第7話 証拠写真

 探していたのは自分のはずなのに、まさか会えるなんてと動揺した。

 いつからそこにいたんだろうか、ニシとどんな話をしていたっけ、変な話してないよな。……、そんなこと気にしてどうするんだ。

 僕と美緒さんに挟まれていたニシは、右に左にぶんぶんと首を動かすと「誰、このオネーサン。伊朔の知り合い?」と僕の方向でぴたりと顔を止めた。


 ニシは他人との壁が薄い。いや、壁ならよかった。どれかといえば、オブラートというべきかもしれない。触れるだけで破れるくらいに薄いやつ。防音性なんてあるわけもない。

 初対面の人間を前にこの言い方はないだろうに。

 僕はもう慣れ切ってしまったが、思春期の頃に彼と初めて知り合っていたら、絶対に友達になっていなかったと断言できる。本人にも言ったことがある。幼馴染だから関係ないじゃんと笑い飛ばされた。そういうところだ。


「この人は――」


 そこまで言って声に詰まった。

 僕と美緒さんの関係はなんだ。知り合いでいいのだろうか。


「伊朔君のお友達で飛葉っていいます。ごめんね、急に話しかけちゃって」


 不自然に止まった僕の言葉を美緒さんが引き継いだ。

 僕らは友達といえる関係ではない。しかし、僕が口を挟む前にニシが「そうなんすか。どーも、伊朔の大親友の西戸でーす」とふざけた自己紹介をし出したので否定の機会を失ってしまった。


「うん、よろしくね」

「この時間に電車乗ってるってことは、飛葉さん学生です?」

「大学生だよ」


 ……そういえば、この人も妙な距離感のタイプだったな。


 美緒さんはニシの近距離コミュニケーションにのけ反ることもなく、すんなりと打ち解けた様子である。僕がおかしいんだろうか、……いや、絶対に違う。おかしいのはこの二人だ。


「マジ? 女子大生がどこで男子高校生と知り合うんすか」

「ふふ、ケーキ屋さん」

「ケーキ屋って……、あの伊朔が通い詰めてる路地裏のくっそメルヘンな?」

「そうそのお店。伊朔君、常連さんだったんだ?」

「あそこのケーキ美味いっすけど、入りにくいんすよねー」


 初対面とは思えない様子で当たり障りない会話をする二人に疎外感を覚えた。混ざろうと思えば混ざれるのだがどうにも口を挟みにくい。何もせずに聞いているのは収まりが悪くて、気づいたらスマホを手にしていた。

 友達からの中身のない連絡に適当に返し、陽菜からのおつかい連絡に了承を返す。

 平日は母さんと陽菜が仕事、星乃は頼りにならないから、買い出しは僕の仕事になっている。ひとり親で母親が働きに出ているのだから、家のことは家族で分担しようとなったのは必然だった。買い出しの他には洗濯が僕の仕事だ。正直、面倒だとは思うけど、それを放棄したところで僕も割を食う。やらない選択肢がない。

 

「――じゃあ、私はここで降りるから。またね、伊朔君。西戸君もお話してくれてありがとう」


 いつの間にか、電車は僕とニシが使っている最寄り駅の一つ前で止まっていた。美緒さんは手を振って去って行ってしまう。僕は小さく頭を下げるだけしかできなかった。

 そして、電車の扉が閉まると、さっきまで後頭部しか見せていなかったニシの頭がぐるんと向きを変えた。にやにやと笑っている。憎たらしい。


「なんかあったじゃん」

「ないよ」

「ケーキ屋で女子大生と友達になるって、お前、年上趣味だったの?」

「あの人、彼氏いるから」


 ニシは露骨にがっかりした様子で「なーんだ」と吐き捨てた。僕をからかいたいだけだったのが明白である。

 その後、最寄り駅でニシとは別れた。僕は陽菜に頼まれた買い物をしていかなきゃいけなかったし。存在がうるさい幼馴染は、別れの挨拶もなしに大会に出てくれという誘いを残して帰っていった。ニシは僕に対して、親しき中にも礼儀ありを実践してくれてもいいと思う。


 スマホ片手にスーパーを練り歩き、買い忘れがないかを再三確認してレジに向かった。混み始める時間帯にぶつかってしまい、どのレジにも数人の列ができている。一番短い列に並び、ふと、店の外を見た。特に意味はない。ただ無意識に目が行っただけ。


「あ」


 誰の耳にも届かないような声が出た。

 急に世界が切り離されたような感覚に襲われる。音が遠くなって、色が消えていく――、とある一か所を除いて。


 美緒さんとアキギリさん。


 スーパーの前にある有料駐車場に停められた車の前、美緒さんとアキギリさんが談笑していた。二人の表情を見ているだけで、楽しげなのが嫌でも伝わってくる。

 無意識のうちにスマホに手が伸びた。チャンスだ。今、この瞬間を写真に収めれば、陽菜に話すための証拠になる。これだけ距離があれば、スマホを構えたって、彼らを撮影しているようには思われないだろう。

 カメラを起動して、自然に見えるようにスマホを掲げた。

 スマホの画面の中、美緒さんとアキギリさんは繋がった糸で操られている人形のように、同じ方向へと顔を向けて片手を挙げた。


 シャッターは切れなかった。


 カメラの画角の中に映っている人間は三人。後からやってきた体格のいい中年の男は、二人に迎えられ、待たせたことを詫びているようだった。屈強な身体を丸めて、美緒さんにぺこぺこと頭を下げている。

 スマホを持った腕が勝手に下がっていった。肉眼で見ても光景は変わらない。


 美緒さんとアキギリさんと、そして、――たちばな淳史あつし。僕の血縁上の父親。

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