転しだした。島育ちらしいから、ボートには慣れているのだろう。

 暫くしてから、陽炎は急に話し出した。

「翔、着いたらお前は烈を探して助け出してくれ。俺は橘一族を葬らなければならない」

「そんなこと考えていたの、何人居るか知らないけれどこの武器で足りるかな。と言うより今の時代、殺生は罪ですよ。仇はあっても、過剰防衛にならないようにしなくちゃ」

「いいや、やつらは何か企んでいるんだ。悪い芽は早く摘み取らないと手が付けられなくなってからではどうしようもないんだ。美術品を相当売りさばいてかなりな金額を溜め込んでいる。まだ使っていないんだ。何に使う気なのか、嫌な予感がする」

「というと、どんな予感だよ」

「まだ解らないけど、今から忍び込んで何かわかったら言うよ。とにかく奴らは俺の能力と素性を知っていて利用しようとした。俺を利用するのが妙に楽しそうだった。何故か解らない所が胸糞が悪い」

「ふうん、ところで忘れていたけど熊蔵爺さんは元気なの」

「四年前までは元気だったけど、最近の事は知らん」

「ご尤もです。だけど爺さんならその橘一族の事、何か知っているかもしれないと思って。聞いてからでもいいんじゃないかな、その、皆殺しは」

「誰が皆殺しにするといった。あいつらの組織を潰すんだ。お前職業に似合わない事考えるな」

 翔はつくづくよく聞いておいて良かったと思った。

「ところで烈は何処に捕まえられているの」

「俺も知らん、時々電話で生きているのを確かめているだけだ。第一、中の配置図も無いんだから、何処に居るか知っていてもお前に解るように説明できるはず無いだろう。ドアに鍵が掛かっている部屋に閉じ込められているはずだ。地下か、最上階が怪しい。たぶん一階は有り得ん」

「それくらい俺にも分っているよ」

 翔は憤慨したが、一階は有り得ない事が確かめられそこは跳ばせると考えた。しかし、そう言い切れるだろうか心配になった。

「もし一階に居ても俺の責任じゃない」

 翔は呟いた。翔の呟きを聞き、陽炎は思わず言った。

「おい、大丈夫か。リラの方がまだましだったかなあ」

 翔はもう当分、陽炎とは口を利くまいと思った。

 背鰭島に段々近付いてくると、島の姿が見えてきた。背鰭島と言うだけあって、遠目には魚の背鰭が海の波間から見えているような感じだった。海岸は絶壁で周囲の海も岩があちこちから突き出ており、ボートを止められる所など無いようだ。それどころか、あの絶壁を登らなければならないらしいが、翔はまさか島に行くのにロッククライニングの道具が要るとは思わなかった。道具が無くて、さて、どうしたものかと思った。

 島に着く直前、陽炎はまた話し出した。

「烈を見つけたら、俺の事はほっといて二人だけでボートで逃げろ。いいな、念を押しておくぞ」

「お前はどうやって逃げるのさ」

「これ位の距離泳げる。だから俺に構うんじゃあないぞ。龍宮島に戻ったら、そうだな次の本土の定期便の船で帰れ。生きていたら、俺もその頃には戻る」

「じゃあ船の発着所の切符売り場で待っているから、きっと戻って来いよ。帰りの切符買う金は持って無いだろ」

「当たり前だろう。先に俺のも買っておいてくれてもいいぞ。最悪、間に合わない時は泳いで追いかけるから」

 陽炎はあたりを見渡すと、

「そうだな、ボートはこの辺に止めて浮かべておこう。乗り付けると見つかるだろうから」

 そこで、翔は疑問をぶつけた。

「あんたは相当泳ぎはうまそうだけど、俺はそうでもないんだ。この武器はどうする。もって泳げないよ」

「泳げよ、その袋は防水だぞ。何のための防水だ」

「うっそう、無理」

 翔が叫んでいる間に、陽炎はさっさと自分の分を背中に担ぐと、そのまま海に飛び込み泳ぎだした。

「先に行って停電させておくからな、早く来いよ」

 振り返ってそう叫ぶと、陽炎はどんどん遠ざかっていくが、翔は見送っている場合ではないと慌てた。

「そう言われても、無理だってば」

 翔は中身を広げて、持っていくものをどれにするか考え出した。最小限、烈の分と自分のとで普通の拳銃三丁、それと弾丸だけはあるだけ持った。翔は両手が使える、つまり二丁拳銃使いだった。それだけは特技と言えるだろう。

 それでも翔は泳ぐのに不自由したが、何とか遅れて島にたどり着いた。翔は絶壁を見上げながら、

「仕方ない、自力で登るしかないな。雨にならないうちにさっさと上ろう。だけど帰りはどうするかな。

 何処かでロープを手に入れるべきだな」

 と、独り言をいい、四、五メートルほどの何とか登れそうなところを見つけた。で、必死で登った。

「それにしても、あいつはずいぶん早く登ったんだなあ」

 よいしょと上に上がって松林を過ぎると、翔は唖然とした。そこは舗装していない道を挟んで、古い今にも壊れそうな木造の家が、ぽつんぽつんと建っている、鄙びた近代文明から取り残された村だった。

「何だコリャ。電柱なんかありゃしない。何が停電させとくだ。ハイテクのアジトは何処にあるんだ。俺って迷子になったのかな」

 翔としてはハイテクと言うからには、ビルとまでは行かなくても、何階かある鉄筋コンクリートの建築物を連想していた。

「ちょっと、打ち合わせ不足じゃないか。何処も平屋じゃないか。地下室なんかも有りそうにも無いぞ」

 翔は途方に暮れてとぼとぼと田舎道を歩いていると、やはり迷子だと思われたか、一軒の家からお婆さんが出てきて、

「お兄ちゃん何処に行きたいのかのお」

 と聞いてくれた。仕方ないので翔も話を合わせて、

「すみません、橘さんちは何処でしょう」

 と訊ねてみた。するとお婆さんは、怪訝な顔で、

「ええっ、何ていったかねえ」

 と聞き直すので、仕方なくもう一度大きな声で、

「美術商のたぶん大金持ちの橘さんですよ」

 と聞くと、親切なお婆さんは、

「ああそれなら、あそこだよ」

 と、指差した。そっちの方を見ると、道の先の方の少し小高くなった所に、塀で囲まれた大きな門構えの家があった。と言っても庭木が鬱蒼と生えて、外からは家は見えない。

「どうも、ありがとうございます」

 翔は礼を言って、とぼとぼ、歩きながら、門から入るわけにも行くまいなあと困ってしまった。後ろを振り向くと、まだお婆さんはこっちを見ていた。翔の様子が気になるらしい。だが、翔と目が合うと慌てて家に入った。まずかったかなと思ったが、まさかお婆さんがスマホを持っていて、一味に連絡する訳は無いだろうと考えた。

 門の前まで来ると表札に確かに橘と書いてある。門扉は無かった。誰でも自由に入れそうだ。翔は、門扉が無いのに塀を越えて入るのもバカバカしく思い、門から堂々と入ってしまった。陽炎が見ていたら、呆れるんじゃないかなと思った。だが別に見張りは居ないようで、侵入者を捕らえようとやってくる気配は無かった。先に停電させておくと言ったからには、監視カメラとかが動いてはいないはずだと思う事にした。庭に作られてある小道を暫く歩くと、大きな昔風の木造の家があった。二階家である。翔は、平屋ではなくてほっとした。

「此処が見かけによらず、ハイテクだったんだな」

 翔はどうやって入ろうかと思った。さすがに玄関からは拙そうだった。

「一階は有り得ないんだから、二階の窓から入ろう」

 翔は呟くと、屋根に飛び乗った。翔は身軽なのでこういう事は得意だった。二階の窓から中の様子を窺うと、そこは書斎のようなつくりで、誰も居なかった。だが窓は開いていなかった。そこまで都合よくはいかなかったようだ。それでも窓は木枠の古いつくりだったので、ガラスをはずして鍵を開ける事は容易だった。

「本当に此処なんだろうな」

 翔はまた不安になってきた。つくづく打ち合わせ不足が悔やまれる。といっても、陽炎も判って居なかったかもしれないと思い直し、そうっと、中に入った。書斎を出て、部屋を一つずつ見て回る事にした。部屋はどれもドアになっていて、鍵穴もあった。これは打ち合わせ通りだと思った。二つ目の部屋には鍵がかかっていた。此処かもしれないと思った。翔はポケットから針金を出し、適当にガチャガチャやって見ると直ぐに開いた。旧式の家だから簡単だ。一寸簡単すぎるのがかえって心配だったが、開けると夕刻の薄暗い光しか射さない部屋の中に、誰かがいるのがわかった。その誰かは、翔を見て話し出した。

「ずいぶん早かったじゃないか、良く此処がわかったねえ。さすが翔だ。親父が必死で仕込んだだけの事はある」

 聞き覚えのある声だが、陽炎ではない。彼が翔をこんなふうに褒めるわけが無い。

「というと、あなたは烈さんですか」 

「そうに決まっているだろう。俺を捜しに来たんだろう。翔、一寸この手錠を外してくれないか」

 そう言いながらゆっくりと廊下に出てきたのは、陽炎と良く似た顔だが青白くがりがりに痩せた、かなり弱っている感じの男だった。烈である事は疑いようも無かった。手錠を今度は細い針金であけながら、翔は内心、うまく見つけられて本当に良かったと思った。烈に会った事が無いので、本人と判るかどうか心配だったことは杞憂だったと思った。また、烈はかなり性格の良さそうな人だと思われた。そういう良い人にはついつい翔も態度が良くなってしまうのだ。

「無事で本当に良かったです。でもどうして俺が来る事が分ったんですか」

「強から聞いたんだよ」

 翔は少し驚いた。

「あれ、強が来たんですか」

 烈はくすりと笑い答えた。

「いいや、強は今、この家の地下のアジトにいる奴らを始末しているところだ。なぜ分ったかというと、俺も強も人よりも耳が良くてね。同じ建物の中ににいるときは、少しぐらい離れていても会話できるんだ。だから忍び込んできたときに、すぐ分ったんだよ。で、少し話をしたんだ。お前の事も聞いたよ。それより、逃げる前に、例の巻物を頂いて帰ろうよ、隠し場所は調べて分っているんだ。強も承知している」

「それはいい、何処なんですか」

 烈は翔が先ほど最初に忍び込んだ書斎に行ったので、翔もついて行った。高価そうな大きな絵を壁から外すと金庫があった。金庫の開け方も烈は知っているようで、すらすらと番号を合わせながら金庫のダイヤルを回した。烈は言った。

「いつもやつらが開けている音で見当はついていたんだ」

 金庫はあっという間に空き二人で中を覗くと、中は奥行きがかなり広く、あるはあるは、純金の年代物の彫刻品や、何焼きかは詳しくないから判らないが、高そうなお椀やら、宝石のついた中東の壷やら、もちろん巻物も直ぐ目に掛かった。

「せっかくだから、持てるだけ、頂いていこうか」

 と、烈が言ったので、翔は先ほど良い人と思ったのは、間違いだったかなと思った。烈はちらりと翔を見てまた言った。

「誤解するなよ。これは大概、強の盗んできた物だ。持って帰って持ち主に返せば罪状が減るだろう」

 結構烈は感が良いらしい、翔は慌てて言った。

「別に何も誤解していませんよ、それに陽炎は人質を取られて、仕方なく窃盗をしたと申告しているから、たぶん執行猶予が付くと思いますよ。まあ、持ち主に返すに越した事はありませんけど」

 烈は翔の話に納得したのか、

「ああ、そうか。陽炎って言うのは強のことだよな。それなら、重たいから止めておこう。それより俺らの刀は無いかなあ」

 と、金庫の中を捜し始めた。

 翔は強烈兄弟が(先刻から名前の由来に気が付いていた翔である)刀を持っていたとは以外で、聞き返した。

「烈さんたちの刀ですか」

「いや、俺らのと言うより、広永家の、と言うより紅一族の家宝の刀だな」

「か、家宝。うちに家宝があったんですか」

 烈の説明により、翔の目がギラリと光った。

「家宝、家宝は何処に」

 翔も覗き込んで、二人して捜したが、それらしきものは見当たらなかった。

「おかしいなあ、あいつらは持っているようなことを話していたのに」

 と、時間も忘れて捜していたが、烈は急にびくっとした。

「いかん、早く逃げねば、こっちに上がってくるぞ」

 なにやら、階下が騒がしくなったのだ。それからは必死だった。階段を駆け上がって来る音に慌てた二人は、巻物だけ掴むと翔の入ってきていた窓から下に飛び降りた。

「うっ」

 烈が呻いたので、足を痛めたかと翔が烈の顔を覗き込む。烈は大丈夫だと言う表情なのでほっとした翔は、烈の手を引いて元来た道に行こうとした。すると烈は家の裏を指差した。二人して裏の方へ走った。以上は僅か数秒の事だ。二人とも忍の血筋なので、いざと言う時は尋常でない動きをする事が出来た。と言っても、もう少し余裕の有る逃げ方も、先ほど逃げれば出来たはずではあるが。

 数メートル走って烈は喘いだ。四年間も閉じ込められていた後のダッシュは、きつそうである。

「翔、俺は走りは無理だ。この巻物を持って一人で行け」

「あほう、何のために来たんだ」

 翔は烈を小脇に抱えると、ダッシュで走り出した。烈がかなり痩せていたので出来た技である。追っ手が後ろから拳銃で撃ってきた。慌てて走っていると急に前が開けた。足元は十メートルほどの崖で、下に小さな入り江があり、そこにモーターボートが何隻か繋いであった。急な石の階段で降りるようになっている。

「このまま降りても、標的になるだけだな」

 翔たちは一旦追っ手を振り払わなければならないと考え、そこいらの松の木に身を隠し、拳銃を構えた。と言っても、烈が、松の木に身を隠したので、翔も真似をしたのだが、翔は隠れきれなかった。

「烈、俺って向うから見えていそうじゃないかな」

「見えてるぞ、人の真似するなよ」

「そんな、じゃ俺は何処に隠れるんだよ」

「俺に構わずさっさと逃げないからだ」

 そうこう言う内に、追っ手が来て打ち合いになった。しかし考えてみると翔は両手で撃つんだから、

「まっ、これでもいいか」

 と言う事で左右に顔を出しながら何とか追手の四,五人を倒し、また翔は烈を抱えて階段を降りた。そして翔と烈は速そうな新品のモーターボートを選んで乗って、脱出する事が出来た。次の追手が、崖っぷちの下の洞窟から出てきたが、翔は彼らを直ぐボートから撃って倒した。こっちの方の崖は岩ではなく土を削った断層になっていた。アジトの地下室と言うのは崖下の洞窟から出入りできるように見えた。

 背鰭島を脱出して直ぐにすっかり日が暮れて、あたりは真っ暗だった。岸から見てももう闇しか見えないだろう。

「たぶん強さんはこっちに回って島に上がったんでしょうね、俺は向うの岩場を登ってきたんです」

 翔は烈に話しかけると、

「どうやら、それが正解だったようだな。俺は今朝までアジトの地下室に閉じ込められていたんだけれど、お前らがやって来ると言う情報が来て、あそこに移し変えられたんだ」

 と、烈は笑った。

 翔は置いておいたモーターボートの近くまで戻ってみると、辺りは真っ暗でそのボートを見つけるのは一苦労だった。モーターボートのライトをつけてみたが、スイッチの変え方が解らず近くしか照らせない。

「この辺だと思うんだけどなあ」

 翔が途方に暮れていると、アジトの方から大きな爆発音がして、一瞬辺りがぱっと明るくなった。たぶん強のした事だろう。そのお陰でボートの位置が何とか掴めた。

「ああ、あそこだったのか、やれやれあいつが居ない時でもお世話になるなあ」

「なんか、お前と強はいいコンビのようだな」

 烈が笑いながらボートに乗ろうとすると、ボートの中から、

「お前らの方こそ、たいしたコンビぶりだったな」

 と言う声がして、寝転がっていた陽炎こと強が起き上がった。

「早っ、先に戻っていたのか」

 翔は驚いた。

「お前らが、お宝に目がくらんでいるうちに、さっさと爆薬を仕込んで逃げたさ。余裕こいているようだから先に戻ったけれど、あまりの遅さに呆れるよ。爆発する時にまだお前らがまごまごあそこに居そうだったら、迎えに行かなきゃならんとこだった」

 それを聞いて、烈はけらけらと楽しそうに笑って言った。。

「何言っているんだ。俺たちのボートを追っかけて、此処までたどり着いていただろう。判っているんだぞ。翔がボートを捜してもたもたしているうちに、先を越したんだ」

「ははは、ばれたか。烈の笑い声を聞くのは四年ぶりだな。もう聞けないかと思った事もあった。翔、どうもありがとよ」

 強は柄にも無くしんみりと言ってそのままくるっと後ろを向き、また横になった。

 過酷な運命に翻弄された挙句、やっと四年ぶりの再会となった二人だが、抱き合って喜び合うでもなく、四年前も多分そうであっただろう様に、冗談を言い合っていた。俺が居るからきまりが悪かったのかなと、翔は思った。気を使おうにも狭いボートの上である。翔は黙ってボートを運転した。その時地元の警察らしいボートが何隻も通り過ぎた。

「あっ、チーフに連絡し忘れていたのに地元警察が動いている。変だな」

 翔が驚いて言うと、

「俺がさっき代わりに連絡しておいたよ。お前はどうせ忘れると思ったからな。ああ、俺だってスマホぐらい持っているよ。といっても保釈の時、あのチーフが連絡用に貸してくれたんだけどね」

 翔は、チーフの野郎は俺を信用していないなとつくづく思った。

 龍宮島に着いたが、店は閉まってお爺さんはもう居なかった。

「喜ぶ爺さんの顔が見られなくて残念だ」

 と言いながら、翔たちは連絡船の乗場に行ってみた。運良く本土行きの最終便に間に合った。

 かなり大きなフェリーだが最終便だからか、乗客は十人ほどしか居なかった。だが濡れ鼠の自分たちの格好に気が引けて、翔たちは二等客室には行かず船内のレストランに入った。夜十時といえば、食事には遅い時間だったので誰も居ない。その上、ウエイトレスさんも居ない様である。これはかなり都合が良かった。三人は食堂の片隅のテーブルについた。

 今時珍しいほど痩せた栄養失調気味の男と、服を着たまま泳ぎを楽しんだらしい様子の二人の男。兄弟のように似ているから、多分夏のバカンスに来たんだろう。何か注文してくれないかなあ。このまま陸に上がったんじゃあ、この便の儲けは無いや。という声が聞こえてきそうなほど、こっちを見ているシェフに気が付いたのは、栄養失調の烈だった。

「翔金貸してくれないか。俺、なんか食べたいな」

 翔はそうだったと、

「あっ、気が付かなくてすみません。なんか買って来ましょう。何がいいですか」

 と言うと、烈は奥の壁に貼ってあるメニュー表を見ながら、即座に決めかねていた。視力もかなり良いらしい。

「どれも久しぶりだなあ、エビフライ定食にしようか、カツカレーも懐かしいなあ。でも、金が足りるなら、ステーキ定食にしてくれ」

「おい烈、翔は金は結構持っているから、たっぷり驕らせるのはいいんだが、久しぶりにまともな物食べる時に、そういう重たい物は消化に悪いんじゃないか」

 と、強が口を挟むと、翔はそれもそうだと、

「そうだ、別にケチるわけじゃないけど、最初はうどんかお粥にしておいた方がいいんじゃないかと思うけど」

 と賛成した。

「いやだ、俺はずっと捕まってた間中、逃げたら肉を食おうと思っていたんだ。誰がなんと言おうと肉を食う」

 烈は見かけによらず主張を曲げない。と言うより翔の最初の印象は間違いだったと思える。

「うどんかお粥がいいですよ」

「俺が食うんだから、俺の食いたい物を買って来い」

「翔、こいつの言う事は聞くな。うどんを買って来い。たぶんお粥は売ってないだろう」

「ステーキ定食だ」

 何を言い争っているか聞こえたシェフは、三人の座っているところまで行くと、気の毒そうに、

「すみませんが、もう遅いのでカレーライスか、すうどんしか有りません」

 と詫びた。なんと言うバツの悪さ。

 詫びられた烈は顔を赤らめて、言った。

「あ、どうも。じゃあ、うどんで良いです」

 翔は、烈は顔が赤くなれるくらいだから、体の方はそれほど深刻な状態ではなさそうだな。やれやれと思ったのだった。だが、こんな状態になるくらいだから、今までは相当な苦労だったろう。しかし自由になったら、烈は全てを忘れたようにあっけらかんと、シェフ自らが持って来てくれたうどんを食べていた。それを見ていた強は言った。

「翔、俺のも頼んで来い」

「ああ、これ以外といけるぞ。翔、二杯目頼む」

 うどんを注文しに行きながら、翔はあいつらの逞しさは父親譲りだろうと思うのだった。

 お金を払うだけじゃバカバカしいので、翔は自分の分はカレーにして、遅ればせながら食べていた。他の二人はあっという間に食べ終わっていた。そして、少し離れて例の巻物を広げてみようとしていた。

「何で離れるのさ。こっちに来て、俺にも見せてよ」

 翔はカレーを食べながら呼ぶと、

「お前の側だと、食い物を溢されて大事な巻物が汚れちゃ困るからな。見たけりゃこっちに来い」

 強に言われて翔はムッとした。歳は少ししか離れてないくせに、親父面するなっていうんだ。と思いながら席を立ち言ってやった。

「だいたい、そういう古文書は、昔言葉で書いてあるはずだ。あんたら外国育ちの癖にそういうのを読めるのか」

「親父から少しぐらいなら習っているさ」

 言いながら、強は巻物を解くと、絶句した。

「ほら見ろ。読めないくせに、俺の姉たちは大学の国文科に行っていたんだ。その時俺はその教科書を良く見ていたんだ」

 翔は余裕の微笑を浮かべながら、ほらを吹きつつ巻物を見てみた。

「なんだこのミミズの走ったようなのは、これが字か。漢字の所もぐしゃぐしゃじゃないか。なんと言う下手糞な字。これじゃあ読めん」

 烈は笑いながら、

「本国育ちにしちゃあ、草書っていうものも知らないようじゃないか。お前は」

「ソウショ?なんだそれ、まあ家に帰ってお姉ちゃんたちに見せれば読んでくれるよ。それは間違いない。とにかく、ここには汝の敵を愛せよ、いやお前の敵、お主の敵だったかな、まあそういった意味の事が書いてある。これは本当だ」

 翔は汚名挽回とばかりに、先日広永和夫から聞いたばかりの事を受け売りで披露した。

 すると強は呆れたように翔を睨むと、巻物のミミズを指差し、

「あほうそのくらい俺らの一族では常識だ。そのあとに、もじゃもじゃ書いてある、ここん所が知りたいんだ」

 強に馬鹿にされて、

「なにがあほうだ。お前は俺の今日の活躍を見ていないから、そうゆう俺を馬鹿にした態度しか取れないんだ。烈、ちょっと説明してやれよ」

「はいはい、翔は偶然とは言え最短で俺の所へ来たよ」

「偶然とは何だ、偶然とは。おれはちゃんと情報不足の処は自分で推理して行ったんだぞ」

 翔はまたほらを交えて言い返すと、強にまたやり込められてしまった。

「島の婆さんに聞くのが推理か」

 何故か知らないけれどこの男は何でもお見通しだ。初めから分っていた事ではないか。しょんぼりしていたら、

「もうこいつは外すか。うるさくてかなわん」

 と強は翔のシャツの首筋から小さなマイクを外した。

 翔は、そうだったのかと、何時付けられたのか判らなかった隠しマイクを睨みながら、気を取り直して無事に救出した事を家に報告しようと、スマホを掛ける事にした。父に報告すると、何時戻ってくるか聞くので、

「川田に迎えに来させるつもりだ。明日の夕方までには帰る」

 と、伝えておいた。きっと宴会の準備をするつもりだ。次に川田に連絡をして迎えを頼むと、

「今からかよ、もう夜中だろう。家に帰って眠ろうと思ったとこなのに」

 渋る返事だった。

「なんだよ、明日の朝そっちを出発してもどうせこっちには夕刻しかつかないし、そしたら、帰りはどうせ夜中じゃないか、同じことだよ。さっさと来いよ。それに宴会が、」

 と翔が言いかけると、川田は遮って口調を変えていった。

「あ、リラさんが運転してくれるって言ってますから、直ぐ出ます」

 翔は驚愕した。

「なんで横にリラさんが」

 すると川田はのんきそうに言った。

「あれ、今俺、翔んちに居るって言っていなかったっけ」

「俺の家に居たのか、いや、別にいいんだ」

 翔は、リラが川田を値踏みするためにデートしているとか、川田がリラを気に入ってデートに誘ったとか、想像したのを感づかれまいと慌ててスマホを切った。

「どうかしたのか」

 強が、翔の様子が変わったのに気が付き訊ねた。

「いや、なんでもない。明日の朝こっちに迎えが来るから。本土に着いたらどこか泊まる所を捜さないと。俺一寸外の風にあたって来るよ」

 そう答えた翔は、ふらっと外へでた。動転した気持ちを落ち着かせるためだ。

 というのも、リラが川田と一緒に居ると勘違いした時、翔の心にジェラシーの炎が、チロリと燃えたのだった。その事が自分でも意外でショックだったのだ。

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