第23話 埋まる外堀
ここにいるということは、会社はどうにかして早引きしてきたのだろう。朝から寝不足顔の僕と同じく、陽菜も朝から引き続きで深刻な顔をしている。もしかしたら、会社側から今日は体調が悪そうだから帰れ、と勧められたのかもしれない。
「……外に出る必要ある?」
「今朝のお母さんの反応、見たでしょう」
的確な反論に息が詰まった。今朝の母さんの顔は思い出すまでもない。僕に学校を休ませ、寝つくまで付き添いをし始めそうだった。
母さんが帰ってくるまで時間があるけれど、陽菜がもしもを考えてしまうのは仕方ない。うっかり聞かれてしまっては、朝の比ではない地獄が待っている。
「分かった。鞄、置いてくるから待ってて」
「うん」
のろのろと階段を上り、自室の扉を半開きにして鞄を投げ入れた。本当はこのままベッドに倒れ込みたいけれど、陽菜をあの状態で放置するのは忍びない。美緒さんの話も聞けるかもしれないし、と思えば重い足も勝手に前へと動いた。
財布とスマホだけを引っ掴んで、陽菜と二人で家を出る。
散歩がてら近場で済ますのかと思いきや、陽菜は玄関の扉を施錠して、それからすぐに車のドアを開いた。念には念をというか、昨日、僕とばったり遭遇したことを反省してのことだろう。
助手席に乗り込んでシートベルトを絞めれば、車はゆっくりと発進した。
社内に流れる音楽もラジオもなく、耳に聞こえるのは静かな走行音だけ。緩やかな振動がちょうどよく、目を瞑ったなら即時で寝る自信があった。
「……父さんとはいつから連絡とってたの?」
内容の重さに反してのんびりとした口調になってしまう。外の景色を眺めながら返事を待てば、陽菜は「ずっと」と曖昧な答えを告げた。
「ずっと……?」
「お母さんたちが離婚してから、お父さんとはずっと連絡を取り続けてるよ」
「……僕が母さんと陽菜の仲介するのをやめた後も?」
「……うん。お母さんには黙っててね。ずっと内緒にしてたから」
想像に違わない説明だったけれど、やっぱり驚きはした。陽菜は嘘をついたら死んでしまうのだと思っていたから。父さんと連絡を取っていたことよりも、母さんに黙ってたというのが信じられない。今日までの証拠の積み重ねがあるから納得できたけれど、唐突に言われていたら絶対に嘘だと突っぱねていたと思う。
「そっか」
「あの、黙っててごめんなさい」
「なんで陽菜が謝るの? 何も悪いことしてないのに」
陽菜は僕の意見がいまいちしっくりとこないらしく、困ったように笑った。責められて当然だとでも思っているんだろうな。
悪いという意味では、昨日の特殊な結婚を控えた親族顔合わせをぶち壊した僕の方が悪いだろうに――、と考えていたら、陽菜は僕の心の声が聞こえたかのように「昨日、怒ってたから帰っちゃったんじゃないの?」と力なく尋ねてきた。
非常に決まりが悪い。絶対に嘘でしかない声で「いや、驚いただけ」と言い訳するしかできなかった。陽菜は苦笑するばかり。多分、僕が気を遣っていると勘違いしている。
「伊朔、美緒ちゃんとお友達だったんだね」
「……まあ、うん」
「いい子だよね、美緒ちゃん。お父さんのことを大事に考えてくれてて、秋桐君と一緒にお父さんが伊朔や星乃と仲直りできるようにって協力してくれてるの。本当は私がうまく立ち回るべきなんだけど――」
都合のいい耳はそれ以上、陽菜の話を受け入れなかった。
美緒さんに話しかけたのは僕からだけれど、彼女がその後も僕に構ってきたのは、僕が父さんの息子だからだ。それ以上でも、それ以下でもない。
そこに意味がある方が問題だけれど、意味があればよかったのにと思ってしまう。浮気男の相手なんてやめとけ、と他人に口出しした奴が何を考えてるんだって話だな。
「それで……、伊朔? 寝ちゃった?」
「ううん。起きてる」
「よかった。じゃあ、今度、お父さんに会いに行こうね」
いつの間にそんな話になったんだ。陽菜は憑きものが落ちた顔で「このまま夕飯の買い出し行こうか」とアクセルを踏む。
別に父さんに会う分には構わないけれど、アキギリさんと美緒さんが並んでいるのを見て無事でいられるとは思えない。想像するだけで今にも吐きそうなのだから。
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