第14話 辿り着く先
別に美緒さんを責めたいわけではない。ただ、僕の口があまりよくないことと、美緒さんがどんな言葉も拾うせいでこんな空気になっているのだ。
急に頭がすっきりとしたのは、美緒さんが動揺しているせいもあるけれど、その前にあった美緒さんのとある一言が一番の要因だった。
もしかしたら、僕は根本的なところで間違っているのかもしれない。
「質問ばかりで悪いんですが、もう一つだけ」
「こ、答えられるかな」
すっかり弱気になってしまっても、受け答えをしてくれる美緒さんは根っからのお人好しのようだ。適当を言って帰ってもいいのに。
「陽菜とアキギリさんが二人で会ってるのは納得、ってどういうことですか?」
僕は陽菜がアキギリさんと付き合っていると思っていたけれど、それは僕の勘違いなのかもしれない、とここまできて考えを改めようとしていた。
そもそも、僕は陽菜自身から恋人がいるとは聞いたことがない。それでも、彼氏がいると確信していた理由は三つ。
一つめは陽菜は僕以上に色恋沙汰を忌避していること。
というか、正確には男嫌いだ。許容している異性は家族だけ。本人はおくびにも出していないけれど、一緒に生活しているのだから分かる。僕が友達を連れてきたとき、星乃が彼氏を連れてきたとき、陽菜は下手くそな愛想笑いを浮べるのだ。本当に馬鹿正直なのは損なことである。
二つめはそんな陽菜が男と二人で出かけているところ見かけたこと。
あの陽菜が――と、その光景を見た僕は手本のように二度見をしてから物陰に隠れた。年齢を考えれば何もおかしくないのだけれど、陽菜に限ってそんなまさかと激しく動揺してしまった。そして、その相手がアキギリさんだった。
三つめは星乃が「陽菜が彼氏とデートしてた!」と僕に内緒話をしてきたこと。
星乃は恋愛ごとについては百戦錬磨である。だらしないという言い方もできるけど。とにかく、星乃が言うならそうなのだろうという謎の説得力があった。恋人を作ったことがない僕が騒ぐのとはわけが違う。
「えー、えっと、ええとねえ」
……これも答えられないのか。
美緒さんの線引きがどこにあるのか分からないが、多分、父さん絡みのことに対して口が重いのだと思う。となれば、陽菜とアキギリさんのことも父さんが関与しているのだろうか。
未発見の怪鳥のように唸り声をあげる美緒さんは、昨日、僕に嘘をついた陽菜の姿に重なった。二人とも何を隠しているんだ。
「言えないなら言えないって言ってもらえれば」
「ご、ごめんね」
「いいえ。嘘をつかれるよりはいいです」
それは美緒さんではなく、陽菜に向けた言葉だった。こうなって気づいたけれど、どうやら僕は陽菜に嘘をつかれたことがなかなかショックだったらしい。
美緒さんはほっとした顔で「伊朔君って清々しいよね」と意味の分からないことをのたまっていた。僕が美緒さんなら、上から目線のクソガキがって暴言を吐き捨てて帰っているところだ。
「ところで、美緒さんの宿題はどうなったんです?」
ここで黙っては変な空気になる予感がして、逃げるように言葉を紡いでいた。
別に彼女の恋愛観について興味はない。ただ会話の種になりそうなのがこれしかなかったから聞いてみただけ。
美緒さんはぱちぱちと薄い化粧のされた目を瞬き、うっと気の重そうな表情をすると腕を組んで唇を尖らせた。この人は心配になるほど分かりやすい。
「未だ答え出ず」
「そうですか」
「伊朔君は好きな人できた?」
僕が恋愛ごとに対して否定的なのを知っているくせに、そんな数日で人を好きになるか、とじとりとした目つきで美緒さんをねめつければ、彼女は歯を見せて悪戯っ子のように笑っていた。
「――美緒さん、可愛いですね」
美緒さんは驚いた顔で僕を見ていて、僕も驚いた顔で彼女を見ていた。
口が滑った。いや、滑ったというか、思わず飛び出していったというか。取り消そうにも、逆に強調するような気がしてしまって否定しにくい。
顔だけは平静なふりを突き通す僕に対し、美緒さんはでれでれと締まりなく笑った。緩く細められ目、薄っすらと色づいた頬、綺麗な弧を描いた唇。
彼女が発光しているわけでもないのに、酷く眩しいなと思った。
「へへ、ありがとう」
ああ、クソ、本当に可愛いな、この人。
黙っていれば静かで穏やかそうなのに、口を開けばデリカシーの欠如した失言が多く、大袈裟なまでに素直でころころと表情を変える。
変に意識してしまうとここに座っていることも気恥ずかしく思えてしまい、僕はかき込むようにケーキを平らげ、コーヒーで流し込むと二枚の伝票を引き抜いた。
「い、伊朔君? どうしたの?」
「帰ります。この前、ご馳走になったので、今日は僕に出させてください」
「え!? 駄目だよ! せめて私の分は置いて行って!」
聞いてやる義理はない。鞄を引っ掴み、彼女に背を向けたところで「ありがとう、次は私が出すから。またね、伊朔君」と声をかけられて足が止まった。ちらりと首を捻って彼女を窺えば、胸の前で小さく手を振っていた。
僕の目はどうかしてしまったらしい。美緒さんがきらきらと輝いて見える。
「……また、今度」
消え入りそうな返事をして、僕は店を後にした。ベルの音を響かせながら閉じた扉の前で自然とため息が口から出ていった。甘い吐息。信じられなくて口元を隠したけれど、出て行ったものは取り戻せない。
感情の起伏に頭がくらくらする。よろよろとした足取りで家へと向かう道すがら、駐車されていた黒い車に映った僕は何ともいえない顔をしていた。少なくとも、姉と父親にまつわる話で悩んでいるようには到底見えない。
陽菜から「帰りが遅くなるから、晩御飯は作れない」と連絡が来たのは、ちょうど洗濯ものを片付け終わったところだった。
家族のグループチャットに投げられたメッセージに、いち早く返したのは星乃だ。今日は帰らない、と。次いで、母さんから外で食べて帰ります、と続いた。
門限まではもう時間がない。コンビニで適当に買って済ませようと、了承の旨だけを返事してそのままスマホをポケットにしまった。財布だけを持って外に出る。
春とはいっても夜はまだ肌寒い。でも、今はその夜風がちょうどよかった。歩いていると思考がよく巡る気がする。門限に間に合うか時間は怪しいけれど、今日は星乃もいないことだし、少しくらい遅くなっても平気だろう。
遠くのコンビニまで行くと決め、あまり歩かない道をゆらゆらと進む。頭の中には陽菜と美緒さんと父さんとが立っていた。考えたところで応えが出るわけもないけれど、考えずにはいられない。
駅周辺の繁華街は電灯がつき始めている。定時の早い社会人なんかは帰路についていて、僕が下校するときよりも人が溢れていた。人混みを避けるように細い道を進んだのは、昼間のことを思い出してのこともある。勝手に足がそちらへと向かった。
この選択は失敗だった。駅の裏路地はあの洋菓子店以外にも個人経営の飲食店が並んでいて、会社帰りらしきスーツの人たちが行き来している。昼とはまったく違う光景だ。
そして、僕の足はこの通りを抜けようとする間際で止まった。
「陽菜……?」
白い暖簾がかかった和食の店の前、僕が見つけたのは帰りが遅くなると連絡を寄越した姉の姿。流れる人の波の中で立ち止まる僕は異物だったのだろう。陽菜もすぐに僕の姿を見つけた。
「い、伊朔。なんで――」
「陽菜ちゃん、待たせてごめんね」
背筋が伸びる。
人混みに紛れた中、陽菜の後ろから親しみを持って彼女に声をかけたのはアキギリさんだった。
それだけなら、まだ、よかった。陽菜とアキギリさんが一緒にいるところは見たことがあるから。
「は……?」
僕の口から出たのは呆けた間抜けな声。
アキギリさんの隣には驚いた顔をした美緒さんがいて、その後ろにはこぼれんばかりに目を見開いた父さんがいた。
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