第3話 お見合い狂騒曲 その2
翔、到着の少し前。
ここはロイヤルホテルのロビーである。翔の家族と、翔の父母のいとこの家族が、世間話の種も尽き、時計をちらちら見てしらけムードが漂ってきていた。
翔の家族は6人そろっていた。両親の桂木英輔と美奈、上の姉、田辺真奈とその夫の明、下の姉真鍋香奈の夫の祐市だった。姉たちには子供が居るが、子供は夫の親に預けていた。
父の従兄弟は広永和夫と言い、USBBで商社マンをしていたがこのほど定年退職して、里帰りがてら家族といっしょに故郷を旅行しているところだった。妻のメリッサは後妻で欧州の五十五の婦人にしては歳より若く見える美人だ。長女リラは、病死した先妻ローズの子で年は翔と同じ二十八歳、翔の見合いの相手である。USBBの女刑事だったが、最近訳ありで退職している。背の高いスポーツウーマンタイプのようだが、見ようによってはスーパーモデル風の風貌である。個性的美人といった所。今日はこの日の為にホテルの貸衣装サービスを利用して振袖を張り込んで着ていた。お見合いバレバレなところが、少し美奈の気がかりだった。一九歳と十七歳の弟たちは学生で夏休みを利用して付いてきていた。ケインとアンリと言った。他にメリッサの連れ子のロンがいるが、仕事があるので来ていない。それから美奈の妹の広永伊織も来ていた。伊織は広永和夫の兄光一と結婚していたが、不運な事に夫も息子も今は無く一人暮らしだ。伊織は美奈にそっと尋ねた。
「翔君遅いわね。しゃべったんじゃないでしょうね、ねえさん。分かったら来ないわよキット。」
「しゃべるもんですか。でもねえ、仕事が仕事でしょ、だから来れなくなったら困るから、元山さんにこの間頼んでおいたのよ。ほら、高校の時あなたの同級にいたでしょ。元山幸太郎って言う人。偶然、翔の上司になっていたのよ。この間翔に呼び出しの電話がかかってきた時、横で聞いていたら大きな独特の声がして、ほら、覚えているでしょあの声、元山さんじゃないかと思って、翔からちょっと電話をとり上げて、尋ねたらやっぱり元山さんだったわ」
「へえそうだったの。偶然ね。で、何ていったの。お見合いがあるから休ませてとでも言ったんじゃないでしょうね」
「あら、そうよ」
「いやだ、ねえさん。翔君かわいそう。いやねえ息子に恥かかせて」
「あら口止めしたわよ。私だってそのくらいの知恵はあるわよ」
「口止めとかいう問題じゃなくて、そういうことを、つまり本人も知らない計画をその職場の人に言うのはどうだかってことよ」
「でも彼、いい人だったじゃない。ちゃんと黙っていてくれるわよ」
「たぶん本人にはね」
「あ、そうか。他の人にもって念を押していなかった」
「やれやれ」
二人でひそひそ話しているつもりだったが、もともと声の大きな二人のこと、周囲の家族はもとより、少し離れたテーブルにいる若い3人の耳にも入っていた。
ケインが余り口を動かさずひそひそリラに話しかけた。
「むこうは、見合いとは知らずに来るみたいだよ」
アンリもうつむいたまま、父親に聞かれないように言った。
「良かったね、リラ。どばっと酒でも食らっていたら、きっとプロポーズとかする気にならないと思うから、このまま家に帰れるよ」
と、弟たちに慰められているお見合いの相手のリラ。振袖は着込んでいたがこのお見合いには乗り気ではないらしい。と思われたが
「あら、あたしはもう家には帰らないつもりよ。あの女の顔を見ないですむなら何処だって天国」
どうやら彼女にはなにか事情があるらしい。
桂木英輔は時計が5時10分になったところで、見切りをつけた。間に合うならもう来ていなければならない時間だ。大幅遅れか来ないつもりかのどちらかだ、どっちにしても連絡無しとはけしからん。と思いながら、
「始めようか母さん。やつは当てにならん」
「あら、元山さんに頼んだのにねえ。翔ちゃん、どうしたのかしら」
「はっきり本人に言わないからこういうことになるんだ。本人が来ないならどうにもならん」
「だって、翔ちゃんはいつも、ピピッと来た人と結婚するってめぐり合いを信じてるから、お見合いとかいやがるし、シャイだからお見合いって知ってたら暇でも来ないと思うわ。ただのお食事会と思って来て、気に入ったらお付き合いして結婚するっていうのが、いいと思ったのよ」
「ねえ二人ともここでわあわあ言わないでよ。みっともないから。先に始めましょうよ。お食事会なら、先にやってなきゃ不自然よ。感づかれたくないんでしょ]
真奈は、笑いながらたしなめた。
「しかしお母さん、思い切ったことをなさいましたね。今時お見合いとは、めずらしい」
真奈の夫の、田辺明が興味ありげに言った。美奈は、
「それがね、ここだけの話だけれど、メリッサに頼まれたのよ。なんだか訳ありげに、リラをしばらく預かってほしいって言うんだけど、どうも、連れ子のロンとそりが合わないらしいのよ。ロンの奥さんとも仲が悪くて、メリッサは間に入って、神経が参ってるらしいの。リラは向うの国の、女性刑事やっていたくらいで、結構気が強そうなの。でも、翔の仕事が理解できるんじゃないかしら、これはひょっとしたらお似合いじゃないかと思ったのよ。」
「どうして刑事を辞めたんでしょうかね」
明は首をかしげた。
「ロン夫婦と同じ職場だったそうだから、それもなんだか訳ありげだったわ。とにかくみんな、お見合いが成立しなくってもリラは当分こっちに居ることになるから、気まずくならないように、協力してね」
「はーい。でもなんだか面白いことになりそうね」
香奈と祐市は顔を見合わせくすっと笑ったが、明たちに突付かれて、下を向いて、これ以上声を出さないようにしたが、肩は、プルプル震えている。
「やれやれ、どうなることか」
英輔は、ため息をつきながら、広永和夫一家のところへ行き、
「すみませんねえ。翔は仕事がら、時間どうりにはならなくて。先に始めましょうか」
と話しかけた。
「しかし、本人がまだ来ていないのに、どうだかねえ」
広永和夫は躊躇したが、
「いやいや、今日の事は、本人には話していないのですよ。本人同士がもし気に入ったら、という程度の見合いでして。だから後でみんな気を使わなくて良いようにと思いましてね。リラちゃんは、気晴らしに私のうちでしばらく遊んでいったらと、家内とも話しているんですよ。しかし預かるからには、年頃の息子がこっちにもいますから、ご両親が滞在しているうちに、はっきりさせておいたほうがいいと思ったんですよ。翔にその気がないようでしたら。責任を持って、リラちゃんはお返しするつもりです」
「でも、だんだん好きになるってこともあるのではないですか?」
メリッサがたずねると、
「それはご心配には及びませんよ。あれの好き嫌いははっきりしていますからね。嫌いな食べ物など小さいころから頑として口に入れませんでしたから」
知らぬは翔ばかりという事のようだが、このたとえ話もこの場ではさえない。
このお父さんの言い様では、桂木翔も大したことはないな。と思ったのはリラだけではないであろう。皆一斉に立ち上がり予約しておいた最上階のレストランへ行こうとすると、
「あら、間に合ったようよ」
真奈の一言で皆外を見た。ショウーウィンドウのガラス越しに、翔がやって来ているのが見えた。
「あの、てれっとした歩き方、何とかならんかな」
英輔が言うのを、美奈は袖を引いてたしなめた。
「しっ。もう、あなたは、この話をまとめたいんですか、壊したいんですか」
「壊れたほうが後腐れが無くていいんじゃないかと、いてっ」
美奈は英輔の手をつねっていた。
「遅れて申し訳ありません。先にやっててくれて良かったのに」
翔が謝ると、
「いえ、今揃ったので上に行こうとした所ですよ」
広永伊織がにっこりと言った。
さすが叔母様の一言、第一関門突破。翔は心の中で思った。こうなったら、何時誰がばらすか楽しみになってきた。翔の予想では酒が入った所で親父か、口の軽い香奈だろうと思っていた。ホテルのエレベーターは広くて皆一緒に乗れた。誰とも無く翔とリラを並ばせる所が小憎らしい。リラは女性にしては大柄だったが翔よりは少し低かった。何処で借りたのか今では珍しい振袖姿だ。クリーム色の絹の着物で、柄としては少し大きすぎるくらいの赤い牡丹が、背が高いので不自然ではなく、はっきり言って似合っていた。上から見下ろすと襟足にあるほくろが少し色っぽかった。着物に似合う和風のコロンの香りがしてきた。だが、
「こっ、この臭いは」
忘れもしないあいつと同じ臭い。おまけに確かあいつにも首にほくろがあった。背格好も同じくらい。翔は驚愕した。実は陽炎は変装が得意で、今までも警備員や、お宝の持ち主本人やらに変装しては盗みを働いていたのだ。
「さては見合いの相手に化けて俺をコケにする気なんだな。何処かにビデオカメラでも仕込んでおいて署にばら撒く気かも知れん」
翔は怒りでわなわなとしてきた(此処で翔の弁護をしておきましょう。彼には妄想癖はありません。陽炎は今までにそれに近い事、例えばチーフの見られると恥ずかしい場面の写真とかを送りつけた事があるのです)。本来エレベータの中が逃げられずに逮捕には格好の場所なのだが、本人と思い込んでいる家族が居ては邪魔をされそうで困難である。幸い翔たちは一番奥に居た。皆が出て自分たちだけになった時がチャンスだ。翔は体制を整えた。
一方リラは、翔を一目見て、「きゃっ、私好み」と思ったのもつかの間。彼からピリピリと殺気を感じていた。リラは元刑事の職業柄ともいえるが勘の良いほうであった。「理由は分らないけど仕掛けてくるな」と思った。時期はエレベータから降りる時。リラは身構えた。
そうこうする内に最上階に着いた。そこは外壁はガラス張りで見晴らしが良く、遠くには観光の名所で有名な有士山も見え絶景のレストランだった。開いたエレベータに気が付き、かしこまった黒のスーツを着た男がにこやかに駆け寄ってきた。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。桂木様ですね。お人数にお変わりありませんか」
「さあさ、付きましたよ。支配人さんお待たせ。予約しておいた桂木です。えっと一三人です。はい」
十三って何だか不吉。自分で言っておいて美奈がそう思った瞬間、後ろでものすごい声、格闘する音がした。皆一斉に振り返った。エレベータの前では、有ろう事か、翔とリラが物凄い格闘を始めていた。実は桂木家と広永家は今こそ普通の人の生活をしているが、両家とも先祖は同じ忍の血筋であり特殊な武道を代々家伝として引き継いでいる家柄であった。二人はそれを酷使して戦っている。本当は表の世界に出してはならない技である。
「血迷ったか、翔」
英輔は呟いた。
「あなた、早く止めてください」
「しかし、忍びの技を使っておるから下手に分け入ると大怪我をするかもしれぬ」
「翔を押さえればよいでしょうに、あなたはやく」
「いや、わしがどちらかにやられそうなんじゃ」
広永一家も同意見のようでおろおろと見ているばかりだ。辺りはあっという間に野次馬に囲まれた。
両家とも弱りきって見ていると、どこからか見知らぬ男が現れて止めに入った。
「お二人さん、同族同士で何やってるの」
「あっ、おまえは。という事はあんたは本物」
翔はリラと止めに入った男を見比べてうろたえた。
「おら、何が本物や。こちとら生まれた時からほんもんじゃ」
形勢は完全にリラ優勢となった。リラは翔をぶち倒すとぞうりのまま上に仁王立ちになり、本物の陽炎に向かって凄んだ、
「何だかこいつは、あたしをあんたと間違えたらしいね。あんた、あたしの一生に一度の晴れ舞台。台無しにしてくれた落とし前どう付けてくれるのさ」
見れば振袖の袖は引きちぎれ、帯に付いている筈だった作り付けの蝶の結び目は自分で解いたのか解けたのか、エレベータの扉の下に転がっている。
「私は何にもしてないのですけど」
陽炎はいつになくしおらしく言い訳をしてる。
「じゃあなんでお前がここに居るのさ」
リラは言い返した。翔は下に踏まれたまま、リラの的を得た言葉に感心していた。下から見ていると、形勢不利と察した陽炎は、飛び上がって天井に張り付き最寄の出口に向かうつもりのようだ。
「捕まえてくれ。指名手配犯だ」
翔が叫ぶのと同時に陽炎は天井に飛び上がった。が、上がれなかった。リラはそれよりも素早く陽炎の腰にしがみついており、陽炎のズボンが何だか危なくなっていた。陽炎は飛び上がる事を諦め、ベルトをつかんで抵抗した。そして二人一緒に床に転げ落ちた。以上は一瞬の出来事である。
「やった」
翔は叫んで、急いで陽炎を逮捕しようと駆け寄り手錠を掛けようとした。が、陽炎はベルトを離すことが出来ず手錠を掛けることは困難に思えた。翔はおずおずと言ってみた。
「あのう、リラさんもう結構です。後は任せてください」
「はあっ」
リラは翔を「何言ってんのよ」と、言葉の解らない外国人のように見て、尚も腰のベルトを引っ張っていた。陽炎は必死に抵抗している。
「リラ止しなさい。見っとも無い」
どうやらこういう事はいつもの事らしい。苦りきった父和夫に促されて、しぶしぶリラが陽炎を離したので、陽炎はほっとして翔に手錠を掛けてもらった。周りはレストランの客や従業員で黒山の人だかりだったが、誰の眼にもそう映っていた。
「うわあん」
リラはしくしくではなく、かなり激しく泣き出した。和夫は、
「よしよし、もういいから部屋に帰ろう」
と慰め、弟や義母も肩を落として帰ろうとしたが、
「いや、お食事しなくちゃ」
急に泣きやみ帯の蝶の飾りを拾ったリラは、パタパタとほこりを払って義母に、
「早く付けて」
と、頼んでいる。回りの野次馬は慌てて席に戻り、従業員はあたふたと持ち場に帰った。
「ここで食う気か」
翔は思わず唸った。恐るべしリラ。陽炎も横でぷっと吹き出していた。そこでふと思い出した翔は、
「笑い事じゃないよ、リラじゃないけどほんとにお前のせいなんだからな」
「ふふっ、だからさっきからなんにもしてないって言ってるだろ。俺が何をした?喧嘩を止めてやっただけじゃないか」
「お前がここに来るって聞いたから、俺は勘違いしたんだぞ。ここに何の用がある?」
「あいつらと同じさ」
陽炎はエレベーターの方に顎をしゃくってみせた。丁度エレベータが開き中から翔の同僚たちが眼をくりくりさせながら興味津々といった顔で出てきた。
「おお、さすが桂木君。もう捕まえていたんですね」
尚もお世辞を言いながら奥へ入ろうとする同僚たちを翔は押し止め、
「今度は逃がさないでよね。さあ帰った帰った」
翔は必死で彼らをエレベーターの中へ押し込んでいた。
この物凄い喧騒を見て、翔の姉達真奈と香奈は周囲の目を気にし、トイレに引っ込んでなにやらひそひそ話し込んでいた。
「姉さん、あの陽炎って人なんか見覚えない」
「香奈もそう思った。ええっと誰だったかしら」
首をかしげる二人だった。
ロイヤルホテルのお見合い兼晩餐は、確かに料理はおいしかったが、涙目のリラのご機嫌を気遣いながら、周囲の視線を気にしつつ皆黙々と食べて終わったのだった。その後このホテルに宿泊するのも気詰まりだろうと、美奈は自宅に泊まりに来るよう誘うと、和夫たちは二つ返事で急ぎ荷物をまとめて付いて来た。同じ気詰まりなら身内同士のほうがましということだろう。翔は美奈にこっちの気詰まりはどうしてくれると言おうとした。が、その上美奈は、リラが貸衣装ルームに行って振袖の買い取りしている間に、
「後は、若い人同士で」
と、リラを翔に押し付けで帰ろうとする。
「何でだよ」
と翔が抗議すると、
「ほほほ、お見合いの後はこうするシキタリなのよ」
と言った。美奈がバラすとは想像していなかったので翔は、「ふうむ」と考え深げにしているうちに皆先に帰ってしまった。唖然としていると、
「何時までここに居る気よ」
言われて振り返ると、スーツに着替えたリラが立っていた。
「あんたと何処かで飲みなおそうかなと思って」
と言い訳するしかなかった。
「車はどうするの」
「相方に頼んでおく」
翔はリラを連れて、自分の仕事の持ち場である繁華街にふらふらと彷徨い出た。どうする今から。
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