第24話 手段は問わず

 僕は自分の人生は今までもこれからも、波風が立たない平穏なものだと信じて疑っていなかった。周りがどれだけ大嵐や荒波になろうとも、僕だけは波紋一つなく凪いでいると、誰もが想像するような普通の人生を送るのだと。

 恋愛ごとと無縁であれば、そうなれると思っていたのだ。悪い事情のすべての原因は男女のいざこざだと妄信していたから。


 僕が初めての恋というものを自覚した日から一カ月。

 季節は春から夏に変わろうとしている。梅雨の昼下がり、窓の外は薄暗く、しとしとと粒の細かい雨が降っていた。

 今日は土曜日。母さんと陽菜はそれぞれ出かけていて、家には僕と星乃しかいない。二人でリビングのソファーに座っていたけれど会話はぽつぽつとしたもので、一番に主張が強いのはテレビの音だった。


「伊朔ぅ、おやつ買ってきて」

「雨降ってるから嫌。母さんか陽菜に頼みなよ」

「今すぐ食べたいの」

「じゃあ自分で行けば」


 ぶすっと膨れた星乃は「着替えて化粧するのめんどー」と背もたれに沈む。それから、僕がまったく動く気がないと分かって、星乃は僕からスマホに話し相手を変えた。手のひらを返したようにけらけらと笑っている。

 星乃は本気で僕におやつを行ってこい、と言っているわけじゃない。にしたって、自由が過ぎるとは思うけど。


 僕も自然とスマホに手が伸びた。

 普段からスマホはいじっているけれど、その内訳はこの一カ月で随分と変わった。今までは画面がついているときはほとんどゲーム、次点で動画視聴。今はゲームをしてても、動画を見ていても、思い出したようにメッセージアプリを開いていた。

 新着メッセージがあるわけでもなく、返事を保留にしているやり取りがあるわけでもない。

 画面の上に表示された“飛葉美緒”という文字列を見るだけで胸の奥をかきむしりたくなる。こんな気持ちになるのが嫌なら見なきゃいいのに、飽きもせずに同じメッセージを見返している。


「なーに、伊朔。ニヤニヤしちゃって」


 視線だけを声の方に向ければ、きょとんとした顔の星乃が僕を見ていた。未だに電話の最中だというのに、自分の心の声が先に出たらしい。


「してない」

「嘘、してた!」


 絶対にしていないけれど、もしかしたらというのはあった。

 ここで星乃と戦ってもいいことはない。ぎゃあぎゃあ騒がれる前に「おやつ買ってきてやるよ」とその場から逃げた。口論で星乃に勝てた試しがないし、原因が恋愛ごとだと知られたら面倒になるに決まっている。


 最低限の荷物を持って外に出れば、湿った冷たい空気にぶるりと体が震えた。ビニール傘を広げ、一歩を踏み出す。あまり強くない雨は傘にぶつかっても大した音は立てないが、足音はぱちゃぱちゃといつもよりうるさい。


 歩いている間が一番、思考が巡る。

 僕の頭の中は美緒さんに支配されていた。頭の片隅だけだったころが懐かしい。

 諦めた方がいいと分かっている。分かっているけれど、それがどうしても難しい。美緒さんから連絡がくるたび、僕はそれを大事に大事に受け取って、考えに考え抜いた返事をした。彼女を近くに感じられるようになって、馬鹿な期待を抱いてしまうのだ。


 最近、美緒さんの言葉をよく思い出す。好きな人のことを欲しくなる、ってやつ。


 美緒さんのことを知りたかった。何が好きで、何が嫌いで、何でもいいから彼女を形成する情報を得たい。

 陽菜に遠回しにして美緒さんのことを聞いても、いい人と言われるだけ深い情報は教えてもらえなかった。もしかしたら、陽菜はあまり交流がないのかもしれない。直接会っていたのは秋桐さんの方だろうし。

 秋桐さんを間に挟んで調べても、ニシに聞いた以上の情報は出てこなかった。


 そうなると、僕にある伝手としては残り一つ。


 僕の思考が電波にでも乗っていったかのように、スマホにメッセージが届いた。すぐさまに相手を確認したけれど、相手は美緒さんではなかった。


【明日の昼の約束、一時間だけ遅らせてくれないか】


 ちょうど、僕が思い浮かべていた人物――父さんからのメッセージだった。

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