第30話 渡りに船

 大会に向けた練習は夕飯どきを前に切り上げた。そして、ニシは配信を切ると同時に「いやいや、スパルタすぎん?」と幾分も気の抜けた声を出す。


「ニシの腕前と予選までの日数を考えたらこれが最低限だけど」

「……えっ、俺、そんなに弱い?」

「上も下も見出したらきりがないよ」


 基本的にどんな大会にもレギュレーションが存在する。年齢制限だとか、ゲーム内ランクの条件だとか。それをクリアしているのだから、ニシが下手くそということはない。

 手広くせずに、プレイするゲームの本数を絞って本腰を入れればもっともっと強くなるだろうけれど、それはニシの求めるところではないだろう。強くなるよりも楽しいことが大事。ニシは配信の一環でゲームをしているのであって、ゲームのついでに配信しているのではない。


「伸びしろしかないんだからいいじゃん。強くなるの楽しいでしょ」

「楽しいけど、もう少し褒めてくれてもよくね?」

「それは自分のフォロワーにしてもらいなよ」


 時計は陽菜が帰ってくる時間を越えていた。なんなら、夕飯も作り終わる頃合い。家事の時間を美緒さんを探す時間とニシの練習に当ててしまったから、今から母さんが帰ってくるまでに片づけなければ。

 もう切るよ、と告げる前にニシは「ジルさ、口論に巻き込まれたって言ってたけど大丈夫だったわけ?」とゲーム内での呼称を引きずったままで尋ねてきた。


「巻き込まれてもガン無視して立ち去るタイプなのに、遅刻ってマジで何か問題あったのかと思って」

「ちょっと絡まれたっていうか、巻き込まれたっていうか」

「痴話喧嘩に?」

「そうじゃなくて。…………なあ、ニシ。別れさせ屋ってどう思う?」


 こんなことを聞くなんて、どうかしている。

 僕は数時間前の出会いについてまだ処理しきれていなかった。冷静になれていない。柴宮さんが言っていたことは本当なのか嘘なのか。もしも、本当だったら……。


 ニシは「はァ?」と素っ頓狂な声を上げた。


「何ソレ! 面白そう!」


 荒い鼻息まで聞こえてきそうな高ぶりようだった。

 よく考えれば、コイツに言ったらこうなると分かったはずなのに。相談相手としては失敗だった。続きを求める声は勢いが良すぎて耳が痛い。詳細を話す気にはならなくて、自分から話題を振ったというのに「じゃ、お疲れ」と通話をぶった切った。


 悶々とする。もちろん、別れさせ屋のことで。

 人の関係性は壊れるものだというのは、両親の件で嫌というほど分かっている。でも、僕はそれが本人たちの意志だけで発生するものだと思っていた。他人の横槍でどうこうなるのかと思うと薄暗い妄想が止まらない。

 僕の思考を咎めるように、部屋の扉がノックされて「ご飯できたよ」と陽菜の声がした。

 他人がこんなことで悩んでいたら、馬鹿な考えだと一蹴するところなのに、自分のこととなったらどうにも諦めきれない。





 一晩寝ても僕は愚かな考えに囚われたままでいた。

 学校ではニシに別れさせ屋についての話の続きを求められ、吉井さんには好きな人は誰なのかと遠回しに尋ねられ、雑音ばかりで考えに集中できなかった。

 帰り道、ようやく一人になれて自分の心の声が良く聞こえるようになる。明確な答えは出ないんだけれど。

 恋愛ごとでうじうじと悩む奴は鬱陶しい――、そう思っていたのに、いざ自分がこうなってしまうと、悩んでしまうんだから仕方がないだろう、というつまらない言い訳ばかりが浮かんだ。どうかしている。そういう奴らは総じて悩みながらも楽しそうだったけれど、僕はちっとも楽しくないのも嫌だった。


 最寄り駅の二つ前で降りることはもはや癖になっている。多分、無意識のうちに足が動くくらいには身に染みていた。

 改札を抜けようとする前、進行方向からやってきた人を避けようとした瞬間、ぎゅっと手首を掴まれた。突然の接触。痴漢かと思って「誰か――」と声を上げたけれど、助けてください、までは声にならなかった。


「待った、待った! 酷ぇご挨拶だな!」


 僕の助けを求める叫びを遮った声には覚えがある。昨日、聞いたばかり。ただ、姿かたちが一致しなかった。

 キャップを目深にかぶって顔がよく見えない。季節に合わないぶかぶかの上着を羽織っていて体の線も見えなかった。昨日は長く伸びた黒髪だったのに、今日は色こそ変わらないものの僕と変わらないくらいの短髪だ。


「……柴宮さん?」

「よーっす、昨日ぶり」


 顔を見せるようにキャップのつばを持ち上げ、こちらを見上げてくるのは間違いなく柴宮さんだった。

 化粧をしていないことと、性別を意識させない服装のせいで、見目の印象は昨日と百八十度違っている。頓着がなくて活発そう。声を聞かずに遠目に見たなら、小柄な少年にも見間違えそうだ。今日の様相は口調との乖離をあまり感じず、昨日よりもしっくりきた。

 柴宮さんは僕の手首を掴んでいた手を離すと「元気?」と見慣れたと言いたくなる笑顔で小首を傾げた。


「髪、切ったんですか?」

「いや、元々この長さ。昨日のはウイッグだよ」

「え?」

「変装、変装。さすがに素顔を晒して人にあれこれ突っかかっていけないって」


 さすがに最低限は自己防衛のために準備しているのか。

 知り合いというほどの関係でもないのに、恐ろしいほどフレンドリーな柴宮さんは昨日のやり直しのように「暇してんの? ちょっと座ってしゃべんない?」と提案をしてきた。


「……いいですよ」

「えっマジ!? よっし、行くぞ! お前の気が変わる前に」


 冗談だったのに、と嘲笑われる可能性も考えていたけれど杞憂だったようだ。僕が言えた義理じゃないだろうが、よくもまあ知らない人と時間を一緒にしようと思えるな。

 僕の前を行く小さな背中についていく。本当に昨日、出会った人と同じ人なのかと疑いたくなるほど行動や仕草が違う。


「嫌いなもんある?」

「いいえ、特には」

「じゃあ、好きなものは?」

「甘いもの」

「範囲広ぇ……」


 僕の嗜好を確認してきたはものの、彼女の足は淀みなく進んでいる。目的地は最初から決まっているようだ。

 思ったままを声にするような中身のない適当な会話をしていると、目的地まではあっという間だった。やっぱり、僕に聞いてきたことは関係なかったらしく、目前にある店は焼き肉屋だった。

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