第9話 両親の離婚がもたらしたこと
世の中の一般論は置いておくとして、僕は両親が離婚してもたいして困ったり、寂しいと思うことはなかった。家の中の状況は離婚前とほとんど変わらなかったから。武内さんがいなくなる方がよっぽど堪えたと思う。でも、武内さんもジズも表札が廿楽ヶ丘に変わった一軒家に残り、いなくなったのは父さんだけだった。
とはいえ、今生の別れをしたのではない。
親権は母親に渡ったけれど、父さんに非があっての離婚ではなかったから、僕らが望めばすぐに父さんに会うことができた。それも、僕が離婚を深刻に捉えなかった理由の一つである。
離婚した後の父さんは警察官という仕事を退職し、近くも遠くもない距離の他県へと引っ越した。父さんの地元だ。新幹線を使うまでもないけど、電車を乗り継いでいかなければならないような場所。四歳児の僕は一人じゃいけない距離だけれど、陽菜と一緒ならば問題のない距離。
「伊朔、あのね、お願いがあるんだけど」
「父さんのこと?」
「う、うん。また、お母さんに言ってくれる?」
「いいよ」
父さんについていきたがっていた陽菜は、頻繁に父さんと連絡を取っていた。そして、時間の都合がつけば会っていた。陽菜が父さんのところに行ったり、父さんが近くまで来てくれたり。
ただ、父さんに会いに行くときは必ず、母さんに報告しなきゃいけない。
母さんは僕らに行くなと言ったことは一度もなかったけれど、会って欲しくなさそうだったのは火を見るよりも明らかだった。
「母さん、今度の日曜、陽菜と一緒に父さんのところに行ってくる」
「……そう」
母さんは僕が無駄に綺麗な顔に生まれた一因でもある。身内の贔屓とかではなく、お世辞抜きで美人だった。
黄金比のパーツを用意し、神様の設計図に従って配置にしたような端整な顔立ち。人間離れした容貌は取っつきにくさすらあった。腕も足も長くてシルエットが綺麗。立っても、座っても、歩いても完璧。
あんまりいうとマザコンっぽく聞こえてしまうだろうけど、誰からの評価もおおむねこんなものだ。
「気をつけてね。ちゃんと帰ってきて」
そして、父さんに会いに行くと報告すると、母さんはその綺麗な顔で必ず悲しそうな顔をした。それがこちらの罪悪感を酷く刺激する。母さんにそんなつもりはなかったんだろうけど、それは幼心にも確かに引け目を覚えるものだった。
陽菜は内気とまではいかないが、他人を優先しすぎて自分の意見を言えないことが多かった。よく言えば心優しい、悪く言えば八方美人。要は母さんが悲しむのを見ていられなくて、自分では父さんに会いに行くと報告できなかったのだ。
でも、陽菜は父さんに会いたがった。だから、僕が間に入って陽菜の代わりに母さんへと申し出ていた。
陽菜だって本当は幼く頼りない僕よりは星乃を代役にしたかっただろうけど、星乃が調停のときに父さんを貶める嘘をついたことが尾を引いていたんだと思う。それで、陽菜は親権争いのときに味方をした僕を仲間に選んだのだ。
思い返してみれば、陽菜は切羽詰まっていたんだろう。四歳の弟を矢面に立たせてまでも、どうしても父さんに会いたがっていた。
ただ、僕はこの代弁の役目を早々に降りることになる。任期は数ヶ月くらいかな。
父さんとの報告をするたびに、どこからか聞きつけてきた星乃に「お母さんを泣かせないでよ!!」と怒られるようになったから。それはもううるさくて、父さんに会うために出かける寸前まで騒ぎ、帰ってきた途端にさらに騒いだ。鬱陶しくてかなわない。
これがきっかけ。母さんが泣いていることに心を痛めたのではなく、星野にねちねちと言われるのが煩わしかった。陽菜はともかく、僕はそこまでして父さんと会いたかったわけじゃないし。
そして、僕が機能しなくなると、陽菜が父さんと会える機会も必然となくなったのだ。
父さんとの交流はそのままなくなってしまった。今、どこで何をしているかと尋ねられても、僕は答えられない。
結局、両親の離婚が僕に教えてくれたことといえば、恋愛感情は人を狂わせるクソなものだということと、苗字が変わるのは面倒ってことだけ。
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