第26話 恋を履き違える

 次の駅に到着すると車内アナウンスが流れてきて、僕は改めて「助かったよ。ありがとう」とニシに礼を告げた。目的地に向かうべく、僕は次の駅で乗り換えなければならない。ニシはこのままこの電車に乗り続けるからお別れだ。


「……余計なお世話かもしんねーけどさ、誰かおばさんに意見言える人に相談した方がいいんじゃねーの?」


 余計なお世話とは思わないけれど、今更なことだなとは思う。

 まだしばらく実家にいる僕はいいとしても、陽菜や星乃のことを思えば確かにもう少し大人として扱ってくれと訴えるのは必要なことだ。親身な友人に「そのうち」と返せば、器用に肩眉を上げて「それ、ぜってえ何もしないやつ」と疑わしい目で見られた。


「ま、いいわ。じゃ、おじさんによろしくな」

「ああ、うん」


 最後まで手を振っていたニシを見送りってからホームを後にした。ここから一時間は電車に揺られなければいけない。





 父さんとの待ち合わせは隠れ家のような喫茶店だった。

 駅周辺からは随分と離れた場所にあり、悩むことなくタクシーに乗って移動した。庭園に併設された観光者向けの店が並ぶ中、庭園と森との隙間に年季の入った用途不明の建造物がある。

 軋む音を立てる扉を開けば、落ち着いた雰囲気が広がっていた。高い天井に数の少ない座席、高い位置にある窓からは木漏れ日が差し込んでいる。深い木の匂いがした。客層は年配の方が多く、僕が最年少の客だと一発で分かる。


「いらっしゃいませ。一名様ですか?」

「待ち合わせです」


 声をかけてきた店員にそれだけを言って、僕は父さんのいる席へと向かった。店内が狭く、客層から浮いている父さんはすぐに見つけられた。父さんもすでに僕を見つけていて、これ見よがしにそわそわしている。

 十三年ぶりの息子に会う父親の気分なんて経験も想像もしたことがないから分からないけれど、気まずいんだろうなというのは伝わってきた。


「こんにちは。今日は時間を作ってくれてありがとう」

「あ、いや、遠くまで悪かったな」

「俺がこっちに来るって言ったんだし。別に」

「この店まで遠かっただろう」

「まあ、それは確かに。なんでこんな離れた場所にしたの?」


 ここはいい店だと思うけれど、わざわざここを指定した意味は分からなかった。素直に質問すれば、父さんは困ったように眉を寄せて「陽菜が伊朔は放課後に喫茶店で甘いものを食べるのが好きだと言っていた」と白状する。わざわざ探してくれたということだろうか。


「……それはどうも」


 移動時間を考える有難迷惑であるのだが、父さんが僕を喜ばせようとしてくれたことにケチをつける気はなかった。

 何でも頼みなさいと言った様子の父さんに甘え、気になったものを片っ端から頼んだ。父さんは甘いものはあまり得意ではないらしく、本当にこの場所を選んだのは僕のためなのだと再確認する。


 紅茶といくつかの洋菓子が目の前に並んだ時点で、ここまでの移動時間のことは綺麗さっぱり忘れ去った。

 もぐもぐと口を動かしながら、他愛ない世間話をする。ぽつりぽつり、父さんとの会話は平淡なものだ。妙な距離感のせいでパパ活をしている男子高校生にしか見えない。僕が今の僕を目撃したらそう思う。


「伊朔、美緒さんと知り合いみたいだな」


 きた。会話のネタ切れになったら、絶対に美緒さんの話になると思った。僕と父さんの共通の話題は少ない、というか、陽菜のことしかない。

 予想通りの展開に指先が震えた。

 父さんは僕との会話をしたがっている。聞き方さえ間違えなければ、何でも引き出せるはずだ。


「……少し話したことがあるだけだよ」

「そうか」

「美緒さんってどんな人?」

「どんなって――、思慮深いできたお嬢さんだ。秋桐はいい縁があった」


 父さんは思わずと言った様子で口元に笑みを作る。

 いつでもむすっとしていたのにそんな顔もするんだなと新発見し、もっと踏み込んだ意見を出してくれないのかとがっかりもした。当たり障りない話が聞きたいわけじゃない。


「ふうん、秋桐さんとはいつから付き合ってるの?」

「高校のときだったか」

「高校? 学校が一緒だったとか?」

「……」

「そもそも、アキギリさんのどこを――」


 じっとりをした視線を感じて父さんの方に視線を向ければ、きりりと眉を吊り上げて口をへの字に曲げていた。ぱったりと口を閉ざした父さんにどうかしたのかと小首を傾げれば、釣り上がった眉がさらに角度をつけた。怒っている。でも、なんで。


「伊朔、他人の恋人にちょっかいをかけるのはよくない」


 僕の態度が分かりやすかったのか、父親という観点でぴんとくるものがあったのか。面と向かって言われた言葉は正論も正論だった。けれど、僕がまず思ったのは、何でそんなことを言われなきゃいけないんだという非常識なものだった。愛だの恋だのなんて、人の心一つでどうとでもなるんだから、僕が何をしたっていいだろう、と。


 恐ろしいことに、この時の僕は自分が客観的に見たらおかしな行動をしていると、まったくもって自覚がなかった。何なら、障害があるほど恋は燃え上がる、とふざけた路線に則って躍起になっていたまである。自分の立場なんてすっかりと無視をして。


 僕は何も言わず、食べかけの洋菓子たちもそのままに席を立った。引き止める言葉は聞こえなかった。多分、声をかけてはくれていたんだろうけれど、僕の耳には届いていなかった。

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