第27話 螺旋階段、転げ落ちる
「廿楽ヶ丘君、好きです。付き合ってください」
恥ずかしそうに逸らされた目線、ぽっと火が灯るように色づいた頬、緩く握られた拳。学校からの帰り道、僕の隣を歩いていた吉井さんは唐突にそう言い放った。
吉井さんから告白されるのはこれで何度目か。
告白される場所はまちまちだけれど、彼女は決まって告白するぞという雰囲気を醸し出すから、一目で告白されるなと分かる。
これに対する返事はいつも決まっていた。誰とも付き合う気がないと断る。吉井さんが嫌な人とかではなく、恋愛ごとに興味がなかったから。もう何年も前のことなのに、両親の口論が未だに鮮明に脳裏に過る。
「ごめん。僕、好きな人がいるから」
でも、今日、僕の口から飛び出していったのはまったく違う言葉だった。
父さんと会ったのは失敗だったかもしれない。
あの日から美緒さんと連絡が取れなくなってしまった。警戒されているというのは僕の考え過ぎではないだろう。思いつくSNSサービスで美緒さんの情報を調べても見つからないし、最寄り駅の周りで会うこともなくなってしまった。
美緒さんの顔が見たい。会って話がしたい。
僕と美緒さんを繋いでいるのはスマホだけ。僕がどれだけ送っても、返ってこなければシャットアウトされてしまう。
今までは時間があればゲームをしていたけれど、ここのところは無駄に外を歩き回っていた。美緒さんの最寄駅の周りをふらふらと。もしかしたら、会えるかもしれないから。
美緒さんの姿を探して人混みを流れる。こんなに人に対して注意を払って歩いたことがなかったけれど、誰も彼もがじゃがいもに見えた。興味がない相手なんてこんなものだろうか。
本当はもう少し粘りたいところだけれど、今日はニシの大会に向けた練習に付き合う約束がある。帰らなければ。このまま二駅分を歩いて帰ろうかと一瞬だけ悩んでやめた。
駅に向かって踵を返した瞬間、どすんと背中に鈍い衝撃が走る。
「え――?」
「助けて」
「は?」
僕に突っ込んできたのは女の人だった。目鼻立ちのすっきりとした人。多分、美緒さんと同い年くらい。儚げな雰囲気。黒く長い髪をして、黒い目をしているけれど美緒さんじゃない。じゃがいも。
「ふざけやがって!! 待てよ、クソ女!!!!」
続けてやってきた罵声に鼓膜が震える。うるさい。肩で息をする男はうだつの上がらなそうなおじさんだった。やっぱり、じゃがいも。
おじさんは「バイトのお前に俺が直々に目をかけてやったんだぞ!」だとか「本来はお前の方から頭を下げて交際を申し出てくる話だ!」と白昼堂々と作りもののような言葉を吐き捨てた。
……こういう奴ってマジで実在するんだな。
他人事みたいに考えていたら、おじさんの目がぎょろりと女の人から、彼女の手へ、そして、彼女の手が掴んでいる僕の服へと移って、最後には僕の顔をねめつけた。
「誰だお前! 関係ない奴はすっこんでろ!」
「はあ、そうですね。あの、離してください」
面倒ごと、それも恋愛関係のものになんて関わりたくもない。
女の人は僕の顔を見て、ぎょっとした様子で「えっ!?」と声をひっくり返した。助けてもらえると思っていたのだろうか。
僕はこの二人を知らない。この口論の有責がどちらにあるかも分からない。ぱっと見た所感としては、あの男の人が暴走列車になっているだけに思えるけれど、もしかしたら、女の人が不用意なことを言ったのかもしれないし、そんなのを聞き出して仲裁してやるほど僕はお人好しではない。
「お願い、助けて」
僕にしか聞こえない小さな声で縋りついてきた女の人が顔を伏せると、ふっと美緒さんの姿が重なった。
震える細い肩、艶やかな黒い髪――もしも、美緒さんがあんな男に付きまとわれて困っていたら。きゅっと喉が締まる。
「……僕は事情を知りませんけど、ここで話してもいいことはないんじゃないですか」
「あァ!?」
当然のように僕の言葉は通じない。
おじさんはわあわあと叫び続けていたけれど、こちらを遠巻きに見ていた見物人が「警察呼んだ方がいいのかな」という言葉は聞こえたらしい。ばっとそちらに向けたおじさんは「そうだ、この女を警察に突き出せ」と喚く。
視線が離れた瞬間に彼女の手を引いてその場から逃げた。わざわざ正面からぶつかってやる必要はない。
「うわっ」
「ついてきてください」
背中に罵倒が届いたけれど無視した。
この辺の道はここ数日で随分と詳しくなったと思う。なるだけ人が多い道を通ってその場から離れた。こんなに人がいると一度見失ったなら、見つける方が難しいと思うけれど、あのおじさんが来ないだろう場所にと思って線路を越えるまで走った。
「もう大丈夫ですかね」
景色ががらりと変わったところで立ち止まれば、女の人は「お前、足早いな」と荒げた息とともに言う。その口調はさっきまで一緒だった女の人とはまるで違った。手を掴んでいたはずだけれど、途中で人が変わってしまったのかと思うほどに。
消えてしまいそうな儚さを持っていた女の人は、彼女の変化にちょっとだけ驚いていた僕を見て、子供のように太陽より眩しく笑った。
「やー、助かった。さんきゅー」
「……それは、良かったですね」
この瞬間、彼女はきっと一人でも逃げられただろうなということに気づいた。じゃあ、どうして僕は巻き込まれたのか。
「お礼になんか驕るよ。お茶でもいこーぜ」
「いや、僕は――」
「何、オマエ、知らん奴とは飯食えないタイプ? わたし、柴宮絵麻。よろしくー」
これが僕と柴宮絵麻さんの初対面であり、僕の拙い恋がさらに歪むきっかけになった出来事だ。
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