第13話 とりとめのないお茶会

「誰か来るんじゃないんですか?」


 アキギリさんか、父さんか、それ以外の人か。

 僕の質問に美緒さんは笑顔を崩さずに「今日は一人だよ」と答えた。結構ですと違う席に座ることだってできたのに、その返事を聞いて僕の足は彼女の対面の席へと向かっていた。

 座ってから自分の行動におかしいだろと自分でツッコミを入れる。何を流されているのか、あっちだって社交辞令で声をかけてきただけかもしれないのに。


「はい、どうぞ」


 僕の心配をよそに、美緒さんはテーブルの上のタブレットを片づけ、代わりにメニューを渡してくれた。表情を見る限り嫌そうには見えないけれど、取り繕われていたらそこまでだ。

 ただ、美緒さんは多分、僕がどっちの選択をしても気にしないだろうなと思った。そう信じたかっただけなのもある。


「美緒さんはこのお店、よく来るんですか?」

「うん! 私、住んでるの隣駅なんだけどね、たまに散歩がてらこのお店までくるんだ」


 へらへらと気の抜けた様子で「運動不足でさあ」と笑う美緒さんは本当に僕のことを友達の枠組みに入れているかのような対応だった。彼氏が浮気してますよ、と口を挟んできた高校生相手に随分と寛容なことだ。


「一駅分を往復歩くだけでケーキ食べてたら、あんまり変わらないと思いますけど」

「あはは、痛いとこつくねえ」


 僕がメニューに悩んでいる間も、美緒さんは向かい側から「私はこれが美味しかった」と口を挟んでくる。確かにそのケーキは美味しかった。勝手にメニューをめくってあれこれと話す美緒さんは楽しそうだ。結局、美緒さんにおすすめされたケーキにすることにした。深い意味はない。


 注文をして一息をつくと、彼女はじっとこちらを見つめていた。真っ黒の瞳。美緒さんの虹彩は黒々としていて、周りの景色がくっきりと反射している。そこには疲れ顔の僕も映り込んでいた。


「伊朔君、元気ないね」

「え?」

「何かあった? 私でよければお話、聞こうか?」


 何かはあったけれど、アンタを相談相手にはできない。

 思わず、口元が引きつった。気にかけてもらえるのは有り難いけれど、それよりも先に美緒さんは僕に話すべき話があるだろうに、と。

 僕の心の声が聞こえたのか、美緒さんははっとした様子で「そういえば、秋桐の浮気疑惑の相手なんだけど」とピンポイントな話題を持ち出した。


「はあ」

「もしかして、伊朔君のお姉さんの陽菜さんのこと?」


 これ以上、驚くことはないと思っていたけれど、僕の見立てが甘かったらしい。

 ここ数日、不整脈なのかもと疑っている心臓がまた暴れ出す。ガンガンと頭の奥が痛み、視界がぐるりと回った。気持ち悪い。重くなった頭を抱えて、息も絶え絶えに「そうです」と返せば、美緒さんはきらきらと目を輝かせて「やっぱり!」と手を打ち鳴らした。


「それなら、秋桐が二人で話してたのも納得。やっぱり、浮気じゃないよ」


 いやもう、何から聞いたらいいやら。でも、今の美緒さんは何を聞いても答えそうな雰囲気があった。

 陽菜から話を聞けないなら、この人から聞くしかない。

 じくじくとした頭の痛みが酷くなっていく。不安に心臓が圧し潰されそうだ。心が病むと体にも影響が出るってこういうことか、と他人事のような感想が頭に浮かんだ。


 この場を仕切り直すチャンスをくれるように「お待たせしました」と店員さんがやってくる。運ばれてきたケーキを見てもテンションも上がらない。添えられたコーヒーの匂いすら感じられなかった。


「……僕のことだけじゃなくて、陽菜のことも知ってるんですか?」


 ケーキを見つめながら、できるだけ平常心を心がけて尋ねる。

 美緒さんは少しの沈黙を持った後で「知ってるよ」と肯定した。でしょうね。


「父さんのこともでしょう」


 僕の補足に美緒さんはきょとんと目を丸め、真っ黒の瞳を一瞬だけ右に逃がした後に「ええと」と困っていますという声をもらした。

 陽菜といい、美緒さんといい、嘘をつけない人は損だと思う。美緒さんが僕らの家族の名前を知っていることは、今となっては不思議じゃない。父さんと知り合いなら納得だ。


「隠さなくていいですよ。昨日、美緒さんが父さんとアキギリさんと一緒にいるの見かけたので」

「伊朔君、何でも見てるね」

「ふざけてます?」

「違う違う! えーっと、その、淳史さんのことって伊朔君にはセンシティブな話題かと思って」


 他人からしたらそう思われて当然だろう。事実、姉たちは父さんの話題を避けたがってる。

 でも、僕はその限りではない。家族の中で父さんと過ごした時間が一番短いからか、僕にとって父さんの話題は特に触れられたくないものじゃない。


「僕はこれといって、気にしていないので」


 美緒さんは僕の返事を聞いて悲しそうに目尻を下げた。本当についさっきまでケーキがどうこうで笑っていたはずなのに。

 他人の家族問題によくもまあそんなに親身になれるな、と感心してしまう。侮蔑の意味はない。ただ、僕にはできないことだ思った。


「どうして、美緒さんがそんな顔するんですか?」

「え、あ、えーっと。いろんな家庭があるのは分かってるんだけど、みんなが幸せにしてるのが一番だと思ってて――」

「父親がいないうちは不幸ですか?」

「そうじゃないよ……!」


 美緒さんは悪い人じゃない。むしろ、いい人だと思う。

 高校生のクソガキにこんなこと思われたくないだろうけど、彼女は家族というものに悩むことなく、問題もなく、平和のままで生きてきたんだろうな。


「父さんとはどういう知り合いなんです?」

「……私の口からはちょっと、荷が重いかな」


 人が慌てていると自分が冷静になるというのは本当らしい。

 いつの間にか頭痛も心痛も引いていた。乾いた喉を潤すようにコーヒーを流し込めば、深く苦い味が口内に広がる。

 意地が悪いと思いながらも「宿題の答え合わせはしてくれないんですか?」と首を傾げれば、美緒さんはしょんぼりとした様子で肩を竦めた。

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