第29話 別れさせ屋

 僕は美緒さんとどうなりたいんだろう。

 はっきり言えるのは、美緒さんが誰かのものであることは嫌だということ。でも、その先は? 僕は彼女の何になりたいのだろう。彼女に僕の何になってもらいたいのだろう。


 柴宮さんはくりくりした目を丸くして僕を見ている。その顔はさっき彼女が言っていた言葉を思い出すものだった。なんだこいつって顔。

 何となく、今の自分の顔を見られるのが嫌で、空いていた手が顔に伸びた。別れさせたいカップルがいるんです、なんてわがままが過ぎる。


「無理無理。未成年に払える依頼料なわけねーだろ」


 僕の心配をよそに、藤宮さんの物言いはさっぱりしたものだった。僕を馬鹿にした様子ではない。

 柴宮さんは心配そうな目つきで「何、変なのに付きまとわれたりして困ってんの?」と同情的に尋ねてきた。そういう方向で受け取ったのか。


「……そういうわけじゃないんですけど」

「でも、依頼したいことはあるんだろ?」


 目の前に人参をぶら下げられて走る馬のように、素直に飛びついてしまっただけで、よくよくと考えれば洗いざらいを柴宮さんに白状するのは抵抗があった。結婚を控えた恋人を別れさせたいだなんて、どうしたってモラルに反している。

 さっさと帰ろう。そう思うのに、足が上手く動いてくれない。頭の中でだけ響く天啓はまったく弱まっていなかった。このチャンスを逃すなと、未だに繰り返している。


「どうしても困ってるなら、ちゃあんと親御さんに相談したうえで連絡しな」


 そう言って、藤宮さんは僕に名刺を差し出した。

 差し出されたままに受けとれば、それは必要事項が記載されるばかりの飾り気がない名刺だった。“稲城探偵事務所”という名称、藤宮絵麻という名前、そして、事務所のホームページアドレスと電話番号。

 別れさせ屋って表向きは探偵事務所の顔をしているのか。それとも、探偵事務所の業務の一つが別れさせ屋なのか。

 小さな紙片から目の前の彼女に目線を向ければ、この数分だけでも強く印象に残っている笑い方をして僕を見ていた。


「ま、ちょっとはサービスしてくれって、所長に口利きしてやるよ」

「……ありがとうございます」

「はは、どういたしまして」


 藤宮さんは特に名残惜しさも見せずに「じゃあね」と片手を挙げて人混みへと消える。言葉を交わしていると絶対にどこにいても浮いていそうな雰囲気があったのに、後ろ姿になった途端に僕の目は簡単に彼女を見失った。


 変な人だし、不思議な人だったけど、悪い人ではないのかもしれない。


 もう一度、名刺の内容を確認してからポケットへとしまい込む。遠くから撒いたはずのおじさんの声が聞こえた気がして、僕もその場から立ち去った。

 結局、何がどうなって柴宮さんがあのおじさんに絡まれることになったかは分からない。でも、一人であんな目に遭うのだから、やっていることは危ないんじゃないかと思った。


 ニシとの約束の時間には遅刻してしまうが、反故にせずには済みそうだ。残っていたオレンジジュースを飲み干して、改札を抜けた先のゴミ箱へと押し込んだ。





「ごめん、遅くなった」


 柴宮さんと別れた後、すぐに電車へと飛び乗った。足早で家に帰って、真っ直ぐに自室へと向かい、パソコンの前に座った。遅刻する旨はスマホから連絡してある。特にお咎めはなかったけれど、だからといって何分でも遅れていいわけじゃない。

 コミュニケーションツールでニシと通話が繋がると、即行で謝罪を口にした。


「おー、おかえり。今、配信中」


 ニシの返答にうわ、と声が出そうになったのをどうにか押し止める。これも遅刻したせいだ。約束に間に合っていればニシは「練習も配信してもいい?」と僕に聞いたはずだから。


「みんなお待ちかねのジルくんでーす。今度の大会に一緒に出まーす。そんでもって、大会まで俺のコーチしてくれる」


 ストリーマーの“N15h1ニシ”として活動している最中のニシはいつもより少しだけまともだ。本当に少しだけ。普通は逆だと思うけれど。

 けらけらと笑いながら自分のフォロワーと僕の話をしているニシはとにかく楽しそうだった。

 ニシの配信には何度も招かれているけれど、自分の声が配信に乗るのはあまり好きじゃない。正確に言えば、試合中だとか、ゲームの話をしているときはどうとも思わないが、雑談になると不特定多数に個人の話を聞かせるのが嫌で口が重くなる。


「なんで遅刻したの?」


 オフラインで聞かれる分にはなんてことない質問も、オンラインで聞かれると難題だ。


「……散歩してたら、おじさんと女の人の口論に巻き込まれて」


 別に何もなかったと誤魔化せば、面白がって執拗に聞き出されるのは経験で分かっていた。当たり障りなく返せば、ニシも当たり障りないように「マジ? 仲裁してきたわけ? 電車で寝過ごしたとかなのに、無理に言い訳考えてない? 妊婦さんを助けました的な」と冗談のように聞き流してくれた。


「うーし、じゃ、ジル先生よろしくお願いしまーす」

「ああ、うん。お願いします」


 次の大会でアキギリさんと当たるためには予選突破が必須。その対策として一番お手軽なのが、チーム内で一番弱いニシが強くなることだ。


 ……そういえば、アキギリさんはなんでストリーマー活動をしているんだろう。


 ニシは承認欲求と自己顕示欲を満たすためと言っていた。ニシは軽薄に見られがちだけれど、自律に関しては同年代でも頭一つ飛び抜けていると思う。目的がそれだとはいえ、暴走して炎上騒ぎを起こすことはないだろうなという信頼がある。

 まあ、頭のねじがぶっ飛んでる感は否めないけど。


 アキギリさんはどうしてだろう。父さんはストリーマー活動なんて許さなさそうなのに。

 そういうところが分かったら、美緒さんの好きになる異性のタイプが分かるだろうか。

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