第17話 ひずみ

「伊朔」


 砂漠で水を求めているかのようにかさついた声。酷く緊張しているのが伝わってくる。

 眼球だけを動かして声の方を向けば、覚悟を決めた顔をした父さんがいた。意志の強い瞳に、きりりとした佇まい。自然と背筋が伸びることに懐かしさを覚えた。記憶では薄れていても、体は覚えているものらしい。


「……あ、あー、久しぶりだな。大きくなって」


 久しぶりに聞いた声が引き金になり、昔の記憶がよみがえる。


 父さんは厳格な父親という呼び名がしっくりくる人だった。

 いつもむすりと口を引き絞っていて、滅多に笑ったりしない。普段の会話は少ないのに、僕らが間違えばどんなに細かいことでも口うるさく注意してきて、幼い頃の僕は面倒だと思うことも多かった。星乃が未だに父さんを毛嫌いしている理由にこの辺のことも含まれていると思う。

 この年になって思い返してみれば、それは人の親として当然の躾だった。

 まあ、親の愛だと分かっている今だろうと、実際にぐちぐちと言われたらうるせえって思っちゃうんだろうけど。


 一生、父さんとは会わないと思っていたわけじゃない。けれど、再会したときにどんな対応をするかは考えたことがなかった。

 ただ、父さんのことを父さんと本人に呼びかけるのは、勇気が足りなくてできなさそうだ。


「どうも。陽菜と連絡とってたんだね」

「あ、ああ」

「で、これ、何の集まりなの?」


 日常会話にセンスが必要だとは思わないけれど、つまらない応答をしている自覚はある。思いやりに欠ける物言いを怒られるかと思ったけれど、父さんは特に気にした様子もなく「秋桐の結婚のことで」と返事をした。


 ――アキギリさんの結婚。


 心臓に繋がる血管が潰されるような痛みがした。血液が心臓に溜まって爆発しそうだ。

 先にも言った通り、父さんと陽菜が会っていたことは驚いたけれどそこまで。父さんに養子がいることも同じく。この心臓の痛みとは別問題である。


「伊朔君? 大丈夫?」


 急に押し黙った僕を心配するように、ぺたりと綺麗な手が僕の腕に触れた。ふと横に目をやって彼女の姿を確認した瞬間、くらりと眩暈がした。

 日本人であることを主張するような黒髪黒目、穏やかでおっとりしているように見えて、性格はなかなか破天荒な人――、美緒さん。


 アキギリさんと美緒さんが結婚する。


 吐き気がした。だらだらと唾液が溢れ、胃がひっくり返りそうになる。吐瀉物をぶちまける前にと口を手で押さえた。でも、それじゃあ、顔までは隠せない。

 冷や汗が背中を流れて、指先の感覚が消えていく。自分の顔の温度がじわじわと上がっていくのが嫌でも分かる。


「――すみません。帰ります」

「えっ? ちょっ、伊朔君!?」


 慌てて席を立って外へと向かった。背中を向けた場所でみんながわあわあと騒いでいるのが聞こえたけれど、そんなのはどうでもよかった。今すぐ逃げなければ。

 店の中であることも構わずに全速力で店の外へと飛び出した。なんて迷惑な客だろうか。でも、気を回す余裕がない。とにかく、誰にも見つからないままで一人になれる場所に行きたかった。


「い、伊朔君! 待って!」


 そう思っていたのに、僕の手はがしりと掴まれ、先に行くことを阻止された。引っ張られた勢いで後ろに体が傾く。足が絡まり、崩れるように膝が折れた。ごすんと鈍い音とともに痛みが走る。


「……、美緒さん」

「ご、ごめん! 転ばせるつもりはなかったんだけど」


 僕を追いかけてきたのは美緒さんだった。この人に追ってこられるのが 一番嫌だったのに。

 差し出された手を借りて、ゆっくりと体を起こす。美緒さんは何度もぺこぺこと頭を下げて謝った。


「いえ、元を言えば、俺が出てきたのが問題なので」


 美緒さんは「うっ」とうめき声をあげて俯く。多分、僕が父さんが違う家庭を築いていたことにショックを受けたと思ったのだろう。

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