第8話 青天の霹靂
廿楽ヶ丘家が橘家だった頃の話をしよう。
両親は共働き。父さんは警察官で、母さんは会社員。呼び出しだの、残業だので二人ともほとんど家にはおらず、僕ら三姉弟はお手伝いさんの
正直、どんな生活をしていたかはあまり覚えていなかった。
幸か不幸か、家に両親がいないことが当たり前すぎて、寂しいという感情を抱くことは少なかった気がする。家に独りぼっちだったならそうも思っただろうけど、年の離れた姉たちがいて、お手伝いの武内さんがいて、愛犬のジルもいたから。
しいて寂しいと思ったことを挙げるとすれば、保育園の参観行事だろうか。
両親の代理で来てくれていた武内さんには感謝しているけれど、さすがに周りの子供たちが親とはしゃいでいるのを見て、何も思わないほど枯渇してはいなかった。
それでも、父さんも母さんも僕ら子供たちを大事にしてくれていた。他の家とは違ったとしても、彼らなりの愛し方で。もちろん、幼い僕はそんな難しいことは考えていなかった。今思えば、という話だ。
両親の不在時間は長かったけど、家族仲は悪くなかった。というか、悪くなりようがなかった。顔を合わせないんだから。
でも、本当に悪くなかったはず。姉弟でも喧嘩なんて滅多にしなかったし。両親二人とも稼ぎがよかったから、金銭面の不自由もなかった。
そして、僕が四歳で、陽菜が十二歳、星乃は八歳のとき。青天の霹靂。何の前触れもなく、両親は離婚した。
おそらく、僕が明確に覚えている一番古い記憶がそれだ。
その日まで怒鳴り合ってる姿なんて見たことがなかったのに、嫌厭を剥き出しにしていがみ合う姿は昨日今日で生まれた亀裂だとは思えなかった。
もしかしたら、幼くて物ごとが分かっていなかった僕が蚊帳の外だっただけで、元から仲違いはしていたのかもしれない。
離婚することはすぐに決まったけれど、親権については揉めに揉めた。
父さんも母さんも子供全員の親権を取ると主張したから。どちらかが有責だったなら話も早かったんだろうけど、離婚自体は話し合いの結果で双方の同意だったというし。
実のところ、僕は離婚の原因というものを知らない。
でも、僕はどっちもどっち、もしくは母さんが悪かったんじゃないかと思っている。
両親が僕らにどっちについていきたいかと尋ねたとき、陽菜は口に出さなかったけど、父さんについていきたがっていたから。
陽菜は昔から家族のことをよく見ている。そして、昔も今も僕が一番頼りにしている家族は陽菜だった。その陽菜が母さんよりも父さんを選んだというだけで、幼い僕には神様の啓示くらいの揺るぎない絶対性があったのだ。
だから、どっちでもいいやと思っていた僕は考えを改め、自己主張ができない姉の代わりに「僕と陽菜は父さんと一緒がいい」と言った。それが正しい選択だと思ったから。
ちなみに、星乃は母さんがいいと言っていたけど、それは母さんが甘やかしてくれるからという理由だけだったと思う。父さんは礼儀作法に厳しくて、小さいことにも口うるさかったのだ。
それまでの家庭環境のせいもあって、僕は家族が二つに分かれてしまうことを悲しむのではなく、父さんも母さんも独りぼっちにならないから、この組み分けで問題ないなと思っていた。何なら、ジルと武内さんの行方を心配していたくらいだ。
でも、調停で僕ら三姉弟の親権を取ったのは母さんだった。
星乃が「父さんは殴るから嫌。陽菜も伊朔もお父さんと一緒に行っちゃ駄目」と調停員相手に泣いてみせたのが決定打。
僕と陽菜は驚いた。そんな事実はまったくなかったから。
父さんも僕も陽菜もそんなことは知らないと主張したし、結局は星乃の虚言だったと暴かれたんだけど、調停員たちから父さんへの心証は最悪なものになってしまったらしい。子供が虐待をほのめかす嘘をついてまで父親のもとに行くのを嫌がるのだ、と。
そして、橘家は廿楽ヶ丘家になった。五人家族から、四人家族へ。
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