第35話 手のひらの上の面接

「……人手が足りない、と柴宮さんから聞いています」

「ええ、その通り。君が未成年じゃなかったら、喜んで迎え入れたと思います」


 僕のなけなしの反論も簡単に論破されてしまう。

 でも、確かに痛いところをつかれた。探偵業について理解の浅い僕でさえ、高校生がするバイトだとは思わない。お金を稼ぎたいなら、相応な場所があると諭されて終わりだろう。

 ただ、引き下がるわけにはいかないのだ。ここで駄目と言われて諦めるくらいの覚悟なら、最初からここには来ていない。


 考えもまとまらないうちに次の言葉を投げかけようとした僕を制するように、所長さんは「しかし、それでも伊朔君はうちで働いてみるべきかと思います」とくるりと手のひらを返した。

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。結局、この人は僕の処遇をどう考えているのだ、と首が勝手に傾く。そうしているうちに、所長さんは再びに口を開いた。


「まずは業務の説明をしてからですね」


 この時点で相手を否定するような口を挟むことはやめようと決めた。何かを言うにしても全部聞いてからにしよう、と。


「伊朔君は探偵業務と聞いて、どんなものが思い浮かびますか?」

「……浮気調査とか、迷い猫を探したりとか、ですかね」

「おっしゃる通り、調査依頼というものが大半です。そのうちでも浮気関係がダントツですね」


 所長さんは僕の顔色を確認するように目配をする。窺う視線。僕の心の機微を見透かしているようだ。


「ただ、うちは浮気の証拠集めだとか、よくない関係を解消させる手伝いの業務は、提携している弁護士事務所経由でしか受けないことにしています」

「……こちらに直接、依頼に来ても受けてもらえないんですか?」

「はい。そういう場合は、弁護士事務所に先に行っていただくようにご案内しています」

「どうしてですか?」

「本当に困っている方と同じくらい、悪意を持った方もここにいらっしゃるんですよ」


 心臓がきゅっと締めつけられるような痛みがした。きりきり、きりきり、何重にも絡みついた糸が引っ張られ続けるような感覚。

 ついさっきにきちんと話を聞こうと決めたはずなのに、もう耳を塞ぎたい気分になっていた。


「怨恨で個人情報を集めようとしたり、一方的に想っている相手の恋愛関係を壊したり。私利私欲のために依頼を持ってくる方は一定数います。お金さえ払えば探偵は何でもやってくれる、と思い込んでいる人たちがいるのです」


 所長さんは「実際、そういう探偵事務所もありますしね」と続ける。

 僕も探偵事務所ってそういうものだと思っていた。お金を積まれれば何でもやる便利屋的なもの。浮気調査なんかもその何でもやるうちの一つであって、固定化している仕事ではない、と。


「この仕事は綺麗なものばかりじゃない。むしろ、汚いものが多い。君は人の嫌な一面をたくさん見るだろうし、自分の見目や性を道具にすることもある。脅しじゃないけれど、気軽にやってみようでは続かない仕事です」


 なんだか、バイトの面接というよりは、教師に説教されているような気分だ。

 きっと、これまでにバイトの面接に来た人にも同じ話をしているんだろうな、と胸中で独り言をこぼす。滾々と説明されるのを聞くのが面倒だとは思わないけれど、心に響くものではなかった。

 人の関係に関与することは簡単なことじゃないことだって分かっている。簡単じゃないから僕は困っているんだ。


「君は未成年だし、危険なことをさせたりはしません。先にも話した通り、本当は未成年を採用はしたくないんだけどね。ただ、絵麻君がどうしても君をうちで働かせたいと聞かないもので」

「……柴宮さんが?」


 所長さんはわずかに顔を歪めた。苦しそうというか、つらそうというか。何か嫌なことでもあったんですか、と尋ねたくなる顔である。

 そこまでして僕を採用したくないのかと思いきや、所長さんは「彼女は訳ありでね」と今までとは打って変わった声色で呟いた。表情が暗くなった原因は僕じゃなくて柴宮さんのようだ。


「彼女も高校生の頃からここで働いているんだ。君に声をかけたのも適材適所な人材というだけでなくて、何か思うところがあったんだと思う。そして、僕は彼女のそういった観察眼を信用している。もちろん、慈善事業じゃないから、採用するからには仕事はしてもらわないといけないけどね」


 僕は僕の意志でここにいるはずだけれど、柴宮さんの手のひらの上にいただけなのかもしれない。

 柴宮さんの紹介があって、柴宮さんの説得がなければ、僕はお呼びじゃなかったってことだ。人手不足だろうと、稲城探偵事務所には僕という選択肢はなかった。

 

「どうだろう。気持ちが揺らいだりしたかい?」

「いいえ。許していただけるなら、バイトをさせてください」


 即答で返せば、所長さんはこの面接が始まったときと同じように、朗らかな笑い声をあげた。

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