第11話 かくしごと

 ばたばたと階段を駆け上がる音、続けて、扉が力任せに閉められる音。

 うちは四人で暮らすには少し広めの二階建てで、二階には家族全員の私室がある。星乃が飛び込んだのは自室だ。

 僕と陽菜は無意識に安堵のため息をついた。星乃が開けた扉が自室のものだったから。これが玄関の扉だったらと思うとぞっとする。いくら普段から遊び回っているとはいっても、自分きっかけでこんな夜分に飛び出されては後ろめたい。


「……ごめん、陽菜。僕が不用意だった」

「う、ううん。そんなこと」

「あるだろ」


 僕は何ごともなかったように食器洗いを再開した。遅れて、陽菜も紅茶を淹れる手を動かし始める。

 原因はともかく、星乃が癇癪を起して部屋に閉じこもることはままあることだった。つまり、僕らには珍しいことじゃない。だから、焦ることもない。

 このまま、なあなあにするのも気が悪いし、ケーキを部屋に持って行くついでに謝っておこう。


 でも、星乃はどうしてあそこまで父さんの話題を嫌がるんだろうか。いくら当事者でも、今は昔の話って思ってるのは僕だけなのか。


 僕が水道の水を止めると、食器を洗い終えるのを待っていたかのように陽菜が僕の名前を呼んだ。


「あの、急にお父さんの話だなんてどうしたの?」


 陽菜の目の前には、ゆらゆらと湯気が立つカップが三つ。注がれた深紅色に不安そうな顔をした陽菜が映っている。父さんのことは聞かないでくれ、としっかり顔に書いてあった。

 僕は思わずに首を傾げた。父さんの話題は星乃にとって地雷だったわけだけど、陽菜までそんな顔をするとは思わなかったのだ。

 しかし、聞くなら今しかない。


「……今日、父さんのこと、見かけて。今どうしてるのか、陽菜なら知ってるかと思って」


 ゆっくりと言葉を紡げば、ひゅっと鋭く息を呑む音が聞こえた。それから、陽菜の顔がじわりじわりと歪んでいく。懸念を抱いた表情。

 どうやら、離婚話をもう済んだことだと思っているのは本当に僕だけのようだ。


「ううん、私も知らない」


 陽菜は行き場もなく視線も彷徨わせて、落ち着きなく手を動かしていた。震えた声で絞り出した否定の言葉。


 ――なんでそんなバレバレの嘘つくんだよ。


 父さん以前に、陽菜が嘘をつくということに驚いた。生きていくうえで一切の嘘をつかずに生きていくなんて無理なことだけど、陽菜はその無理を通して生きていると信じて疑っていなかったから。

 陽菜が何かを隠していることに疑念を抱くよりも、彼女につき慣れていない嘘をつかせてしまった罪悪感が勝った。


「そっか。だよな」


 僕の嘘は陽菜と比べれば、上出来のものだろう。

 この話に重大な意味はなかったんだよという体で「星乃に謝ってくる。ついでにケーキ持ってくから切ってくれない?」と話を切り上げれば、あからさまにほっとした様子で陽菜は了承してくれた。

 切り分けられるケーキを見つめながら、僕はこの状況について改めて考える。

 陽菜が父さんのことを知っていたとして、どうして僕に隠すんだろうか。

 この家で僕が父さんの話題を持ち出せるのは陽菜だけだ。逆に陽菜が父さんの話題を持ち出せるのは僕だけ。その僕にまで口ごもるということは、何か秘密にしなければいけないことがあるのだろうか。というか、陽菜は父さんと連絡をとっていたのか。


「――伊朔?」

「え?」

「ケーキ、切れたよ」


 いつの間にか星乃の分のケーキと紅茶とがトレーに乗せられた状態で準備されていた。

 お礼を言って受け取り、星乃の部屋へと向かう。その間も陽菜が嘘をついた理由を考えていたけれど、答えは一向に出ない。


 すべてのきっかけはアキギリさんが浮気していたことなのに、その問題も解決しないままで悩みごとは増えるばかり。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る