第31話 利害の一致
「……柴宮さん、正気ですか? 焼き肉屋?」
お昼どきならまだしも、今は夕方に足を踏み入れた時間だ。胃袋にはちょっとした軽食ならば入る余地はあるものの、がっつり食事をする余裕はない。
ちょっと座ってしゃべんない、という誘いじゃなかっただろうか。引きつる口で「お昼食べてないんですか?」と尋ねれば、柴宮さんはあっけらかんとして「食べたよ」と想像していたのとは違う返答をくれた。
「なんだよ。この時間、腹減らね?」
「いえ、減らないです」
「ふーん。なら、バニラアイスと杏仁豆腐でも食ってな」
店を変えるという選択肢は存在しないらしい。
頭の中では柴宮さんへの文句が止まらなかった。でも、すたすたと店に入っていく背中に足は勝手についていく。この時間だから店は空いていて、店員に流れるように座席へと案内された。この匂いだけでおなか一杯だな。そもそも空腹じゃないんだけど。
柴宮さんは席に着くなり、ぴっと壁に貼られたポスターを指差す。それを見て、僕の口角はこれ以上なく下がった。
「食べ放題にする?」
「僕は食べてもアイスです」
「マジかよ。じゃあ、適当に頼んで食うわ」
注文用のタブレットを抱えた柴宮さんに思わずため息が出そうになる。標準の人間というものの定義は分からないけれど、柴宮さんは本当に変わっている。飾らないとか、天然とかいう次元じゃない。
そんな柴宮さんの誘いに乗ったのは、一晩寝て考えた結果だった。
自分で自分のことを解説するのもなんだけれど、普段の僕なら絶対に今日の誘いだって断っていた。改札で出会った段階で痴漢ですと叫びきっている。
美緒さんとアキギリさんは何の障害もなければ、このまま円満に結婚まで漕ぎつけるだろう。でも、僕はそれが嫌だ。美緒さんとアキギリさんに別れて欲しい。僕が美緒さんとどうなりたいかは、考えられるようになってから考える。
自分勝手で偏屈な考えだけれど、そのまま抱えて生きていくには重すぎるし、捨てるにしたってどろどろと粘着性があって綺麗さっぱりとは消えてくれない。
それなら、自分にできる限りを尽くしたかった。
未成年の僕が別れさせ屋に依頼することがでいないならば、自分で何とかすればいい。ノウハウがあればできないことはないと思う。
となれば、僕は実際に仕事をしている柴宮さんの話は何よりも僕の糧になり得る。
「お前と話してみたかったんだよね」
頬杖をついて笑う柴宮さんにそっくりそのままの台詞を返したい。
とはいえ、どうやって話を切り出すべきか。いきなり、別れさせ屋の仕事に就いて詳しく教えてくださいで通るだろうか。僕が柴宮さんの立場だったら警戒するだろうな。また、守秘義務とはぐらかされてしまうかもしれないし。
考えを巡らせながら「それはどうも」と面白みのない返事をすれば、柴宮さんは「いえいえ」と律儀に返してきた。
「で、少年。名前はなんていうの?」
「廿楽ヶ丘伊朔です」
「そ。よろしくね、伊朔くん」
自分の名前を名乗ってから、どうして僕は昨日会ったばかりの女の人とご飯を食べているんだろうな、と首をかしげたくなる。自分の意志と足でついてきたのだけれど、美緒さんと出会ってからフットワークが軽くなった気がするのは気のせいじゃないだろう。
「お待たせしました~」
テーブルに生肉の乗せられた皿が数枚とバニラアイスが運ばれて来た。気が利くのか利かないのか、僕の分をよかれと思って頼んでくれたらしい。
運ばれて来た肉を焼く柴宮さんを横目に、アイスを食べながらなんて話を切り出そうかと考えていると、カチカチとわざとらしくトングが打ち鳴らされる音がした。視線を持ち上げれば、柴宮さんは行儀悪くもトングの先を僕に向けて「突然なんだけど」とマイクを手にした司会者よろしく話し始める。
「伊朔くんさ、うちでバイトしない?」
――その考えはなかった。
「うちって……、別れさせ屋でですか?」
「それは業務の一つだから、正確には稲城探偵事務所だね」
柴宮さんの話は僕の心の中にすとんと落ちてきた。それこそ最後のピースが嵌らなかったパズルが完成するかのような、ぴたりと欠落が埋められる感覚。こうなるべきだったのだ、と思ってしまうくらいに自然な回答。
正直なところ、すぐにでも「はい」と言ってしまいたかった。でも、言えなかった。
廿楽ヶ丘家のルールとして、学生のうちはバイトを禁止されている。
柴宮さんに了承の返事をする前に、母さんから許可を取らなきゃならない。
ああでも、目の前にこんなにうまい話があるのに――、と立ち止まってみると、途端にここが柴宮さんの手のひらの上だと気づいた。昨日から今の今までの柴宮さんの行動を振り返ると、おやと思うことがいくつかある。
「……柴宮さん、最初からバイトのスカウトで声かけて来たんですか?」
柴宮さんは自信たっぷりな様子で笑う。トングで片面が焼けた肉をひっくり返しながら「なんで?」と問いかけてくる声色は楽しそうだ。じゅうじゅうと音を立て、香ばしい匂いがしてくるけれど、僕も食べたいとは微塵も思わない。
「昨日のおじさんの件、予測不能の事態だったとしても、高校生に助けを求めてくるのって不自然かなって」
それこそ、仕事としてやっているのなら、対処法がマニュアル化されていてもおかしくないと思う。
猜疑の視線を向ければ、柴宮さんは「ご明察~」と軽口を叩いた。
「私が言うのもなんだけど、探偵事務所でバイトって物珍しいじゃん? 給料もいいし、求人出せばそれなりに応募があるんだけど、マジで全員、冷やかしなんだよ。探偵事務所で働いてるんだぜ、って話のネタを作りに来る奴しかいないわけ」
「はあ」
「そーなると、今いるスタッフの伝手で人を探したりすんだけどさあ。なかなかいないんだよな、これが。まあ、浮気してるカップル追っかけたり、訴えるための証拠集めに奔走したり、給料に見合う分は体張る仕事だから仕方がないんだけど。たまに給料と見合わねーってこともあるし」
これは本当にスカウトなのか。柴宮さんはバイトの愚痴を吐き出したいだけじゃないのか。
もぐもぐと肉を食べながら、口の中が空になった合間で愚痴を紡ぐ柴宮さんは「人の汚いとこばっか見る仕事だしな」とまだまだ止まりそうにない。
「クソババアに口説かれる囮をやってくれる奴を探しても、ぜーんぜん見つからないわけ」
その一言で言いたいことがすぐに分かった。僕の口元が歪む代わりに、柴宮さんの口元が緩む。僕の推測は間違っていないらしい。
「顔の綺麗な若い男の子、探してたんだんだよね。顔だけでも充分だけど、それなりに肝が据わってて、機転が利いたら満点」
柴宮さんは新しい肉を網の上に乗せながら、さもないように「君のことだよ、満点くん」ととどめを打った。
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