第15話 橘秋桐
「……陽菜、どういうこと?」
自分でも恐ろしく冷たい声が出た。でも、それも仕方がないだろう。この状況で平然としている方が無理というものだ。
混乱している、僕も、陽菜も。陽菜は大きく取り乱したりしないけれど、言葉を選ぶようにきょろきょろと目を泳がせた。時間が止まって、世界に僕と陽菜だけしかいないような気になってくる。
「…………」
「…………」
陽菜が父さんと会っていたことには驚いたけれど、僕に責めるつもりは一切ない。母さんは悲劇のヒロインのように嘆くし、星乃は怒髪天を衝く勢いで喚くと思うけど。それはそれ。
見つかったのが僕でよかった、というのは共通見解だろう。
「よかったら、伊朔くんも一緒に夕飯どう?」
膠着した状況を打破したのは、軽薄な口調で告げられた誘い文句。
初対面だというのに、当然のように僕の名前を呼んだのはアキギリさんだった。耳に数多くつけられたピアスと明るい髪色、それから、ストリーマー活動のイメージもあって、ぱっと見はちゃらついた男にしか見えないけれど、マスクをしていても隠し切れないくらいにいい人を醸し出していた。思わず警戒を解いてしまうような友好さ。
「こんなとこで立ち話もなんだしさ。俺も美緒から聞いて、伊朔くんと話してみたかったし」
改めて僕と対峙している面々の顔を一通り眺める。
陽菜はアキギリさんの提案に目を白黒とさせ、美緒さんは「いいね」とそれが名案だとばかりに微笑んでいる。そして、未だ口を開かない父さんは瞬きもせずに僕を見つめていた。僕と目が合うと、はっとしたように肩を跳ねさせて、ばつが悪そうに目を逸らす。
どういう繋がりでこの四人が集まったのだろう。
とりあえず、昼間に考え直した通り、陽菜とアキギリさんが恋人同士ということはないようだ。可能性は零じゃないけれど、浮気している男とその本命の彼女と一緒に出かけるなんて大胆な真似、陽菜には無理だろう。星乃じゃあるまいし。もっと言えば、父さんが同伴という時点で星乃にも無理なんだけど。
勝手に浮気男のレッテルを貼っていたことを胸中だけで謝罪した。
「店の前にたむろしてるのも邪魔だろ。さ、行こ行こ」
僕の返事は最初から関係なかったのかもしれない。
アキギリさんは一緒にいる面々に賛同を求めることもなく、僕の腕を引いて店の中へと入っていった。抗うこともできたけれど、僕の足は素直に彼の先導に従って動いた。ここで意地を張って断ったって、どうせ気になって仕方がないんだ。うちで陽菜と変な駆け引きするのも面倒だし。
「すみません、予約していた橘ですけど――」
アキギリさんの申し出に、店員は「いらっしゃいませ。ご予約を確認いたしますので、フルネームをお聞きしてもよろしいでしょうか」と営業スマイルで定型句を返した。
このやり取りにおかしいところはない。
ただ、僕は絶句のまま隣の男を見上げていた。近くで見ると殊更に華やかな人だと分かる。人気商売をしているオーラがあるというか。でも、問題はそこじゃない。
「橘秋桐です」
橘――、僕が十三年前まで名乗っていた苗字。
この人は父方の親戚なのだろうか。でも、こんな人がいた記憶はない。会ったことがない遠い親戚もいるかもしれないけど。ぐるぐる、ぐるぐる、いろいろな考えが頭の中を巡る。
アキギリさんは店員と予約が確認できたことや、一人増えることなどを話していたけれど、そんなことよりも僕の頭を爆発させようとするこの疑問たちに答えて欲しかった。
ふいに顔に影がかかる。横からひょいと現れて僕の顔を覗き込んだ美緒さんは「ふふ、伊朔君。すっごい驚いてる」と僕の実況した。昼間には可愛いと思った笑顔が、今は憎たらしくて仕方ない。
「あの――」
「あ、俺、橘秋桐。ストリーマーやってます。ローマ字、“AKIGIRI”で検索してね。どーぞよろしく」
「……廿楽ヶ丘伊朔です。アキギリさんのことは、その、知ってます。友達が熱狂的なフォロワーなので」
「そーなの? 嬉しいな、お友達にもよろしくね」
もう僕に逃げる気はないのに、アキギリさんの拘束は外れなかった。通された席は個室。十人掛けのテーブル席。こんな席のある店があったのかと驚いた。
僕は連れられたままアキギリさんと美緒さんに挟まれて座り、僕の対面では陽菜と父さんが困った顔で並んでいた。なんだこれ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。