第6話 三つの悩み

 美緒さんの名前を聞いたその日から一週間。僕は三つのことで悩んでいた。


 一つめは。陽菜にアキギリさんの浮気をどう話すべきかというもの。

 美緒さんが信じてくれなかったことを反省して、僕に足りなかったのは信頼以前に証拠だと気づいた。

 この前は美緒さんに生意気なことを言ってしまったが、知り合いでもない他人にああだこうだ言われたって、彼氏の肩を持つのは自然なことだ。もしかしたら、陽菜にもそういう態度を取られるかもしれない。

 自分の意見の正当性を訴えるためにも証拠は必要だ。

 アキギリさんと美緒さんが一緒にいるところを動画なり写真なりに収めるのが最初の一歩。しかし、それは僕がアキギリさんのアンチである疑惑を強める行為だとも思うから、慎重にならなければならない。


 二つめは、飛葉美緒さんのこと。

 あれ以来、彼女のことが頭から離れない。美緒さんは教えた覚えのない僕の名前を知っていて、また会うことになることをほのめかしていた。それが気になって仕方がない。

 再会した次の日から、改札を出たところで美緒さんがいないか探すようになった。その次の日は駅のホームで、今では電車の中でもその姿を探している。

 未だ、彼女の姿は見つけられていない。


 三つめは、最新の悩みだ。リアルタイムで進行中。下校途中に絡んできたニシの相手。

 ニシは親しい友人ではあるけれど、毎日一緒に帰るような付き合い方はしていない。そりゃあ、家が近所で帰る方向が一緒だし、ばったり会えば一緒に帰ることもある。

 でも、早々ある話じゃない。僕らはクラスが違うし、ニシは時間さえあれば配信したい人間だから、周囲から付き合が悪いという評価をされている僕よりも帰るのが早かった。

 それでも、人気者気質なのはコイツの人徳というやつだろう。あとは単純に見た目。黙っていれば、いいとこのお坊ちゃま感があるというか、品のある顔立ちをしてはいる。中身はまったく違うけれど。


「伊朔ぅー、お願ァい」

「嫌だ。無理」


 放課とともに即帰る男が、昇降口で僕を待ち構えていた。神妙な面持ちに何かあったのかと思えば、この調子である。

 歩きながらべたべたと腕に引っついているニシは鬱陶しい。どれだけ振り払おうとしても、まったく離れていかない。僕がおざなりな態度をすればするほど、ニシはめそめそとした顔で「お前しかいないの! 俺の知り合いでお前が一番強ぇの!」と喚いた。

 校舎から出て校門までの道のりが遠い。僕らをちらちらと見てくる好奇の視線がいくつも突き刺さっていた。これが弓矢なら五回は死んでる。


「伊朔、本当にお願い! 俺のストリーマーとしての転機になるかもしれない!」


 心底からの悲痛な叫び。命乞いのような喚き。

 さすがに聞き流せず、根負けして足を止めれば、ニシはそれを了承と受け取ったのか、ぱっと満面の笑みを浮かべて「さすが伊朔! あざーっす!」と先取りも先取りでお礼をぶん投げてきた。


「僕まだ何も言ってない」

「はァ!? 俺と一緒に大会出てくれる気になったんじゃないのかよ!!」

「うっさ」


 ニシがこの短い距離を歩く間に延々と繰り返していたのは、FPSゲームの大会に出るためのメンバーになってくれという誘いだった。競技ではなく、カジュアルな大会。

 僕もニシもやっているそのゲームは、モードによってプレイ人数が異なる。大会では五人で一チームなことが多く、今回もその通りらしい。


「いつもならいいって言ってくれるじゃん! ケチ!」


 そう、いつもならいいと言っている。

 ゲームは好きだし、大会で競うのも好き。でも、頑なに肯定していないのには意味がある。


「決勝マッチに進めたら、アキギリさんと対戦できるかもしれねぇの! 俺の夢を叶えてよォ!」


 その大会の招待選手の一人がアキギリさんだったから。

 僕が断っているのはそれだけが理由。それが驚くほど嫌だったのだから仕方がない。決勝にいけるとも決まっていないのに嫌だった。

 色よくない返事をすると僕の表情で察したのだろう。ニシは「じゃあじゃあ、せめてもうちょっと考えてみてくんね? 締め切り来月末だから!」とお願いの方向性をちょっと変えた。


「……いい返事するとは限らないよ」

「それでも!」

「…………分かった」


 折れたというより、折られた。

 ここで首を縦に振らなかったなら、いつまでも同じ問答が繰り返されていたはずだ。ニシは意志が強いと言えば聞こえはいいけれど、一度決めたら頑固な奴である。

 ニシはさっきまでの面倒くさいやり取りなんて、なかったかのようにけろりとして「じゃ、帰ろうぜ~」と呑気に前を歩き始めた。鼻歌でも歌い出しそうな背中を蹴り飛ばしてやりたい。


 学校から駅までのろのろと歩く間も、ニシは大会に対する意気込みを聞いてもいないのに語ってきた。やる気があるのはいいことだけど、アキギリさんの話を混ぜてくるのがいただけない。

 改札を抜け、電車に乗り込む間も、時間がもったいないとばかりにニシの舌は回り続ける。本当によくしゃべる。空いている座席はなく、吊革に掴まって並ぶと、ニシは「伊朔さァ、最近、なんかあった?」と漠然とした質問をしてきた。


「なんかって、何?」

「いや、俺が聞いてんだけど」

「別に、何もないけど」


 そりゃあ、思い当たる節はある。けれど、素直にあるよとは言えなかった。

 ニシは「ふーん」としか返してこなかったが、多分、僕が嘘をついているのには気づいている。言葉を重ねれば重ねるほど、言い訳がましく聞こえてしまうと思いながらも、何かを言わなければ落ち着かない。


「あのさ、ニシ――」


 横目で隣を見た瞬間、僕の目は目的の人物を通り越して、その先にいた人と目が合った。お互いにはっとして目を見開く。


「わ、伊朔君? 偶然だね」


 僕がずっと探していた人、美緒さんその人だった。

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