第4話 翔とリラ 初めてのデート!?

 翔はリラを連れてホテルを出た。気詰まりで途方に暮れていた。だが、リラは先ほど凄んだ時の声とは打って変わって華やいだ声で、

「まあ、可愛いネオン。USBBにはなかったわ、こんなの始めてみる。さすがアニメの本場ね」

 リラはお菓子メーカーのキャラクターのネオンを見て叫んだ。どうもしらじらしい気がしたが逆らう気もせず、

「可愛いけど、あれはアニメじゃなくお菓子のキャラクターです」

 と話を合わせたつもりだったが、返事に否定口調はまずかったらしい。夜目にもちょっと睨まれたのが分った。翔はしまったと思ったが、リラはまた気分が変わったようだ。今度は先ほどの格闘も忘れたかのように妙になついてきて、翔のだらりと垂らした腕にしがみつき、

「あたしずっとお父様の国で暮らしたいと思ってきたの。故郷に帰って来た気がするわ。故郷の空気がオーラが、あたしにお帰りって言っているのを感じるの。もうUSBBには戻るつもりはないのよ」

「はあ」

「USBBにもボーイフレンドは何人かはいたけど、プロポーズも何度かされたけれど、結婚するなら日の国の人ってずっと心に決めていたの」

「はあ」

「あたしの理想の人って、無口で控えめで、でも強くって義理人情に厚い、日の国男児って感じの人なの」

「はあ、あっ、ここにしましょうか」

 翔はなんとか話を合わせながら、学生時代の遊び仲間がやっている居酒屋に入る事にした。もしかしたら、彼をリラの理想の相手と思ってくれるかもしれないと期待しながら。

「いらっしゃい翔、久しぶりだなあ。おや今日はめずらしい、お連れさんがいるのか。じゃあ二階に行きなよ」

「礼二、気を使わなくてもいいんだ」

 翔はカウンターに座ろうとした、が、

「ええ、私たち気の置けない二人なの。でもせっかくだから、行かせてもらいましょうよ」

 翔はリラに引っ張られて二階に連れて行かれた。

「あいつ、さっきあなたが言ってたように、無口で控えめで義理人情に厚いやつなんだ」

 試しに話しを振ってみた。翔は、確かにリラは見栄えも良く忍びの技も心得ており、皆が自分の結婚相手にと考えたのは解る気がした。しかし今回はあの陽炎のせいで、かなり気まずくなっていると思う。出だし良ければ全て良しという事が言われるからには、その逆の事も言えると思った。このまま付き合っても、わだかまりが残るように思われた。だがどうやらリラは、誰かと結婚してこの国に永住したいと考えているようだ。だったら相手は自分でなくても、理想のタイプだったら構わないのではないかと思えた。

「そうでしょうねえ、翔のお友達だもの。類は類を呼ぶって言うから」

 と言う事は、さっきの話は自分のこと?翔はリラの気持ちが計りかねた。翔が仕掛けてあれだけ格闘した後で、よく気に入るもんだな。ちょっとおかしいんじゃないかなこの人、と思った。いや、もしかしたら皮肉かもしれないと思い直し、

「あのう、あの振袖、私が弁償しましょうか」

「あら、弁償だなんて。あたしに良く似合うって、皆が言うから買い取ったの、うふふ」

 ぎょっ。何故か気に入られてしまったらしい。翔は自分としてはかなり気まずい相手なのだが、こう気に入られてしまうと、話を合わせるしかなかった。負い目があるのは自分の方なので、なるようになれと言う気分だ。

「本当に、よくお似合いでしたね。なんか着物のモデルみたいでした」

 このお世辞は、リラの気持ちを決定的なものにした。リラは自分が背が高いことや、個性的な顔立ちに少しコンプレックスがあった。子供のころからけんかの種はこの事をからかわれてだったが、USBBの男の子たちには全て勝ってきていた。リラは父親達から、家伝である忍の武道を習っていたのだ。それで自分は果たして結婚が出来るのだろうかと悩んでいたのだが、ある日気の優しい女の子から

「大丈夫よ、まるでスーパーモデルみたいよ」

 と慰められ、その一言を頼りに今まで生きて来たようなものなのだ。

「もし、誰かが私のことをモデルみたいだと言ってくれたら、その人と結婚するわ」

 リラは幼いころから、そう言い続けていたのだ。

 見ているだけで、リラが自分の事をどんどん気に入っているのが分かり、翔はすっかり弱りきっていた。 実は翔は学生時代から、結構人気はあった。母親はかなりの美人だったし、父親もそう悪くはない顔立ちで、姉共々美男美女の姉弟と評判だった。だが今は女性不信気味だった。と言うのも、福田県警察的団体に入った当初始めての仕事が、容疑者のぶっ通しの張り込みで、十日ほどスマホを使う事が出来なかった。 初めての張り込みでへとへとになり、やっと取れた休みは朝なら晩までぶっ通しで三十六時間寝てしまっていた。で、また事件で起こされて、またぶっ通しの勤務だった。そうこうしている内に、ふと気になってガールフレンドの一人に電話してみるが、番号拒否になっていた。履歴を見ると相当メールやら電話やらしてきていた。他の子も同じ、つまり当時いた五人のガールフレンドに総スカンを食らい、振られてしまっていたのだ。最初に張り込みをすると連絡しておけ、と言うのが彼女らの言い分だが、現実はそんな余裕もなかったのだ。

 それからは、ガールフレンド及び彼女居ない暦六年である。五人の内の一人は警察学校で知り合った同期生だったが、彼女ですらそうだったのだから、元刑事とは言え見た感じリラもたぶんそういった人の一人と思えた。翔は、ホテルの食事中母たちが話していた事を思い出し、

「そういえばリラさんは、USBBで刑事をしていたんですってね。で、そこ辞めてこっちで暮らす事にしたんでしょ。何かあったんですか」

「うふん。その話?どうしょうかな。あたしと翔さんの仲だもの、思い切って言ってしまおうかな」

 どういう仲なのか、何を思い切ったのか少し不安だったが、翔は話を聞くことにした。そこへ礼二が、

「悪いなあ、もう焼き鳥ぐらいしか残っていなくて、だけどこの薩島の焼酎はけっこういけるぞ」

 と入ってきた。

「わあ、あたし本場の焼き鳥食べてみたかったの。それに焼酎も一度飲んでみたかったの」

 と、きゃぴきゃぴ喜んだリラは、翔がついでやる焼酎を勢い良く飲んだ。結構いける口らしい。その様子を笑いながら見ていた礼二は、

「時間は気にしなくていいよ、おれ、明日の仕込みやってるから」

 と言って下に戻って行った。翔はそんなに長居するつもりはなかったのだが、リラの様子を見ると長くなりそうである。リラはもう手酌で注ぎだした。ホテルの食事中もワインを結構飲んでいたから、もうかなり回っているはずだ。

「何から話せばいいかしら。生い立ちからかしら、ロンとのことかしら」

 そう言いながら、リラの目はとろんとしてきた。だがもう一杯飲む元気はあるようで、また手酌で注いでいる。どうしようこのまま寝られたら、家に担いで帰らなければならないな、などと思いながら、翔はリラの事で自分の知っている事や自分の生い立ちを思い出していた。


 リラの父広永和夫は、日の国が戦国時代、忍として活躍した家柄の広永家の次男だった。紅軍団と言われていたその忍は、仕えていた国が亡びると、その技を必要とする他の国に雇われ、時代の流れと共にいくつもの流派に別れて、広永家はその流派のひとつと言う事になっていた。しかし実は、初代とは苗字は変わってはいたが、広永が紅軍団の本家であり、その奥義は一子伝来で跡取りしか受け継ぐ事が出来ない事になっていた。と言うより跡取りぐらいしか出来ないほど難しい技なのだ。その話は翔も承知していた。和夫の兄光一は、跡取り息子に相応しく、その奥義も伝授されておりその息子二人も出来が良かった。光一はこのご時世、他の流派は段々廃れてきているので、本家だけでもしっかりせねばと、息子二人共に奥義を教え、またそれを二人とも受け継いだと聞いていた。

 しかしどういう訳か、屈強だった息子たちが相次いで突然死した。眠っている間にそのまま死んでしまったのだ。一子伝来の掟を破ったからだとか、今の時代激しい稽古に体がついて行かなかったのだとか、色々親類が騒ぐ中、光一は悲観して自殺してしまった。と言っても自殺するような人物では無かったのにと、その事も周囲は怪しんだ。

 そういう訳で跡取りが居なくなってしまった広永家で、困ってしまった最年長の広永熊蔵、和夫の叔父は和夫にお前の処が今度は跡取りの家じゃと言った。と言うのも熊蔵は独身を通していたのだ。しかし和夫ももちろん奥義を会得出来ておらず、また次の跡取りについても当時はリラしかいなかった。仕方なく

「女でも良い。最近は女性上位だ」

 と熊蔵は言ってみたものの、やはり無理だと思い、和夫に、

「リラにはたしなみぐらい教えておけ」

 と言い置き、白羽の矢は桂木家へと向けられた。桂木英輔の母桂木里美、つまり翔の祖母は、熊蔵の妹だったのだ。忍の技などとは無縁だった桂木家に、突然広永熊蔵がやってきたのは翔が十三歳の時だった。 技を教えるのは少し遅すぎる時期だった。しかし熊蔵にしてみれば、遅い早いなどと言っている場合ではなかった。

 それまでの翔と言えば、姉二人の次に生まれた男の子と言う事で、あまやかされて可愛がられ、それでいて期待され、望んだ物はすべて手に入れてきた。とはいかず、母と姉二人の女性達に牛耳られた、軟弱な男の子になっていた。だが時には母に、

「お姉ちゃん達のお古のズボンは絶対はいていかないから」

 と主張したこともあった。その主張が通るかどうかは別として。

「練習はきつかったけど、じっちゃんが来て本当に待遇がよくなったなあ」

 翔は急に熊蔵に会いたくなった。熊蔵は痩せて小柄な一見何処にでもいる年寄りのように見えたが、若いころは、忍の技では奥義を伝授された熊蔵の兄、松市と引けをとらないほどの腕だったのだ。しかし、熊蔵は兄と跡目争いはせず、一時家を出ていた。というのも、あるクラブのホステスと駆け落ちしたのだが、暫くして振られて帰ってきていた。この様な事が何度もあったと聞いている。広永家では珍しい自由奔放な性格だった。しかし年を取ると、家の事を心配するような分別もついてきたのであろう。

 熊蔵は翔に先祖伝来の忍の技を教えるため、家の離れ広さ八畳ほどのところを稽古部屋に改造した。と言っても、家具を全部出してフローリングの少し良い板を使っただけだが。翔が学校から帰ってからすぐ練習を始めた。食事も挟まず夜中まで続き、翔の筋肉が疲労でがちがちになった所でお開きとなった。それから翔の夕食となるのだが、食事の途中で疲労のため寝てしまう事が殆どだった。空腹で早朝目が覚めると、横で熊蔵が朝の稽古をさせようと待ち構えており、稽古場に引きずられてまた朝食の準備が出来るまで、今度は主に集中力の鍛錬だった。座禅を組まされたり、本物の刀をどこから手に入れて、居合い抜きとかをした。この刀についてはひと悶着あったのだが、それは今日のこの場とは関係ないのでまた後で思い出す事にしよう。とにかく練習はきつかったけれど、ご飯のおかずは良かった。じっちゃんが、

「跡取り息子の扱いがこれか」

 と、よく言ってくれたおかげで、着る物も新品の男物が着れるようになった。じっちゃん様様である。毎日の稽古はさすがに疲れたが、睡眠不足は授業中に補っていた。おかげで成績はがくんと落ち、父母は青くなったが、じっちゃんが庇ってくれた。そんなこんなが四,五年続き翔の大学受験の年、突然じっちゃんは翔たちに、

「もうわしが教えることは無くなった。知って居ろうがわしは奥義を会得しておらんので、奥義は教える事は出来ぬ。じゃが、ちと心当たりがあるから、旅に出てくる。その間、翔は自分で鍛錬しておくのだぞ」

 と言い置いて何処かへ言ってしまった。翔は何を今更と思った。じっちゃんは肝心な時に居なくなってしまった。後に残った学業不信で帰宅部の翔が入れる大学など何処にも無い。就職など、この成績では普通の会社では無理である。

 最終進路決定の個人懇談では、母は担任に、

「お宅の息子さんのこの評価では、三流私立大学の推薦枠には入りませんし、手に職を付ける根性も無いようです。就職と言ってもホストクラブにはいるか、何かの店の呼び込みでしょう。うーん、明朗活発な性格ともいえないから、それも無理かも。どこかに伝手はありませんかねえ」

 と言われてしまった。当然のことながら帰り道は喧嘩だった。

「なんでもっと勉強しなかったのよ、おまけに授業態度最悪って、どれかの学科のコメントに書いてあったわね」

「体育だよ、しょうがないだろ。俺は家伝の技の習得で大変だったんだから」

「もう、熊蔵じいさんったら、何処へ行ってしまったのかしら。あの人のせいよ。勝手にやってきて勝手に消えてしまうんだから。どうしてくれるのよ」

「じっちゃんのこと、悪く言うなよ」

 あの日、翔は母と喧嘩して一人駅前の繁華街をぶらぶらと歩き回り、憂さ晴らしにゲームセンターで久しぶりに遊んだのだった。結構儲かったので少し機嫌を直し、帰ることにして表に出た。だが出入り口でチンピラ風の男と肩がふれ、絡まれてしまった。忍びの技は表に出してはならぬのが掟だったが、普段活用出来ない技が、いざと言う時に通用するか疑問だったので、翔は喧嘩してみる事にした。あっ、これはその後警察に連行された時の言い訳だった。本当はちょっと一般の人間に技を使ってみたくなったのだ。じっちゃんにもし知れたらこっ酷く叱られただろうが、じっちゃんは翔を置いてけ堀にして居なくなってしまった。叱られる相手がいないので、ついやってしまった。いわゆる魔が差したと言うやつだ。最初は二、三人連れと思っていたが、そこいら中にその男の仲間が居り、終いには二十人近くが集まってきた。だが翔は、そんな多人数のその筋の男たちをあっという間にやっつけてしまい、パトカーが来た時には誰を連行すればよいか警官達もちょっと判断できなくなっていた。

 「僕は正当防衛です」

 と言ったものの、翔は自分でも周りを見渡して、ちょっとやり過ぎたなと反省した。

 警察官たちに問い詰められて、仕方なく事情を言い訳すると、所長らしき人が興味深そうにやって来た。彼は翔の話を聞くと、名刺を出し裏に何か書きだした。

 「君のような特技を持った若者はぜひ刑事になって、犯罪者の逮捕活動をして欲しいものだな。警察学校を受験する気になったら、面接の時にこの名刺を見せなさい。君の話によると、学科試験では合格点までにはいかないだろうからね」

 と言って翔にその名刺を渡すと、お咎め無しで所長の自家用車で家まで送ってくれた。もう真夜中になっており薄情な家族は皆眠っていた。家に帰って名刺の裏に何が書いてあるか見てみると、花丸だった。新一年生のころ百点取るともらったやつと同じだ。こんなの書いただけで本当に通用するのかなと思ったが、実際通用して今の翔が在るのだった。

 

 リラは2杯目の焼酎の途中ですっかり酔っ払い、眠ってしまっていた。ビールのコップに注いでいたから無理も無いけれど、そろそろ帰りたいのに困ったものだ。翔は、何キロぐらいかな、でかいから相当重そうだ、下まで転がしてしまおうか、そしたら怒って家族と帰るかもと、ふと思いついたが友達の店だし、下の床か壊れたら迷惑だろうと思い、担いで降りる事にした。

 懐に手をやって抱え上げようとしたら、

「何すんのよ」

 と昼間のように暴れだした。やっぱり根に持っていたなと分り、

「昼間はどうも申し訳ありませんでした」

 と手をついて謝る事にした。翔は自分の間違いに気が付いたとき、これをやっていないから気まずかったんだろうと思った。

「あ、あらあやだ、何のこと。あたしすっかり寝ぼけちゃって。うふふ」

 リラはすっかり目を覚ますと、また芝居気たっぷりに笑い出した。

「昼間の事、怒ってるのは分ってるよ。本当につくづく自分の馬鹿さが情けないよ。本当に僕は大馬鹿者さ。こんなオツムの程度の男と結婚するのは、どうかと思うんだけど」

「そんなこと無いわよ、一応刑事やってるんだし」

「ソコンところが。ちょっと誤解なんだよ」

 と、翔は先ほど思い出していた警察学校に入れた経緯を話した。

「ふうん、でも熊蔵おじい様が何も教える事がなくなるまで習得したってすごい。結構あんた馬鹿じゃあないと思うよ」

 リラはマジで感心した。感心されると少し自惚れてみたくなる翔だった。

 ところがリラは、そう言ったとたんに、泣き出した。先ほどからの上機嫌とは打って変わった豹変振りだ。翔は慌てて、

「どうしたの、何か気に触る事したかなあ」

 と、おろおろした。下から礼二が何事かと様子を見に来たりもした。

「おや、お嬢さんは泣き上戸かな」

 なるほど、そうかもしれないと翔は少し落ち着いた。

「違うわ、まだまだ、飲めるのよ」

 おやおや、勘弁してくれよと、翔は焼酎を隠そうとしたが、リラに見つかり殴られた。

「余計な事するんじゃないよ。ちょっと昔の事を思い出しただけさ、ふん」

 それから、リラの身の上話が始まった。


 「あたしんちに熊蔵おじい様がやって来たのは、丁度お母様が亡くなって一年過ぎた時よ。あたしはお父様が仕事に行っている間、ずっと一人で過ごしてた。まだ六歳だったけれど、お母様は物心ついたころから入退院を繰り返していたから、一人には慣れているつもりだった。でもお母様が生きて病院に入院しているのと、死んで二度と会えないのとは大違いだった。寂しかったんだと思う。でも、寂しいっていうのがどういうものか自覚していなかった。そんな時熊蔵おじい様が来たの。お父様が会社に言っている間中、あたしはおじい様と過ごしたわ、六年間ね。忍びの技も習った。以前にお父様からも少し習っていたけど、熊蔵おじい様の教え方は全然違っていた。半分遊びだったわ。そう思わなかった?ああ、翔はお爺様が最初だったから分らないのね。とにかく楽しかったわ。メリッサ母様が来るまではね。お父様とメリッサ母様が結婚して、ロンが連れ子としてやって来たの。で、ロンも一緒に習うことになったんだけど、才能が無いって言うより、体がそういう風には出来ていないのね。いつも叱られて泣いていたから、お母様は熊蔵お爺様を嫌っていたわけ。でもあたしは大好きだった。ある日お爺様はあたしに何にも言わずいなくなってしまったの。お父様もお母様も何もどうしてだか言わないのよ。でも大きくなって解ったの。あたしが女だからよ。女じゃあ奥義の習得は無理なのよ。筋肉がちゃんとはつかないのよね。生物学的に無理なんだってね。でもそれまではあたし、お母様たちがお爺様を追い出したんじゃないかと思ってた。そういうわけで、お母様とはあたしギクシャクしていたの。今は何とか普通にしているけど。それにしても、もう一度熊蔵おじい様に会いたいわ」

「おれも、じっちゃんがいたころは楽しかったよ。それじゃさ、じっちゃんはこっちに来る前はあんたのお守りをしていたんだな」

「お守りですって、くすん、そうかもしれないわね。あたしが一人ぼっちだったから来てくれていたんだわ、きっとそうよね。でも、光一伯父さん一家が全滅したんであたしのお守りもしていられなくなったんだわ」

 リラの身の上話を聞いて、翔は今更ながら、秘めた強さを持つ熊蔵の人柄を思い出し懐かしく思った。

「まったく、じっちゃんはいい人だったよ」

「あら、何だか縁起の悪い表現ね。まだ生きているんでしょう」

「あは、死んだって言う話は聞かないから、どこかで生きていると思うよ。なんでこんな言い方したのかな」

「やだやだ、もう一度会える時まで、元気でいてくれなきゃ。さよならも言わないで出て行ってしまうんだから。くすん。お爺様が居なくなってからは、あたしも良い事なんて無かったな。ま、ケインやアンリが生まれたのは良かったけど、ロンとはいつも気まずかった」

「うん、義理の仲ってのは難しいんだろうな」

「あたしの考えすぎかもしれないけど、何だかロンがあたしに興味を持っているみたいで嫌だった」

「へえ」

「あたしが警察学校に行こうとしたら、今までドンロンの大学に行くと言っていたのが急に私と同じ所に行くと言い出してさ」

「ふうん」

「そいでさ、家族なのに勤め先も一緒になったんだよ」

「家の近所をどっちも希望したからじゃないの」

 翔はリラの言い分を聞いても、少し考えすぎじゃないかと思えた。

「そうなんだけど、でもこのことはどうよ。ロンは同じ車で一緒に通勤しようって言い出すんだよ」

「そりゃ、不便でしょう、同じ勤務になるとは限らない」

 これはちょっと、変だと思える。翔はリラの話も、酔っ払いの戯言だけではないかもしれないと感じる事が出来た。

「でしょう、私はいやだと言ったら。親たちはそれは安心だと賛成するの。全然安心じゃないってのに」

「でも、もし付き合う事になっても近親相姦は当てはまらないでしょう」

「そりゃあ、ロンは籍に入ってなかったよ、苗字は私たちとは違ってた。でも家族だよ、あたしにとってはね、どう考えても。それにケインやアンリの立場はどうなるのさ。あたしは絶対嫌だ、ぞっとするね」

「ごもっともです」

「でも、配属された所に、もう一人新人が着てさ。ジェーンていうやつなんだけど、そいつがロンに一目惚れして、物凄いアタックをしたんだ」

「なんかその言い方、好意的とは言い難いね」

「嫌なやつなんだってばこれが。あたしの最も嫌いなタイプなんだけど、ロンがあたしから興味を移してもらえばと思って、あたしも浅はかだったよ。彼女に協力して取り持ってやったんだよ。彼女が結婚できたのはあたしの協力の賜物なのに、あの女は恩を仇で返したんだ。というか、とんでもないやつだった」

「何があったの」

「彼女はロンがあたしを好きだって感づいたんだ、女の感よね。そしてあたしと出来てるって思ったんだろうと思う、ここからは妄想だよね。で、あたしは、はめられたんだ。あの女に」

「はめられたって」

 翔はいよいよ核心に触れてきたなと思った。何故、翔とは違って実力で警察に入っておいて辞めてしまったのか、翔には気が知れなかったのだ。

「あたしこう見えてもお酒強いのよねえ」

「それは解る」

「だから結構飲み友達が出来ちゃって。あちこちの部署の先輩たちとよく飲んでたんだ。でも事件っていつ起こるか分らないでしょ。だから、あの署では休みと言っても待機の日と本当に休暇の日とがあって、待機の日はお酒とか飲んじゃいけないし、すぐ出動できる態勢で事務所と連絡がすぐ取れるところに居なきゃならない」

「そういうの、俺らの所にもあるよ」

「あたしはあの日曜日、勤務表には本当の休暇ってなっていた。だから事務所の人達と花見に行ったんだよ。丁度桜が見ごろだったんだ。そしたら、緊急事態訓練って言うのが始まって、あたしが来ないって所長から呼び出しがあってさ。行ったらなんで持ち場に居ないのかって怒られて。でも休みだからって言い訳したら。勤務表を見せられて、そこには待機になっていたのさ。あの日待機は事務所に居なきゃいけなかったんだ。勤務表を作るのは、あの女の仕事だったんだ。あたしに偽の勤務表を渡したんだ。訓練の日に待機を休みに変えたやつをね」

「その偽の勤務表を署に見せなかったのか」

「あたしの机は誰かに扱われて、ぐしゃぐしゃになっていて見つからなかった。整理整頓も出来てないって皮肉も言われたりした。全部あの女の仕業だ」

「ふうん、彼女が勤務表を作っていたんならそうだろうね、それで辞めたのか」

「本当はクビになったんだ」

「ああ、そうかもしれないな、きっと酒気帯び勤務ってやつだろう。一寸厳しすぎるような気がするけど」

「うん、実は前に待機の規則を知らずに飲んでた日があって、二度目だったの。二度目はクビって事になっていたのよ」

 返す言葉も無い翔だったが、ふと思いついた。

「でもそういうのを作ったって事は、パソコンの中に記録が残っていないかな」

「もちろん調べたよ。誰も信用してくれないから自分でね。あの女のには何も残っていなくて、他の事務所の奴らのパソコンも全部調べたけど、何も無かった。考えたらその位の事予想はつくよね」

「うん、でも消しても履歴とか調べられないかなあ」

「そうじゃなくて、自宅ので作ってたんだ。クビになった後で思いついて、あいつらの家に乗り込んで調べたらロンのパソコンにまだファイルがあったよ。でも、ロンじゃなくてあの女だって言うのに、親父に波風立ててくれるなっていわれたんだ」

「ううむ、義理の息子の嫁だから、気い使ってるのかなあ、でも気い使いすぎと違うかなあ」

 翔は一寸広永和夫の気持ちが図りかねた。いくらなんでも正義をないがしろにして、しかも実の娘の名誉よりも義理の息子夫婦の肩を持つとは、義理を立てすぎというものだろう。

「お父様はお母様に是非にと頼み込んで後妻になってもらったんだって言うんだけど。その時ロンの事も引き受けるって約束したって言うのよ。でもそれとこれとは違うと思うでしょ。ロンが何かやったっていうんじゃないんだから」

 リラは話をしているうちに酔いもさめたらしく、悔しげに翔に同意を求めてきた。

 そうリラに言われてみると翔は、それとこれは広永和夫にとっては同じなんだろうなと思えた。

「やっぱり、親父さんにしてみれば、実の娘を犠牲にしてでも、義理の息子を立てなければならないんだろうと思うよ。親父さんはちゃんとあんたは悪くないって解っているんだから。あんたも、だからこっちに来て暮らそうと思ったんだろ」

「そういうことなんだけど、思い出したらまた腹が立ってきたのよ」

「忘れるしかないな」

 翔は話を聞くうちに、どうやらリラのご機嫌を取りながら、暮らしてやらなけりゃならないかなあと、思えてくるのだった。


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