第33話 はじめの一歩

 水曜、土曜、日曜の夜は大会に向けてのチーム練習がある。顔合わせをしたばかりではあるから、まだ成長の余地はあるけれど、現段階でチームワークはよくない。

 五人で一チーム。そのうち二人は男子大学生でニシの配信友達。ゲラだけどしっかり者の“つかさ”さんと、擁護できないレベルで中二病を患っている“瑪瑙めのう”さん。二人とも初対面だったけれど、知らない人間を相手することに慣れているからか、これといった問題はなかった。


 問題は最後の一人。同じ学校で同級生、“雄一ゆういち”こと国木戸くにきどだ。


 国木戸は僕と同じく、チームには所属せずに野良のソロプレイでゲームをしているらしい。ただ、僕とは違ってボイスチャットもテキストチャットもせず、ひたすらにプレイだけに集中するというこだわりの強さだった。

 ストイックと言えばそうなのかもしれないが、それでは育たないスキルもある。ゲームの腕は確かでもチームプレイ初心者の国木戸は、碌な報告ができず、人と連携するプレイが下手くそもいいところだったのだ。

 別にここまでは問題ない。僕だって最初からチームプレイができたわけじゃないし、誰もが人とプレイすることに楽しみを見出しているわけじゃないと思うから。努力しようとしている人間を扱き下ろしたりしない。


 それでも問題だと言っているのは、当の国木戸にチームプレイをする気がさらさらないからだった。


 チームでの大会に出場するのに、作戦会議にも参加せず、ゲームプレイ中のボイスチャットもしたくないときた。そんなに人とプレイするのに抵抗があるなら、最初から大会参加の誘いを受けるなという話である。

 そう思っているのは僕だけでなく、ニシ以外の二人も同意見だった。っていうか、誰だってそう思うだろう。

 申し込みは済んでいるから、今更、メンバーは変更はできない。そもそも、他に当てもない。国木戸を誘った当人であるニシが「俺が話すから」と言っているけれど、今のところ成果は見られていなかった。


 今日は土曜日、夜からの練習を思うと少しだけ気が重かった。けれど、それよりも先に僕には試練が待っている。

 学校に行くよりは遅く、それでも朝という時間帯のうちに家を出た。面倒な決まりの通り、母さんへどこに行くかを報告した後で。足取りは恐ろしく軽く、そのまま浮いてしまいそうな気さえした。木々の緑の鮮やかさが目に沁みる。世界が一新したかと思うほど気持ちが明るい。


 学校に向かう方向の電車に乗って、揺られること数十分。学校の最寄り駅を通り過ぎ、普段は降りない駅へと降りた。各駅停車しか止まらない駅だが、駅周辺はそれなりに栄えているようである。どっちが何口かも分からない駅で、案内板を見ながら西口を目指した。


 そして、辿り着いた改札の先では、待ち合わせをしていたその人が手を振っていた。


「よう、伊朔くん」


 にっと白い歯を見せて笑うのは柴宮絵麻さんだ。

 ユニセックスな服装と深くかぶったキャップのせいで、やっぱり少年らしく見える。今日もこの格好ということは、前回が特別ということはなく、普段からこんな感じなのだろう。

 足早で彼女の元へと向かって「こんにちは」と挨拶をし、忘れる前にと茶封筒を渡した。


「これ、この前のお釣りです」

「ああ、どーも。お会計ご苦労様」

「こちらこそ、ごちそうさまでした」


 柴宮さんはさっさと封筒を鞄にしまい込むと、この前みたいにお茶にでも誘うような気安さで「じゃあ、ま、行くか。職場見学」と歩き始めた。


 そう、今日、僕はバイト先の職場見学へとやってきたのである。星乃に仲介に入ってもらったことは大正解で、僕の要望はとんとん拍子に叶えられた。相談した次の日には、母さんから了承を得られたのである。

 長くても秋までという期間制限と、成績が落ちたらやめるという縛りはあるものの、そんなのあってないものだ。秋までには仕事を覚えるし、成績を落とす予定はない。


「今日の段取り説明しとくな」

「はい」

「まず、今から探偵事務所に行って、所長から簡単に説明を聞いてもらう。仕事の内容とか賃金の話とかね。でもって、その後は私の仕事についてきてもらうって感じ」


 さすがにちょっと緊張する。慣れないことをしているという自覚があった。社交的かと言わればそうではないし、人付き合いが上手いとも言えないから。

 顔も知らない他人と話すことはどうとでもなるけれど、知らないと大人と仕事の話をするなんて僕には初めてのことだ。こういうときの礼儀作法なんてさっぱりだった。


「それでも伊朔くんが仕事してくれるっていうなら、改めて所長と面談してもらって、契約書とか同意書にサインを貰って、晴れて探偵事務所の調査員って流れ」

「……どうなったら不採用になりますか?」

「あー、人間性とか? 仕事に向いてなさそうだったら駄目かな。伊朔くんはその辺、大丈夫だと思うけど」


 ……本当だろうか。この人の言葉はどこか軽薄だから、無抵抗にすべて受け入れるのは難しい。

 柴宮さんは終始にこにことしていている。僕の背中を力強く叩き、「ま、こっちも人手不足だし、よっぽどじゃなきゃセーフ」と何の根拠もなさそうなことをのたまう。まあ、これくらいの態度でいてくれた方が緊張もほぐれるし、ちょうどいいかもしれない。


 横断歩道を渡り、左へ。それから、コンビニを越えたところで右に曲がる。ビルとビルの合間の狭い道を進み、突き当りで左に曲がる。柴宮さんはそこから三つ目のビルで足を止めると、ブラインドのかかった二階の窓びっと指差した。


「ここが本拠地」


 外観は何の変哲もないビルだ。これぞ探偵事務所みたいなステッカーが窓に貼られているわけでもない。先を進む華奢な背中についていく道すがら、フロア案内板に書かれた“2F 稲城探偵事務所”の文字を見てようやくと実感が湧いてくる。

 柴宮さんは「エレベーターを待つくらいなら階段の方が早い」と豆情報を教えてくれた。その情報が役立つようなことになればいいけれど。


 階段を上り終え、エレベーターホールを通り過ぎ、見えた扉に背筋が伸びた。すりガラスの窓に探偵事務所の文字。すごい、本当にドラマみたいだ、と呆けた感想が浮かぶ。

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