第28話 天啓

「じゃ、行くか」

「いえ、知らない人とも行きたくないんですけど、それ以前にこの後に約束があるので失礼します」


 それじゃあ、と話を切り上げて去ろうとすればぐっと制服の裾を掴まれた。ひらひらとした服の袖から見える腕はほっそりしているのに意外と力が強い。振りほどけないほどじゃないけれど、力を入れたら華奢な体は吹き飛んでしまいそうで少し怖い。


「離してください。警察呼びますよ」

「うっわ、お前、すげードライだね」


 この人に何を言われようともどうとも思わない。心の底から。

 今の状況では彼女をストーカーとは言えないけれど、しつこい異性のあしらい方については星乃で山ほど経験していた。こういうのは、迷惑をかけられている方が配慮したら負けなのだ。

 自分が被害者ならば迷わず警察。スマホを取り出したところで僕が電話をかけると察したのだろう。柴宮さんは「げえ」と不細工な顔で舌を出した。

 この人、動作が豪快だし、仕草はがさつだ。言葉も汚い。それが悪いかどうかは置いておくとしても、外見と内面が真逆の方向に向いている気がする。


「待った待った。ちょっとお茶に誘っただけで通報? 危機管理能力バグってない? 閾値低すぎ」

「……人に助けを乞っておいて、いざ助けられた後に、自分の想い通りに行かないからって暴言吐き連ねる人よりマシだと思いますけど」

「言うねー」


 柴宮さんはなんていうか、破天荒そのものだった。そして、僅かな既視感。ずけずけとものを言う様が、なんだかニシと似ている気がした。

 ――そうだ。ニシとの約束がある。こんなところで油を売っている暇はない。


「僕、本当に急いでるんで。通報されたくないなら離してください」

「年上の綺麗なオネーサンに誘われて、その素っ気なさ。健全な高校生とは思えんね」


 この人、あのおじさんにもこの調子で絡んでいたのだろうか。

 それなら、あのおじさんが一回り以上は若いだろう彼女に懸想したことは、彼女の自業自得なのではないかと思ってしまう。言葉選びの最悪さと態度の横柄さは単純におじさんの性格の問題だろうけど。


「何とでも」


 語気を強めて、一歩二歩と柴宮さんと距離を取る。そうして、彼女はやっと渋々といった様子でようやく僕の制服を離した。指の形に皺が寄っている。最悪だ。


「身持ちが堅ぇ」


 この人、何なんだろうか。

 美緒さんと初めて会ったときも同じようなことを思ったけれど、彼女とは全然違う。美緒さんは大らかで寛容的すぎて、いい意味で変な人だった。柴宮さんは得体が知れない本物の変な人だ。

 柴宮さんはきょろきょろと辺りを見回したかと思うと、一点を見つめて指を差した。


「じゃ、ま、自販機で飲み物くらい奢らせてよ。感謝の意ってことで」


 早く解放してくれることが一番なんだけれど、これ以上、拒否すると話が長くなりそうだという確信があった。自分は損をしてないし、ここが妥協点と飲み込んで「それで貴方の気が済むなら」と諦めれば、柴宮さんはさっきまでの執着などなかったように軽快に歩き出した。


「いやー、きちっとしてんだね。人嫌い?」

「そういうわけじゃないですけど」

「あれか、モテる男特有の妙なスカシ!」

「……失礼な人ってよく言われませんか?」

「はは、初対面でわざわざ口に出して言われることはないかな。なんだこいつって顔されるけどね」


 この人にだけは言われたくないな。というか、そういう顔されるって分かっていて直す気はないのか。

 柴宮さんは自販機の前に立つと「さ、どうぞ」と僕のために場所を開けてくれた。ラインナップを一通りを見てオレンジジュースのボタンを押せば、柴宮さんは「はーん、こういうとこで可愛げ出してくんのか」と感心したように呟いた。オレンジジュースの何が可愛いに分類されるのかは疑問だ。お子様の飲み物ってイメージが強いのだろうか。


「ああいう変なおじさんに絡まれたくないなら、思ってることそのまま言うのやめた方がいいですよ」


 お節介だな、と思いつつも、説教染みたことを言ってしまった。

 柴宮さんはきょとんとした顔をして、それから口角を上げて白い歯を見せた。さっきもそうだったけど、この人の笑い方って小学生男子みたいだな。


「お前だってそういうタイプじゃん」

「僕はおじさんに絡まれたことはありません」

「はは、あれは絡まれる仕事だったの。賃金発生してるから」

「え?」


 絡まれるのが仕事って……。


 まさか美人局なんてことないだろうな、とジト目で窺えば、柴宮さんは変わらずの笑顔で「お前から金巻き上げようなんて思ってねーわ。つーか、おっさんから直接的に金銭撒き上げるわけじゃねーし」と僕の肩を叩いた。やっぱり、力が強い。


「仕事っていうのは別れさせ屋。つっても、今回の依頼はあのおっさんの恋人でも彼女でもないんだけど。まあ、詳細は秘密。守秘義務ってやつで」


 斜め上の返答だった。“別れさせ屋”という名前は知っているけれど、詐欺の一種か、もしくは、都市伝説みたいなものかと思っていた。いや、柴宮さんが詐欺師の可能性はゼロじゃないけれど。

 あまりに非日常な単語で、思わずに「別れさせ屋って、あの別れさせ屋ですか? 恋人や夫婦を別れさせるあれ?」と聞き返すと、すぐに「そだよ」と首肯が返ってきた。


「ま、マジで助かったよ。あのおっさんと口論するだけして姿をくらます予定だったのが、必死になって追いかけてきてさー。見極めが足りなかったわ。火をつけ過ぎたっていうか」

「……」

「つーか、マジで不快じゃね? 聞いただろ? あのモラハラ野郎のひっどい発言。あれで自分はまだ結婚できると思ってるんだからお笑い草だよ」


 守秘義務といいつつ、だらだらと自分の仕事の不手際を愚痴る柴宮さんの声は僕のみ見にはほとんど聞こえていなかった。代わりに、僕の脳裏には天啓が降りていた。誰の声か分からない声が「これは巡ってきたチャンスだぞ」と誘うように囁く。


 そう、これは、チャンスだ。


 オレンジジュースを握る手に力が籠る。別れさせ屋というのが本当かどうかの精査をしようという慎重さは微塵もなかった。欲望で前のめりになっている。


「――別れさせ屋、僕も依頼したいんですけど」


 気がついたら、そう言っていた。するりと飛び出した本音。僕は自分が美緒さんとアキギリさんに別れて欲しい、と思っているのだと初めて自覚した。

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